順正書院跡 (京都市左京区)  
The ruins of junseishoin(medical school)
順正書院跡  順正書院跡 
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順正


順正


【参照】此辺名医新宮凉亭居住地の石標京都室町高辻(中京区室町通竹屋町下る東側路地奥)
 南禅寺の参道北に、順正書院跡(じゅんせいしょいん あと)がある。かつてこの地に、江戸時代後期の蘭方医・新宮凉庭(しんぐう りょうてい)が開校した医学学問所「順正書院(じゅんせい しょいん)」があった。
 現在は料亭の「順正南禅寺本店」が営業している。
◆歴史年表 江戸時代後期、1819年、新宮凉庭は京都室町高辻(中京区室町通竹屋町下る東側路地奥)で開業した。凉庭は、京都随一の流行医になる。
 1839年、凉庭は私財を投じ、南禅寺西に、私立の医学学問所「順正書院」を造営した。凉庭は、書生とともに木の伐採、整地などを行う。
 1842年頃、順正書院は完成した。
 1854年、凉庭は亡くなり、南禅寺・天授庵に葬られる。以後、弟子・凉民が順正書院で教えている。
 1864年、順正書院の書院、庭などについて記されている。(『花洛名勝図会』『東山名勝図会』巻一)
 近代、1883年、凉庭の弟子らは順正医会を創立した
 現代、1945年以降、順正書院は新宮家の手を離れた。
 1999年、順正書院は国の有形文化財に登録される。
◆新宮凉庭 江戸時代後期の蘭方医・新宮凉庭(しんぐう りょうてい、1787-1854)。名は碩、通称は凉亭など。京都・丹後の生まれ。新宮道庵の長子。1797年、伯父・福知山藩医・有馬凉築(丹山)に付いて医を学ぶ。有馬に従い江戸に2年間滞在した。21歳の頃、蘭方医・津山藩医・宇田川玄随訳『西説内科撰要』を読み、蘭医を志した。1813-1818年、長崎でオランダ通詞・吉雄権之助、通詞・蘭医・吉雄献作(如淵)、天文学者・末次独笑、オランダ医師・パティらに学ぶ。蘭館で翻訳も行う。蘭学、外科、蘭語のほか、英仏語も学んだ。1818年、 帰郷した。1819年、京都の室町高辻に開業し名声を得る。蘭学者・医師・藤林普山の翻訳を助ける。蘭医書を訳し医学教育を行う。1825年、入洛したシーボルトを訪ねた。1839年、南禅寺西に順正書院を造営し、西洋医学教育をおこなう。理財家として、1840年、南部藩の財政指導、綾部藩、越前藩などの財政改革にあたった。養子に柚木義慎(凉民)をとった。
 著作に翻訳書『血論』『解体則』、経済書『破レ家ノツヾクリ話』など多数。墓は南禅寺・天授庵(左京区)にある。
◆新宮凉民 江戸時代後期-近代の医師・新宮凉民(しんぐう りょうみん、1820-1875)。柚木義慎。通称は新太郎、号は薇山など。備中生まれ。新宮凉庭に学ぶ。養子になり新宮本家を継ぐ。1854年、凉庭の没後は順正書院で教えた。維新後は京都医学会、1872年、京都療病院の設立などに尽力した。
◆順正書院 江戸時代、1819年、新宮凉庭は、当初、京都室町高辻(中京区室町通竹屋町下ル東側路地奥)で開業した。凉庭は、京都随一の流行医になる。
 1839年、凉庭は私財1万金を投じ、所司代間部詮勝の勧めにより、南禅寺すぐ西に医学学問所・図書館の順正書院を設立した。その目的は、人材養成・経世医国、貧しい英才を伸ばすためであり、京都に本格的な医学書院がなかったためという。1842年頃、完成した。名の順正は「逆らわざるを順といい、邪ならざるを正という」(『礼記』中の『楽記』)に因んでいる。
 8学科あり、内外科など系統的に教育した。各分野の学者を招き、医学関連のみならず経学、詩文、儒学なども講じた。凉庭は、蘭書、『傷寒論』を講じている。丹後には学田があり、財政に寄与していた。凉庭は随一の蘭書所蔵家でもあり、文庫には和漢洋の書物が蔵され、来日していたシーボルト(1846-1911)も感嘆した。
 公家、大名、学者らも聴講し、儒学者・頼三樹三郎(1825-1859)、儒者・漢学者・佐藤一斎(1772-1859)、儒学者・書家・篠崎小竹(1781-1851) 、儒者・漢詩人・中島棕隠(1779-1855)、漢詩人・梁川星巌(1789-1858) 、その妻・漢詩人・梁川紅蘭(1804-1879)らの文人墨客も訪れた。
 凉庭は娘に養子・凉民(柚木義慎)をとり、弟子に4分家を建てた。養子・凉閣らは京都医学研究会を作り、療病院、後の京都府医学校に発展した。なお、明石博高(1839-1910)は、凉閣に解剖、生理などを学んでいる。凉介は、1868年の鳥羽・伏見の戦い後の京都御親兵病院の医員として活躍した。1883年、弟子は順正医会を創立している。順正書院は明治期(1868-1912)まで維持された。1945年以降、順正書院は新宮家の手を離れている。
 現在は跡地に料亭順正が営業しており、順正書院の遺構はほぼ残されている。
◆建築 減殺残されている遺構は、正門、石垣、石畳、講堂などになる。
 ◈「書院」は、敷地の中央付近に残り、東南に上段の間、西側に囲炉裏の間、次の間などがある。上段、天井、南側壁面の意匠に特徴がある。ただ、改造はされている。
 木造平屋建、入母屋造、桟瓦葺、数寄屋造。瓦葺、面積279㎡。 
 北に茶室を付設する。
 ◈「石門」が立つ。
 ◈「文庫」は土蔵造りだった。現在は失われた。
◆庭 前庭、書院の周囲の庭がある。池泉と流水があった。かつて、果樹、薬草も多く植えられ、あたかも薬草園の様だったという。(『順正書院記』『花洛名勝図会』)
◆文化財 玄関に、江戸時代の京都所司代・間部詮勝(まなべ あきかつ、1802-1884)筆の「順正書院」の額が掛かる。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都の医史跡探訪 増補版』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』『京都大事典』『京都幕末維新かくれ史跡を歩く』、ウェブサイト「京都市 文化史15 京都の私塾 - 」、ウェブサイト「京都市 文化市民局 文化芸術都市推進室 文化財保護課」、ウェブサイト「文化庁 国指定文化財等データベース」、ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 順正書院跡 〒606-8437 京都市左京区南禅寺草川町60
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