翠紅館跡・翠紅館会議 (京都市東山区)  
The remains of the Suikokan
翠紅館跡  翠紅館跡 
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山荘京大和、維新の道の途中にある翠紅(すいこう)館跡

 維新の道の途中、山荘京大和の門脇に、「翠紅館跡(すいこうかん-あと)」の石標が立つ。
 この地は丘陵地にあり、眺望が良いため貸席として利用されていた。幕末には勤皇派が集った「翠紅館会議」で知られている。当時の建物は保存されている。
◆歴史年表 平安時代、782年頃、この地に、正法寺の塔頭・東光寺があったという。
 後に、寮舎は、「叔阿弥(宿阿み)」として、貸座敷の一つとして文人墨客が訪れた。
 鎌倉時代後期、公家・鷲尾(わしのお)家が買い取る。鷲尾隆良(たかなが、?-1296)は、山麓に別荘を建て「鷲尾」と号した。「淑阿弥(しゅくあみ)」と称された。また、「翠と紅の素晴らしい館」として「翠紅館」と名付けたという。
 江戸時代初期、鷲尾家9代・鷲尾隆尚(たかひさ、?-1608)の時まで、別荘地はあった。徳川家康は北政所のために高台寺を建立し、鷲尾家から苗字を取り上げる。その名残りとして高台寺の山号は鷲峰山(じゅぶざん)とされたという。
 1799年、庭園について記されており、「翠紅館広間」、「紅葉の間」、庭園などが描かれている。以後、広く知られるようになる。(『都林泉名勝図会』)
 天保年間(1831-1845)、鷲尾家19代・鷲尾隆聚(たかあつ、1843-1912)は、霊山麓の東光寺(翠紅館)を買い受けて改築した。一時、住居として住む。
 その後、鷲尾家は、建物、庭などを西本願寺(東山別院)に寄進した。以後、西本願寺別邸として利用される。庭園は荒廃しており整備される。
 また、天保年間(1831-1845)初め、西本願寺(東本願寺とも)が買収し、翠紅館と称した。書院、庭園があったという。
 1863年、西本願寺第20代門主・広如 (1798- 1871) は、尊皇攘夷志士のために、「翠紅館広間」、「送陽亭」の2部屋を提供した。志士が初めて合同の会議を開く。1月27日、翠紅館の「送陽亭」に、土佐藩・武市半平、長州藩・井上聞多、久坂玄瑞ら多数が集まる。6月17日、長州藩・桂小五郎、久留米藩・真木保臣(和泉守)らが集まった。(翠紅館会議)
 近代、1868年、翠紅館は西本願寺の手を離れる。以後、2経済人の所有を経る。その後、阪口家3代目当主・祐三郎が入手した。
 1949年、「京大和」が開業した。
◆鷲尾隆良 鎌倉時代の公卿・鷲尾隆良(わしのお-たかなが 、?-1296)。大納言・四条隆親(たかちか)の3男。建長年間( 1190-1198)、奈良・西大寺の叡導(えいどう)から華道の法を継ぐ。鷲尾松月堂古流挿花の祖になる。従二位、権中納言。号は風月堂。
 鷲尾家の祖になる。御所の舞楽演奏家であり、歌を詠み、管弦の遊びなどを催した。その子・孝嗣が鷲尾家の初代になる。
◆鷲尾隆聚 幕末-明治時代の公家・華族・鷲尾隆聚( わしのお-たかつむ/たかあつ、1843-1912)。鷲尾隆賢(たかます)の次男。母は公家・高倉永雅の娘。1867年、英国公使の伏見通過を弾劾した。親幕派廷臣の罷免を求め、差控(さしひかえ)に処せられた。赦免され、朝命を奉じ高野山で倒幕の挙兵した。1868年、錦旗を授けられた。戊辰戦争で大坂に進軍する。参与になる。奥州鎮定に当たり、奥羽追討総督、東征大総督府参謀として会津を征し、東北を転戦した。1869年、陸軍少将。のち五条県知事、愛知県令、元老院議官などを歴任した。1877年、公家・五条為栄(ためしげ)らと報国社を結成し、西郷隆盛に西南戦争を終わらせようとし、拘引される。没後、1942年、伯爵。
◆阪口祐三郎 近現代の料亭経営者・阪口祐三郎(さかぐち-ゆうさぶろう、1884-1961) 。大阪生まれ。幼くして両親を亡くした。13歳で実業家・松本重太郎(1844-1913)に奉公した。1904年-1905年、日露戦争で騎兵として戦う。3年後に大阪に戻る。24歳(26歳とも)で、伯母・阪口うしより置屋「大和屋」の家業を継ぐ。1910年、「大和屋芸妓養成所」を設立し、茶屋、料亭へと事業拡大する。大和屋は政財界名士の社交場になり、池田勇人(1899-1965)、小林一三(1873-1957)らも贔屓にした。南地花街組合長。1941年-1945年、太平洋戦争で大和屋は焼失した。1946年、大和屋を再開する。1949年、京大和を開業した。1953年、全国花街連盟を結成し、会長職に就く。
◆翠紅館会議 江戸時代後期、1863年、西本願寺第20代門主・広如(1798-1871)は、尊皇攘夷志士、急進派公卿の合同会議ために、「翠紅館広間」、「送陽亭」の2部屋を提供した。
 志士らは初めて合同会議を開く。翠紅館広間には、公卿・政治家・三条実美(1837- 1891)、長州藩・桂小五郎(1833-1877)、土佐藩・坂本龍馬(1836 -1867)らが集った。
 1月27日、送陽亭に、桂小五郎、長州の志道聞多(井上馨、1836-1915)、久坂玄瑞(1840-1864)、松島剛蔵(1825-1865)、中村九郎(1828-1864)、佐々木男也(おとや、1836-1893)、寺島忠三郎(1843-1864)、藩世子・毛利定広(元徳、1839-1896)、その従者・神村斎宮(?-?)、長嶺内蔵太(渡辺内、1836-1865)、大和弥八郎(1835-1865)、土佐の武市半平太(1829-1865)、平井収二郎(1835-1863)、肥後の宮部鼎蔵(1820-1864)、住江甚兵衛(1825-1876)、山田十郎(?-?)、佐々木淳次郎(?-?)、河上彦斎(1834-1872)、対馬の多田荘蔵(?-?)、津和野の福羽美静(ふくば-よしず、1831-1907)、水戸の梶清次右衛門(1821-1865)、下野隼人次郎(?-?)、金子勇次郎(?-?)、住谷七之允(?-?)、高畑孝蔵(?-?)、山口徳之允(?-?)、大胡聿蔵(だいご いつぞう、1822-1865)、岡部藤助(?-?)、林五郎三郎(1832-1864)、西宮和三郎(?-?)、大野謙助(?-?)、川又才助(1813-1878)、林長左衛門(?-?)、赤須銀蔵(?-?)ら多数が集まる。攘夷の期限を幕府に求め、討幕も議題になる。
 6月17日、長州藩・桂小五郎、久留米藩・真木保臣(1813-1864)らが集う。
 6月の「翠紅館会議」で、天皇親政のために攘夷の方策が具体的に検討された。8月13日には、第121代・孝明天皇の大和行幸の詔書が発令され、攘夷は頂点に達する。だが、急進派、穏健派の対立が激化した。八月一八日の政変により公武合体派は、長州藩と急進派公卿を朝廷から追放した。このクーデターにより急進七卿、攘夷派が失脚させられ、公武合体派が主導権を握った。
◆文化財 翠紅館広間に掲げられている「翠紅館」の扁額は、三条実美による。
 紅葉の間の扁額は、建仁寺派管長・東山(竹田)黙雷(ひがしやま-もくらい、1854-193)の書「徳潤身」による。
◆建築 「翠紅館広間」は、西本願寺門主の居間として使われていた。欄間の材は黒檀で、西本願寺様式による。
 「紅葉の間」は、中庭「紅葉谷」に面し「透月の池」の上に張り出す。床の間は檜の一枚板、 床柱は桜の木、違棚は、醍醐寺三宝院の写しであり、壁と違棚の間に空間がある。床間の天井は真、行、草の形になる。
 ほかに、葵の間、富貴の間などがある。
◆茶室 「胡廬庵(ころあん)」、薮内流家元の茶席「燕庵(えんなん)」の写し「翠紅庵(すいこうあん)」がある。
 桐の間は、茶席「不白庵(ふはくあん)」であり、四畳半に次の間(二畳)、茶席、露地庭がある。
◆庭園 中庭は「紅葉谷」と呼ばれ、「透月の池」がある。慶長年間(1596-1615)、東光寺の頃に作庭されたという。「翠紅館名所十三影」には、「透月の池、水面に映りし月影に赴きあり」とある。
◆文学 江戸時代の歌人・熊谷直好(くまがいな-およし、1782-1862)は、「翠紅館八景」と称えた。「嵐峡春花」には、「かしこくも 君がながめにかかるとは 知るや嵐の遠山桜」と、遥かに西の嵐山の桜を詠じている。
 この地からは、鴨川、大井川(桂川)の二流、愛(愛宕山)、嵐山、淀・山崎付近まで見渡すことができたという。(『都林泉名勝図会』)
◆樹木 西本願寺の家紋は「下がり藤」のため、歴代門主は敷地内の4カ所に、藤を植えた。翠紅館広間から見える藤棚は、樹齢150年になる。
 「臥龍松(がりょうまつ)」は、樹齢160年以上であり、幹に亀甲模様がある。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 駒札、『昭和京都名所図会 1  洛東 上』『京都幕末維新かくれ史跡を歩く』『京都大事典』、ウェブサイト「京大和」、ウェブサイト「日本掃苔録」、ウェブサイト「ROSSさんの大阪ハクナマタタ」 、ウェブサイト「コトバンク」   



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map 翠紅館跡 〒605-0826 京都市東山区桝屋町356
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