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旧京都中央電話局上分局 (京都市上京区) Former Kami Branch of Kyoto Central Telephone Office |
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旧京都中央電話局上分局 | 旧京都中央電話局上分局 |
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![]() 南側 ![]() ![]() 南側 ![]() 南側 ![]() 東側 ![]() 鴨川 ![]() ![]() 南側 ![]() 東側、「目の形」の屋根窓 ![]() 東側 ![]() 東側 ![]() ![]() 南側 ![]() 南側 ![]() |
丸太町西詰南に、「旧京都中央電話局上分局(きゅう-きょうと-ちゅうおうでんわきょく-かみぶんきょく)」がある。近現代の建築家・吉田鉄郎により設計された。 廃局後、外観は残したまま、変遷を経て、現在は複数の商業施設として再利用されている。 ◆歴史年表 近代、1923年、逓信省技師・吉田鉄郎の設計により建てられた。 1924、営業を開始する。 現代、1959年、廃局になる。 1962年、京都電信電話会館になった。 1982年、構造補強、復元工事が行われる。電気通信史料館になる。 1984年、6月、京都市登録有形文化財に登録された。 1997年、7月、国の登録有形文化財(建造物)に指定された。 ◆吉田鉄郎 近現代の建築家・吉田鉄郎(よしだ -てつろう、1894-1956)。旧姓は五島。富山県の生れ。1919年、東京帝国大学建築学科を卒業し、逓信省に入省した。多くの郵便局、電話局など逓信省関係の設計を手掛けた。1931年-1932年、外遊した。1932年、東京中央郵便局に関わる。1933年、ブルノー・タウトの来日時に、案内者になり、日本建築の理解を助けた。1939年、大阪中央郵便局を担当する。1944年、退官した。1946年、日本大学教授に就任する。日本建築を海外に紹介するためにドイツ語、英語の著書を多数著した。ドイツ語『Japanische Architectur』(1952)で、日本建築学会賞を受賞した。62歳。 建築家・山田守と共に逓信省の双璧と称せられた。機能主義的立場から日本建築の近代化に対して大きな貢献をする。装飾を抑制し、比例感覚で建築構造を表現した。 ◆旧京都中央電話局 丸太橋の西詰南に、旧京都中央電話局上分局(国の有形登録文化財)が建てられている。逓信省技師・吉田鉄郎が設計し、近代、1923年に建てられた。 鴨川沿いの特異な外観を有し、ドイツ民家風の勾配屋根、装飾に特色がある。ドイツの建築家・F・シューマッハーの影響がある。表現主義から合理主義建築への過渡作品の一つとされている。現存する鉄筋コンクリート造電話局舎の中で最も古い。 現在、内部は当初の形態がかなり失われている。外観は当初の様式を残している。壁面にセセッション(19世紀末のドイツ・オーストリア各都市に興った建築などの革新運動で、過去の芸術様式から分離した生活・機能と結びついた新しい造形芸術創造をめざした。分離派)の影響があるものの単純化されている。屋根間部分は電話機の形をモチーフにした。北は寄棟造の桟瓦葺、屋根に「目の形」の屋根窓がある。南は陸屋根(平坦屋根)になる。柱型と縦長窓により構成されている。 鉄筋コンクリート造3階建、瓦葺、建築面積745㎡、施工は清水組。 1959年に廃局し、1962年に京都電信電話会館、1982年に構造補強、復元工事が行われ、電気通信史料館になる。1984年6月、京都市登録有形文化財に登録された。1997年7月、国の登録有形文化財(建造物)に指定された。 *内部は通常非公開 ❊原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 京都市の説明板、ウェブサイト「文化庁 文化財データベース」、『京都の洋館』、『もうひとつの京都-モダニズム建築から見えてくるもの』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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