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弥栄会館・祇園甲部歌舞練場 (京都市東山区) Yasaka Kaikan |
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弥栄会館・祇園甲部歌舞練場 | 弥栄会館・祇園甲部歌舞練場 |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 南側 ![]() ![]() ![]() 南西側、望楼 ![]() 望楼上 ![]() 西側 ![]() 西側 ![]() 「登録有形文化財」のプレート ![]() 西側、弥栄会館、正門 ![]() ![]() ![]() 玄関 ![]() 玄関 ![]() 玄関 ![]() 玄関 ![]() ![]() 別館 ![]() 別館 ![]() 八坂倶楽部 ![]() 八坂倶楽部 ![]() ![]() 渡り廊下、別館と八坂倶楽部の間 ![]() 本館 ![]() 本館 ![]() 弥栄会館の北側、八坂女紅場学園 ![]() 八坂女紅場学園 ![]() 与謝野晶子の歌碑 |
花見小路通四条下ル東側の弥栄会館(やさか-かいかん)は、学校法人八坂女紅場(にょこうば)学園が所有している。 建物は、近現代の建築家・木村得三郎が設計した。 ◆歴史年表 近代、1871年、京都博覧会に際し、杉浦治郎右衛門らにより歌舞芸能の「都をどり」が考案された。 1873年、都をどりの公演場として、祇園甲部歌舞練場(花見小路西側)が開設された。 1913年、祇園甲部歌舞練場本館・玄関・八坂倶楽部が現在地(花見小路通四条下ル東側)に建てられる。 1936年、現在の弥栄会館・正門が現在地(祇園甲部歌舞練場の隣)に建てられた。 第二次世界大戦(1941-1945)中、弥栄会館は徴用された舞妓・芸妓の工場になった。 現代、1945年、戦後になり、弥栄会館は進駐軍の将校用ダンスホール、映画館になった。 1962年、外国人観光客のためにギオンコーナーが開設された。 2001年、8月、弥栄会館などが国の登録有形文化財に登録される。 2021年6月-2025年10月、弥生会館を帝国ホテル(東京都)に改修するための工事が行われる。南西部壁面は保存され、ほかは解体し本棟、北棟が新築される。 2022年、3月、竣工時の定礎箱が開封された。 2026年、10月、帝国ホテルが開業する。 ◆杉浦治郎右衛門 江戸時代後期-近代の実業家・杉浦治郎右衛門(すぎうら-じろうえもん、1820-1895)。本名は為充。山城生まれ。京都祇園の茶屋「一力(いちりき)」の9代目主人。1870年、日本最初の検黴治療所を設立した。1872年、第1回京都博覧会で京都府知事・槙村正直の助けを得て、「都をどり」を考案し、催し創設に協力した。1873年、婦女職工引立会社(女子教育機関、後の遊所女紅場)を設立する。隠居して治郎右衛門と名乗った。76歳。 ◆木村得三郎 近現代の建築家・木村得三郎(きむら-とくさぶろう、1890-1958)。宮城県仙台市生まれ。1914年、東京美術学校を卒業し、大林組に技師として入社した。東京支店設計部長を経て、1944年、建築技術部長になる。1945年、退社した。1930年-1931年、欧米各国へ建築視察のため出張した。「劇場建築の名手」といわれた。 68歳。 作品に、大阪松竹座(1923年、現存)、歌舞伎座(1924年)、先斗町歌舞練場(1927年、現存)、東京劇場(1930年)、日本劇場(1933年)、弥栄会館(1936年、現存)、高岡産業博覧会美術館パビリオン (1951年、高岡市立博物館本館として現存)などがある。 ◆建築 ◈「弥栄会館」(国・登録有形文化財)は、近代、1936年に祇園甲部組合により建てられた。設計は木村得三郎による。女紅場技芸練習場として使用された。 南面して建つ。風致地区にあり、日本趣味の伝統的な意匠になっている。壁面は白く、各階に緑色の銅板瓦葺の勾配屋根を重ねる。正面には唐破風であり、塔屋状の正面中央部に付庇がある。最上層に宝形造屋根の望楼があり、城郭天守風の構えになっている。軒裏に肘木状の持送り(突出部分を支える横材)、バルコニーに陶板の装飾を施している。1階に小ホール、3階-5階に3層吹抜けの大ホールがある。現在は耐震上の問題から大ホールは現在使用されていない。 施工は大林組。鉄骨鉄筋コンクリート造地上5階地下1階建、瓦葺、建築面積1272㎡ ◈「祇園甲部歌舞練場玄関 」(国・登録有形文化財)は、1913年に建てられた。西面し、正面に唐破風車寄がある。その東側に主体部(45畳・30畳の板間)が繋がる。演舞会時に、1等玄関・1等待合に使用された。 木造平屋建、入母屋造、瓦葺、建築面積286㎡。 ◈「祇園甲部歌舞練場本館」(国・登録有形文化財)は、1913年に建てられた。西面して建つ。木造の大劇場であり、南北棟の広大な屋根を架ける。西面して千鳥破風を設ける。北側を舞台、南側を客席にした。 檜材、木造地上2階一部地下1階建、入母屋造、瓦葺、建築面積1035㎡。 ◈「八坂倶楽部」(国・登録有形文化財)は、1913年に建てられた。敷地南奥に建つ。大屋根を架けた建物で、北面西側に軒唐破風付の玄関を設ける。東面・南面から庭園を望める。1階は特等客向けの待合・点茶、2階は舞台座敷で、客席(132畳敷)・舞台がある。 木造2階建、入母屋造・瓦葺、建築面積746㎡ ◈「祇園甲部歌舞練場正門」(国・登録有形文化財) は、1936年に建てられた。西面し、花見小路に面している。 鉄筋コンクリート造、平屋建、寄棟造、銅板瓦葺、建築面積174㎡。 ◈「帝国ホテル」は、2025年10月に開業予定になっている。地上7階建、地下2階建、延床面積1万800㎡。 ◆定礎箱 2022年3月9日に、弥栄会館の竣工時の定礎箱開封式が行われた。定礎箱は、改修工事に伴い見つかった。 箱は定礎石とともに設置され、鉛のような金属で覆われていた。中に納められていたのは、新聞5紙(1936年6月27日付)、当時の理事長だった9代目・杉浦治郎右衛門の名の入った銀板、貨幣、八坂神社の神鏡だった。神鏡が納められる例は珍しいという。 ◆歌碑 敷地内に与謝野晶子の歌碑「京更けて歌舞練場のかがり火の雫おちんと眺めにぞ行く」が立てられている。 1978年に与謝野晶子100年生誕記念として みだれ髪の会により立てられた。 ❊原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 ウェブサイト「文化庁 文化財データベース」、『京都の洋館』、『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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