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雲祥院 〔妙心寺〕 (京都市右京区) Unsho-in Temple |
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雲祥院 | 雲祥院 |
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妙心寺境内北に塔頭・雲祥院(うんしょう-いん)がある。 臨済宗妙心寺派。東海派。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 安土・桃山時代、1598年、武将・上杉景勝の家臣・千坂宗策(ちさか-むねもり)が亀仙庵(きせんあん)を創建した。(『妙心寺史』)。また、細川氏家臣・長岡是庸(ながおか-これつね)が、105世・海山元珠を開祖として創建したという(寺伝、「寺院明細帳」)。 後、衰微する。(『妙心寺史』) 江戸時代、1615年、徳川家康により智積院に払い下げになった祥雲院に憤り、住持・海山は妙心寺の自坊に戻り、庵を雲祥院に改める。武将・小幡昌忠が前田家の援助により再興したともいう。(『妙心寺史』) 近代、1878年、瓊林院(けいりん-いん)に合併され、雲祥院の院号が残された。 1909年、全焼した。 その後、再建されている。 ◆千坂 宗策 安土・桃山時代の武将・千坂 宗策(ちさか-むねもり、?-?)。詳細不明。男性。上杉景勝の家臣。対馬守。1598年、亀仙庵(きせんあん)を創建したという。 ◆長岡 是庸 安土・桃山時代の武将・長岡 是庸(ながおか-これつね、?-?)。詳細不明。男性。細川氏家臣。1598年、亀仙庵(きせんあん)を創建したという。 ◆海山 元珠 安土・桃山時代-江戸時代前期の僧・海山 元珠(かいざん-げんじゅ、1566-1642)。詳細不明。男性。南化玄興(なんか-げんこう)の弟子。祥雲禅寺の2世住持になった。1614年、方広寺梵鐘銘事件の際に、五山僧の中でただ一人、徳川家康の言い掛りに対し、「愚にもつかない誤り」と発言した。1615年、豊臣家滅亡後、家康による豊国社、祥雲寺の破却が行われる。海山は、師・南化玄興の木像を背負い、棄丸木像を胸に抱き、棄丸の遺品類も携えて妙心寺に戻った。自坊「亀仙庵(きせん-あん)」を祥雲寺の祥雲を逆さにして「雲祥院」と変えた。家康に無言の抵抗を続けたという。 弟子に鉄牛(1567-1615)がいる。 ◆小幡 昌忠 江戸時代前期の武将・武将・小幡 昌忠(?-?)。男性。1615年、前田家の援助により雲祥院を再興したともいう。 ◆瓊林院 瓊林院(けいりん-いん)は、江戸時代前期、1617年、武将・熊谷半次(直盛、なかつぐ)が鼇山(ごうざん)を開祖に請じて創建した。当初は桂林院(けいりん-いん)と称した。後に荒廃する。江戸時代中期、1757年、筑紫久留米城主・有馬頼ゆきが再建した。 東海派下独派、南化下所属の塔頭、院禄を有する24塔頭の一つという。(『正法山誌』) ◆祥雲禅寺・雲祥院 安土・桃山時代、1589年に、豊臣秀吉(1537-1598)の側室・淀殿(1567-1615)は棄丸(鶴松、1589-1591)を産む。だが、1589年旧8月5日に、棄丸は3歳で夭逝した。 妙心寺での棄丸の葬儀後に、1591年に秀吉は愛児の菩提のために、寺院建立に着工した。1592年/1593年、方広寺大仏殿裏手(現在の智積院境内)に臨済宗の祥雲禅寺(祥雲寺/東山天童山祥雲寺)を創建した。京都所司代・前田玄以(1539-1602)が普請奉行になり、大仏殿坊舎の一部も流用された。「京都第一の大寺(都一番の寺)」と謳われる。開山は妙心寺の高僧・南化玄興(1538-1604)による。寺名は棄丸の法名「祥雲院殿玉巌麟公神童」に因んだ。 1593年に3回忌が営まれる。建物内部は、玄以により長谷川等伯(1539-1610)一門の障壁画で飾られた。1596年、寺領300石が寄進される。棄丸遺品の玩具船・倶利伽羅龍守刀なども寄進された。1598年、秀吉没後、無住になり伽藍は焼失した。 江戸時代前期、1615年の豊臣家滅亡後、祥雲禅寺は、徳川家康(1543-1616)により智積院日誉(1556-1641)に下げ渡される。寺号は「禅」の字を取り「祥雲寺」になる。寺を追われた祥雲寺2世・海山元珠(かいざん-げんじゅ、1566-1642)は、師・南化玄興木像を背負い、棄丸の木像(遺骨とも)を胸に抱き、棄丸の遺品を携えて妙心寺に戻ったという。自坊「亀仙庵(きせん-あん)」を祥雲寺の「祥雲」を逆さにして「雲祥院」と変えた。家康に無言の抵抗を続けたという。 妙心寺塔頭・玉鳳院に棄丸は埋葬され、境内の祥雲院殿霊屋(おたまや)に眠る。遺愛の鎧・守り刀も遺されている。妙心寺塔頭・隣華院には祥雲寺より移された棄丸の木像がある。 1682年に祥雲寺は焼失した。等伯親子らが描いた障壁画は現在、智積院に収蔵されている。 *原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『妙心寺』、『秀吉の京をゆく』 、『京都戦国武将の寺をゆく』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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