青蓮院宮下ノ墓地 (京都市東山区)  
The grave of Shoreninnomiya-shitanobochi (Prince)
青蓮院宮下ノ墓地 青蓮院宮下ノ墓地
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「青蓮院宮御墓 参道」の石標

墓域全景、宝篋印塔は尊真親王墓、その左に尊宝親王が見えている。


尊真親王墓
 青蓮院境内の北東に「青蓮院宮下ノ墓地(しょうれんいんのみや-したのぼち)」がある。
 江戸時代の青蓮院宮の親王墓など7基が立てられている。
◆歴史年表 江戸時代、1824年、尊真親王が葬られる。
 1832年、尊宝親王が葬られる。
 1843年、洁宮が葬られた。
◆尊真親王 江戸時代中期-後期の皇族・尊真親王(そんしん-しんのう、1744-1824) 。成輔。幼称は聡宮(さとのみや)、喜久宮。法号は施無畏王院。伏見宮貞建(さだたけ)親王の第4王子。第115代・桜町天皇の養子になる。1752年、青蓮院を継ぎ親王になった。1753年、出家した。1764年、天台座主になる。一身阿闍梨(いっしんあじゃり/あざり)。著『入木(じゅぼく)道十七条之口決』など。81歳。
 陵墓は青蓮院宮下ノ墓地(東山区)にある。
◆尊宝親王 江戸時代後期の皇族・尊宝親王(そんぽう-しんのう、1804-1832) 。幼称は聡宮(さとのみや)。伏見宮貞敬(さだよし)親王の第2王子。母は寿美君(一条輝子)。1808年、第119代・光格天皇の養子になる。1811年、親王になり、1812年、得度した。護持僧、天台座主になった。一品に叙された。29歳。
 陵墓は青蓮院宮下ノ墓地(東山区)にある。
洁宮 江戸時代後期の皇族・洁宮(きつのみや、1838-1843)。有栖川宮幟仁(ありすがわのみや-たかひと)親王の第2王子、母は側室・佐伯祐子。第120代・仁孝天皇の養子になる。その後、青蓮院に入る。夭折した。5歳。
 陵墓は青蓮院宮下ノ墓地(東山区)になる。
◆墓 墓域には7基の墓石(宝篋印塔、宝幢塔、無縫塔 [卵塔] など)が鉤型に立てられている。
 東側に左(北)より石玉垣内に尊真親王の宝篋印塔、尊宝親王、洁宮の宝幢塔2基並んで立つ。
 

*現在は墓域に近づけないため、東側の背後(尊勝院の参道途中)から見下ろしての参詣になります。
*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 ウェブサイト「城とか陵墓とか」、ウェブサイト「関東の古墳&史跡探訪 」、ウェブサイト「陵墓探訪記」、ウェブサイト「世界帝王事典」、ウェブサイト「コトバンク」

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map 青蓮院宮下ノ墓地 〒605-0035 京都市東山区粟田口三条坊町
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