西行寺跡・火消地蔵尊 (京都市伏見区)  
The ruins of saigyo-dera Temple
西行寺跡・火消地蔵尊 西行寺跡・火消地蔵尊
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火消地蔵


火消地蔵


「西行寺」の石碑


「火消地蔵尊」の石標
 白河天皇陵の北に地蔵堂がある。「火消地蔵」と呼ばれている。かつてこの付近に西行の邸宅があり、後に西行寺(さいぎょうでら)が開かれた。
◆歴史年表 平安時代、1137年頃、西行が鳥羽院の下、北面の武士になった頃、この付近に邸宅があったという。
 江戸時代、庵室があり、西行寺と呼ばれた。境内には月見池、剃髪堂があったという。(『雍州府志』『拾遺都名所図会』)
 近代、1878年、西行寺は、観音寺(伏見区)に併合され、廃された。
◆西行 平安時代末期の真言宗の僧・西行(さいぎょう、1118-1190)。佐藤義清(のりきよ)。 紀州生まれともいう。秀郷流武家藤原氏の出自。父・左衛門尉康清は検非違使の職にあった。母は監物源清経の娘。16歳頃、徳大寺実能に仕え、1135年、兵衛尉(左兵衛府の第三等官)に任ぜられる。1137年、鳥羽院の下、北面の武士になる。1140年、妻子を捨て出家、円位、後に西行とも称した。鞍馬山、1141年、東山山麓、嵯峨に移る。1144年頃(1147年とも)、奥羽、 1149年頃、高野山に庵を結ぶ。1168年、中四国、高野山、1177年、伊勢国二見浦、1186年、東大寺再建の勧進を奥州藤原氏に行うため2度目の奥州、伊勢国の漂泊で多くの歌を詠む。途中、鎌倉で源頼朝に初対面する。1189年、河内国の弘川寺(大阪府河南町)に庵を結び亡くなる。西行庵(東山区)で没したともいう。
 平清盛と親交したという。歌人・寂然(藤原為業)、歌人・藤原俊成と親しく、和歌に秀で『新古今和歌集』に94首入集。歌聖と呼ばれた。生涯で2000首以上も詠んだという。恋歌が多く鳥羽上皇皇后との禁断の恋に破れたともいう。桜を愛で多くの歌を残す。故実に通じ、武芸、蹴鞠も秀でた。
◆観音寺 観音寺(伏見区竹田内畑町278)はこの地の東にある。西行法師像という坐像が安置されている。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』、ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 西行寺跡・火消地蔵尊 〒612-8447 京都市伏見区竹田西内畑町87
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