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上西門院 花園東陵(統子内親王花園東陵) (京都市右京区) Imperial mausoleum of princess Josaimonin |
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上西門院 花園東陵 | 上西門院 花園東陵 |
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![]() ![]() ![]() 「後白河天皇准母 統子内親王花園東陵」の石標 ![]() ![]() ![]() |
法金剛院の北東にある上西門院花園東陵(はなぞの-の-ひがしのみささぎ)には、平安時代後期の皇族・上西門院(じょうさい-もんいん)が葬られている。 統子内親王花園東陵、鳥羽天皇皇女尊称皇后統子内親王花園東陵、後白河天皇准母統子内親王花園東陵などとも呼ばれている。 ◆歴史年表 鎌倉時代、1189年、7月20日 、上西門院は亡くなる。遺言により三昧堂下(五位山中腹、花園西陵)に葬られた。 ◆上西門院 平安時代後期-鎌倉時代前期の皇族・上西門院(じょうさい-もんいん、1126-1189)。女性。名は恂子(じゅんし)、尊称皇后・統子(とうし)、法名は真如理。父・第74・鳥羽天皇、母・藤原璋子(待賢門院)の第2皇女。第77代・後白河天皇の姉。京都の生まれ。1126年、生後間もなく内親王の宣下を受ける。1127年、准三宮、2歳で賀茂斎院に卜定される。1129年、斎院に入った。1132年、病により退下(たいげ)した。1145年、母・待賢門院の没後、遺領の仁和寺法金剛院領(後の上西門院領)を受け継ぐ。1155年、弟・雅仁親王(後白河天皇)が即位する。1158年、未婚内親王のまま、弟・後白河天皇の准母として尊称・皇后宮になる。母を偲び法金剛院に入寺する。1159年、院号宣下を受けて女院(上西門院)になる。1160年、平治の乱で、後白河院とともに内裏の一本御所に幽閉された。弟・仁和寺御室覚性入道親王を戒師とし、法金剛院で出家し真如理と称した。東御堂(丈六阿弥陀堂)を建立した。64歳。 遺言により三昧堂下(現在の五位山中腹)に葬られた。陵墓は花園東陵(右京区)にある。 絶世の美女と謳われた。和歌を好み、歌壇を築き、側近に女性歌人・上西門院兵衛、建春門院平慈子らがいる。 ◆陵墓 陵墓は市道に接した石段上にあり東面している。 鎌倉時代前期、1189年7月20日 、上西門院は亡くなる。遺言により三昧堂下(現在の五位山中腹、花園西陵)に葬られた。 74 鳥羽天皇 (在位:1107-1123)→75 崇徳天皇 (在位:1123-1141) →76 近衛天皇 (在位:1141-1155) →77 後白河天皇 (在位:1155-1158) *原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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