久邇宮家胞衣塚 (京都市東山区)  
Kuninomiya family Enazuka (placenta mound)
久邇宮家胞衣塚 久邇宮家胞衣塚
50音索引,Japanese alphabetical order  ホーム,Home 50音索引,Japanese alphabetical order  Home
久邇宮家胞衣塚


「発子女王御胞衣」の石標


「賀彦王御胞衣」の石標


「珖子女王御胞衣」の石標


「恭仁子女王御胞衣」の石標



「家彦王御胞衣」の石標



「徳彦御胞衣」の石標
 青蓮院の境内一角に江戸時代末期-近代の皇族・久邇宮朝彦親王(くにのみや-あさひこ-しんのう、1824-1891)の子の胞衣(えな/ほうい)塚がある。朝彦親王は伏見宮邦家親王の第4王子であり、尊融法親王として青蓮院門跡第47世門主に就いている。
 胞衣とは、後産で体外に排出された胎児を包む膜・胎盤をいう。鎮守社・日吉社の脇に、6人の兄弟姉妹の名を刻んだ石標が立てられている。
◆歴史年表 詳細は不明。
 近代、1911年、4月16日、第1王女・久邇宮発子女王(くにのみや-はつこ-じょうおう)が生まれる。
 1912年、5月29日、第1王子・久邇宮賀彦王(よしひこおう)が生まれた。
 1913年、12月5日、第2王女・久邇宮珖子女王(こうこ-じょうおう)が生まれる。
 1917年、5月18日、第3王女・久邇宮恭仁子女王(くにこ-じょうおう)が生まれた。
 1920年、3月17日、第2王子・久邇宮家彦王(いえひこおう)が生まれた。
 1922年、11月19日、第3王子・久邇宮徳彦王(のりひこおう)が生まれる。
◆発子女王 近代の皇族・久邇宮発子女王(くにのみや-はつこ-じょうおう1911-1915)。發子。父・久邇宮多嘉王の第1王女、母は静子(水無瀬静子)。4歳。
 墓は久邇宮墓地(東山区)にある。
◆賀彦王 近代の皇族・久邇宮賀彦王(くにのみや-よしひこおう、1912-1918)。父・久邇宮多嘉王の第1王子、母は静子(水無瀬静子)。6歳。
 墓は 久邇宮墓地(東山区)にある。
◆珖子女王 近代の皇族・久邇宮珖子女王(くにのみや-こうこ-じょおう、1913-1918)。父・久邇宮多嘉王の第2王女、母は静子(水無瀬静子)。病のため早世した。5歳。
 墓は久邇宮墓地(東山区)にある。
◆恭仁子女王
 近現代の皇族・久邇宮恭仁子女王(くにのみや-くにこ-じょうおう、1917-2002)。1939年、降嫁し二条弼基(伊勢神宮大宮司・公爵)と結婚した。85歳。
 墓は二尊院(右京区)に二条家墓がある。 
◆宇治家彦 近現代の皇族・宇治家彦(うじ-いえひこ、1920-)。家彦王(いえひこおう)。京都市生まれ。父・久邇宮多嘉王の第2王子、母は静子(水無瀬静子)。1940年、勲一等旭日桐花大綬章した。1942年、京都帝国大学理学部物理学科を卒業する。1942年、臣籍降下し、宇治伯爵になる。兵学校を経ずに海軍に入る。終戦時は海軍技術大尉だった。1947年、日本国憲法施行により華族の身分を失う。妻は量子(鷹司信輔の次女)。
◆梨本徳彦 近現代の皇族・梨本徳彦(なしもと-のりひこ、1922-2007)。徳彦王、龍田徳彦。京都市生まれ。父は久邇宮多嘉王の第3王子、母は静子(水無瀬静子)。1942年、第71期海軍兵学校を卒業し、貴族院皇族議員になる。1943年、勲一等旭日桐花大綬章を受章した。臣籍降下し、龍田伯爵家を創設する。同年、貴族院皇族議員を失職した。1945年、久邇宮朝融王第1女子・正子女王と結婚する。(1980年、離婚)。終戦時は海軍大尉だった。1966年、梨本伊都子(旧梨本宮家)の養子になり祭祀を継承した。従四位、伯爵。84歳。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 ウェブサイト「貴人の黄昏-旧皇族家の人々-」、ウェブサイト「陵墓 陵印 掲示板」、ウェブサイト「コトバンク」


関連・周辺,relevance&surrounding area青蓮院  周辺,surrounding area  関連,relevance賀陽宮・久邇宮墓地  関連伏見宮墓地・久邇宮墓地  関連,relevance歴代天皇データ     
京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 久邇宮家胞衣塚 〒605-0035 京都市東山区粟田口三条坊町 青蓮院境内
50音索引,Japanese alphabetical order ホーム,Home  top 50音索引,Japanese alphabetical order ホーム,Home  top
logo,kyotofukoh ©2006- Kyotofukoh,京都風光