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香川景柄旧宅(梅月堂跡) (京都市左京区) Former Residence Kagawa,Kagemoto |
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香川景柄旧宅(梅月堂跡) | 香川景柄旧宅(梅月堂跡) |
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![]() ![]() 表門 ![]() 連子窓(聖窓、火尻窓) ![]() 築地塀 ![]() 【参照】「天王町」の町名 |
岡崎天王町の丸太町通北側に、江戸時代中期-後期の歌人・香川景柄(かがわ-かげもと)の山荘別宅「梅月堂」があった。 ◆歴史年表 江戸時代、1800年、香川景柄が現在地に、山荘別宅「梅月堂」を建てた。 近代、明治期(1868-1912)末まで、子孫が継いだ。以後は、別の所有になる。 ◆香川景柄 江戸時代中期-後期の歌人・香川 景柄(かがわ-かげもと、1745-1821)。男性。本姓は松田、号は黄中(こうちゅう)、梅月堂など。父・山崎の社家・松田対馬の子。養父は香川景平で、梅月堂4代を継ぐ。徳大寺家の家臣として仕えた。陸奥守に任じられた。子がなく最初の養子・景樹(かげき)とは、歌風の違いにより後に離縁した。養子・景嗣(かげつぐ)が梅月堂5代を継ぐ。小沢蘆庵と親しかった。家集に『黄中詠藻』がある。二条派の宗祖。従六位、上総介。 「梅月堂」は上京区下立売通新町下ルにもあったという。晩年は、下京区東六条町に移り隠居した。77歳。 墓は門名寺(東山区)にある。 ◆香川景嗣 江戸時代後期の歌人・香川景嗣(かがわ-かげつぐ、1792-1866)。男性。本姓は伏田、初名は景礼、通称は木工、号は春村、梅月堂。京都の生まれ。香川景柄の門人になる。景柄の養子になった。梅月堂5代を継ぐ。家集『残香集』。74歳。 ◆建築 建物は、一部に改変がある。ほぼ、当時の様式を残しているという。 ◈ 「築地塀」がある。塀に2つの竹製の連子窓(聖窓、火尻窓)が突き出している。外灯として機能し、出窓の内部で灯油を灯した明かりが、往来を照らしていた。 ◈ 「表門」がある。南面する。 ◈ 「主屋」は、平屋建、桟瓦葺になる。 ◆庭園 苔庭がある。飛石、蹲踞、石燈籠、井筒などが配されている。 *非公開。 *原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都大事典』、『昭和京都名所図会 2 洛東 下』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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