堀河天皇 火葬塚 (京都市北区)  
cremation mound of Emperor Horikawa
堀河天皇 火葬塚 堀河天皇 火葬塚
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「堀河院天皇御火葬所兆域原標」の石標
 等持院東町に平安時代後期の第73代・堀河天皇火葬塚(ほりかわ てんのう かそうづか)がある。
◆歴史年表 平安時代、1107年7月19日(新暦8月9日)、堀河天皇は堀河院で亡くなった。7月24日、香隆寺(こうりゅうじ)の坤(ひつじさる、南西)の、野の山作所で火葬にされた。7月24日、遺骨は、香隆寺の僧房に安置された。(『帝王編年記』)
 江戸時代、1862年-1863年、文久の修陵に際して、一条天皇陵とともに、現在の堀河天皇陵(右京区)が修陵された。火葬塚は、四角塚(しかくづか、北区等持院東町)とされた。
◆堀河天皇 平安時代後期の第73代・堀河天皇(ほりかわ てんのう、1079-1107)。善仁(たるひと)。第72代・白河天皇の第2皇子。母は関白・藤原師実の養女・贈皇太后・賢子(けんし)。1085年、第71代・後三条天皇の遺子・皇太子・実仁(さねひと)親王が病死した。白河天皇は、後三条天皇の第3皇子・輔仁(すけひと)親王を差置き、1086年、8歳の善仁親王を立太子と同時に即日譲位した。外祖父で関白・師実が摂政になる。白河上皇が院政を敷き、院政の始まりといわれる。以後、17年間は東宮も置かれなかった。1087年、後三年の役が終了している。1089年、元服した。1099年、康和の荘園停止令により、新立の荘園が停止される。1105年以降、病がちになる。1107年、堀河院で亡くなる。
 関白・藤原師通、藤原通俊、大江匡房らが補佐し、僧徒の蜂起を制止した。政務は「末代の賢王」(『続古事談』)と称賛された。19歳年上の中宮・篤子内親王(後三条天皇皇女、堀河天皇の叔母)の影響もあり和歌を好み、歌人・源国信、藤原俊忠、源俊頼らにより堀河院歌壇を形成した。『堀河院艶書合』『堀河院百首』などが催された。勅撰集『金葉集』に収められた。笙、笛、神楽にも優れた。典侍・藤原長子の『讃岐典侍日記』は、天皇の死に至るまでの1カ月を回想している。29歳。
 陵墓は後圓教寺陵(右京区)になる。火葬塚(北区)がある。
◆火葬塚 塚域は方形であり、ほぼ南面している。土盛があり周囲に堀、南中央に拝所が設けられている。
 平安時代、1107年7月19日(新暦8月9日)、堀河天皇は堀河院で亡くなる。香隆寺の坤(ひつじさる、南西)の、野の山作所で火葬にされた。7月20日に拾骨され、当初は円融院内に埋葬予定になっていた。この地が3年間の凶方とされ、7月24日、遺骨は、香隆寺の僧房に仮安置された。(『帝王編年記』)。また、同様に、当初は円融院山陵に遺骨安置しようとして方角を忌み、3年ほど香隆寺に安置されたという。(『中右記』)。火葬地は船岡山の辺りともいう。塚が築かれ上に石卒塔婆が立てられた。1113年3月22日、遺骨は、仁和寺の円融院に遷された。(『百錬抄』)
 江戸時代、元禄年間(1688-1704)、陵所、火葬塚についても諸説があった。1862年-1863年、文久の修陵に際して、一条天皇陵とともに、現在の堀河天皇陵(北区)が陵として修陵された。火葬塚は四角塚(しかくづか、北区等持院東町)とされた。
 火葬塚は、かつての火葬場所になる。古代-中世には、火葬塚も陵墓に準じるものと考えられていた。最も格式の高い葬法であり、公式には天皇と近親者に限られた。火葬後に遺骨は別の墳墓に納められた。火葬地の施設を取り除いた後に土を盛り、石卒都婆を立てた。釘貫(くぎぬき、木戸)を建て四面に溝を掘った。(『吉事略儀』) 


71 後三条天皇(在位:1068-1072)→72 白河天皇 (在位:1072-1086)→ 73 堀河天皇 (在位:1086-1107) →74 鳥羽天皇 (在位:1107-1123)


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『検証 天皇陵』『天皇陵 謎解き完全ガイド』『歴代天皇125代総覧』『京都市の地名』『歴代天皇年号事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 堀河天皇 火葬塚  〒603-8343 京都市北区等持院東町
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