若宮八幡宮 (若宮神社) (京都市北区)
 
Wakamiya-hachimangu Shrine
若宮八幡宮  若宮八幡宮
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 若宮八幡宮(わかみや はちまんぐう)は、若宮神社とも呼ばれている。石清水八幡宮(八幡市)を本宮とする若宮になる。この地は、平安時代の清和源氏の総領・源頼光(みなもと の よりとも)の屋敷跡とされる。 
 祭神は清和源氏の祖、平安時代前期の第56代・清和天皇を祀る。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、当社は源頼光(948-1021)の邸内に祀られていた鎮守社という。(社伝)
 近代、1868年、氏子の嘆願により廃社を免れ、指定村社になる。以後、神輿渡御が廃される。
 1930年、区画整理により南向きの社殿を、現在の東向きに変えた。
清和天皇
 平安時代前期の第56代・清和天皇(せいわ てんのう、850-881)。第55代・文徳天皇と藤原良房の娘明子の子。名は惟仁。水尾帝(水尾天皇)、水尾御門とも呼ばれた。850年、兄の3親王(惟喬、惟条、惟彦)を差し置いて生後8カ月で立皇太子となる。858年、9歳で即位し、後見した外祖父・藤原良房(804-872)が人臣(臣下)最初の摂政(正式には866年以降)となった。876年、天皇は27歳で譲位し、879年、出家、素真と称した。円覚寺で落飾し、清和院(平安左京北辺四坊)に移ったという。畿内巡幸の旅へ出て、天台宗の名刹・水尾山寺に入寺した。京都に戻り、良房の養子・藤原基経の粟田山荘(のち円覚寺)で没した。30歳。
 金戒光明寺裏山に火葬塚があり、経塚とされている。嵯峨水尾山に葬られた。後世、武門の棟梁となる清和源氏の始祖とされた。
◆源頼光 平安時代中期の武将・源頼光(みなもと の よりとも、948-1021)。満仲の嫡男。摂津源氏の祖。摂津、伊予、美濃などの受領を歴任。内蔵頭、左馬権頭、東宮権亮、第67代・三条天皇に仕えた。藤原摂関家に接近し、988年、摂政・藤原兼家の二条京極第新築祝宴に客人に馬30頭を贈る。1018年、道長の土御門第新造の際に調度品一切を負担した。
 美濃守の時、隣国の尾張守・大江匡衡と書簡を交わした。(『本朝文粋』巻7)。邸(平安京左京一条)に、道長の異母兄・藤原道綱を婿に迎え住まわせた。伝承として、東宮の命で御堂の西に寝ている狐を蟇目の矢で射たという。渡辺綱ら頼光四天王を率い酒呑童子を退治したという。
◆若宮町 周辺の町名に若宮の名を残している。12町で若宮組氏子を形成した。
◆年間行事 例祭(9月15日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『あなたの知らない京都の歴史』


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