常盤井 (京都市北区) 
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「常盤井 願以至功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」(観無量寿経)



 常盤井(ときわい)は、住宅街の旧御輿(みこし )街道の北側に残されている。現在は、湧水はない。 
 源義経の母・常盤御前(ときわ ごぜん)のゆかりの井水ともいう。
◆歴史年表 詳細は不明。
 平安時代、この付近に源義朝(1123-1160)の邸宅があり、常盤御前(1137-?)が住み源義経(1159-1189)を産んだともいう。井水は常盤御前が愛したため名の由来になる。ただ、信用難しともいう。(「山州名跡志」)
 鎌倉時代、西園寺実氏(さいおんじ さねうじ、1194-1269)の邸宅「常盤井殿」があり、その井戸ともいう。(「拾遺都名所図会」)
 江戸時代、1672年、清水宗善は井枠に「常盤井」と刻み碑を立てた。
◆常盤御前
 平安時代末期の女性・常盤御前(ときわ ごぜん、1137-?)。詳細は不明。秀麗の人という。近衛天皇皇后・九条院藤原呈子(ていし)の雑仕女となる。16歳で源義朝の側室となり、今若、乙若、牛若(義経)らを産む。1159年、平治の乱で義朝が敗れ謀殺された。1160年、常盤御前は3人の子とともに平清盛の追手から逃れ大和に匿われた。母を平氏に人質としてとられ、六波羅へ子連れで自首した。清盛に見初められ、子らの命を救うために妾となる。子と別れ、一女・廓御方(左大臣藤原兼雅女房)を産む。後に、清盛の世話により大蔵卿・藤原長成に嫁ぎ、能成ら数人を産んだという。晩年は一人で生まれた常盤に暮らしたという。
◆西園寺実氏 鎌倉時代前期の公卿・西園寺実氏(さいおんじ さねうじ、1194-1269)。常盤井相國と号す。父は准三宮太政大臣西園寺公経。母は一条全子。1206年、遠江介、1208年、左近衛中将。1210年、美濃権介年、1211年、従三位・参議に叙任。1212年、近江権守年、1217年、讃岐権守、1218年、権中納言・左衛門督。1219年、将軍源実朝が暗殺された鶴岡八幡宮での右大臣拝賀の儀式に参列した。承久の乱の際には後鳥羽上皇の命令で父公経とともに幽閉された。1222年、従二位・右近衛大将に叙任。1231年、内大臣、1235年、右大臣、1246年、太政大臣、関東申次・院評定衆も務める。娘・大宮院が第88代・後嵯峨天皇の中宮、公子は第89代・後深草天皇に入内した。「続後撰和歌集」などに収録。
◆常盤井 常盤井は京都の名水として知られた。「都の七井」(「菟>芸泥赴(つぎねふ)」)、「北京の九井」(「雍州府志」「名所都鳥」)の一つといわれ、茶人に愛された。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『あなたの知らない京都の歴史』


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