長尾郁三郎邸跡 (京都市中京区)  
The ruins of residence of Nagao, Ikusaburo
長尾郁三郎邸跡 長尾郁三郎邸跡
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「正五位長尾郁三郎武雄旧邸」の石標
 三条通西洞院西入南側に、「正五位 長尾郁三郎武雄旧邸(しょうごい-ながお-いくさぶろう-たけお-きゅうてい)」の石標が立つ。この地に、江戸時代後期の尊攘家・長尾郁三郎の旧邸があった。郁三郎は、「足利氏木像梟首(きょうしゅ)事件」で獄中で斬殺された。
 石標の東には「元治元年甲子殉難志士」、西に「梓弓とる身ならねどますらをがひきはかへさじ大和魂  武雄」と刻まれているという。
◆歴史年表 江戸時代後期、この地に、長尾郁三郎(1837-1864)の旧邸があった。
◆長尾郁三郎 江戸時代後期の尊攘運動家・長尾郁三郎(ながお-いくさぶろう、1837-1864) 。武雄。京都の商人。大国隆正、江戸の平田銕胤(かねたね)門下になり国学を学ぶ。帰京後、尊王攘夷運動に参加した。1863年、足利氏木像梟首事件で捕らえられる。六角獄舎に投獄される。1864年、禁門の変による火災が牢に迫る中、斬殺された。28歳。
◆足利氏木像梟首事件 江戸時代後期、1863年2月22日(新暦4月9日)夜に「足利氏木像梟首事件(あしかがしもくぞうきょうしゅじけん) 」が起こる。
 足利氏の菩提寺である等持院(北区)の足利氏歴代将軍木像の頭部と位牌が盗まれた。その後、尊氏、義詮(よしあきら)、義満の3首は、三条河原に晒された。
 事件は、第14代将軍・徳川家茂(1846-1866)の上洛に先立ち、足利氏を利用して討幕、将軍天誅の意味を持たせた。
 主謀者は、伊予の尊攘志士・三輪田綱一郎(1828-1879、元綱) 、水戸の国学者・師岡正胤(1829-1899、節斎) 、因幡鳥取新田藩・仙石佐多雄(1843-1863、鹿奴)、長尾郁三郎、丹後の小室利喜蔵(1839-1898、信夫) 、近江八幡の国学者・西川善六(1816-1880)など10数人だった。商人、豪農、浪人、医師もおり、三代の罪状を記した捨文は、会津藩士・大庭恭平(1830-1902)が書いたという。
 事件は、尊攘激派の先駆けになる。京都守護職・松平容保の対策強化につながった。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 長尾郁三郎邸跡 〒604-8247 京都市中京区塩屋町53,三条通西洞院西入ル南側
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