妙順寺 (京都市東山区)  
Myojun-ji Temple
妙順寺 妙順寺
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 池殿町の西にある山崎町に妙順寺(みょうじゅんじ)はある。西面している。境内に平安時代後期の「安徳天皇産湯の井」がある。
 浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀仏。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 江戸時代
初期、1613年、現在地に移転したという。開基は僧・無誓という。(『京都府地誌』)。また、近江源氏末流、2代目・山崎源太左衛門(釋照順)によるともいう。
 1685年、建仁寺町に西本願寺末の当寺があると記されている。(『京羽二重』)
 1762年、山崎町東に当寺があると記されている。(『京町鑑』)
 近代、1877年-1886年、境内は東西直径17径、17間5分、南北8間1分、面積146坪7分(482.6㎡)あったという。(『京都府地誌』)
◆無誓 江戸時代の僧・無誓(?-?)。近江国生まれ。佐々木氏一族という。1613年、妙順寺の開基になる。
◆安徳天皇 平安時代後期の第81代・安徳天皇(あんとく てんのう、1178-1185)。言仁(ときひと)、西国天皇。第80代・高倉天皇第1皇子、母は平清盛の娘・建礼門院平徳子。平重盛の六波羅邸で誕生した。1178年、親王宣下、立太子。1179年、祖父・清盛の専制政治により、1180年、清盛の後押しで3歳で即位した。摂津福原に一時遷幸する。1183年、源義仲の入京により、平宗盛に擁せられ三種の神器を奉じて西海に遷幸した。他方、後白河上皇(第77代)は、第82代・後鳥羽天皇を即位させる。安徳天皇は大宰府に入った。1185年、讃岐・屋島の戦いで源義経の軍勢に敗れる。長門・壇ノ浦の戦で、義経らの攻撃により、平氏一門とともに二位尼(にいのあま)に抱かれて入水した。三種神器の宝剣が海中に没した。8歳。
 陵墓は阿弥陀寺陵(山口)にある。
◆安徳天皇産湯の井 境内に「安徳天皇産湯の井」「釣殿井」がある。第81代・安徳天皇の産湯の井と伝えられている。


* 非公開。
*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』、ウェブサイト「京都観光Navi」、サイト「コトバンク」


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map 妙順寺 〒605-0841 京都市東山区山崎町365, 大和町大路五条上ル phone 
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