七観音院 (京都市東山区)
Shichikannon-in Temple
七観音院  七観音院
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「後鳥羽…」、字が消えており不明。
 住宅地に東面して七観音院(しちかんのんいん)が建つ。門を閉ざしていることが多い。正式には如意輪山浄仏寺という。
 明算真言宗、本尊は如意輪観世音菩薩。
◆歴史年表 鎌倉時代、1194年、第80代・高倉天皇妃・七条院殖子(しょくし)が、天皇持仏の如意輪観世音菩薩を、当初、烏丸通六角(中京区七観音町)の地に遷して創建したという。護持院と呼ばれた。開基は澄憲ともいう。(『京都府地誌』)
 その後、持仏の六観音も遷され安置したことにより七観音院と呼ばれた。
 室町時代、浄土宗に改める。
 応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失した。
 文明年間(1469-1487)、再建される。
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、豊臣秀吉の命により京極中御霊(上京区)に移される。
 江戸時代、1663年、現在地に再移転した。
 1685年、洛陽三十三所観音の8番札所とされた。(『京羽二重』)
◆七条院 平安時代後期-鎌倉時代前期の女性・七条院(1157-1228)。名は殖子(しょくし)、法名は真如智。京都の生まれ。父は後白河院近臣・修理大夫(贈左大臣)・藤原信隆、母は藤原休子。当初、第80代・高倉天皇中宮・平徳子(建礼門院)に仕え兵衛督局といわれた。高倉天皇の典侍として、1179年、第2皇子・守貞親王(後高倉太上天皇)、1180年、尊成(たかひら)親王(第82代・後鳥羽天皇)を産んだ。1183年、後鳥羽天皇の即位により、1190年、従三位を授けられ、三宮に准じられる。院号宣下を受け七条院と称した。1205年、出家し、真如智と称した。72歳。
 国母として権勢を有した。鳥羽天皇より水無瀬殿など多くの七条院領を譲られる。姪・西御方(坊門信清の娘)が後鳥羽との間に産んだ道助法親王を猶子として養育した。  
◆澄憲 平安時代後期-鎌倉時代前期の天台宗の僧・澄憲(ちょうけん、1126-1203)。通称は安居院法印。藤原通憲(信西)の七男、母は高階重仲の娘。子に聖覚、勅撰歌人・八条院高倉。珍兼に天台教学を学び、比叡山北谷竹林院、里房の安居院(あぐい)に住した。1159年、平治の乱で父に連座し、下野国に配流された。すぐに許され宮中の最勝講、後白河法皇などの法会で導師をつとめた。1174年、最勝講で祈雨法を修し、功により権大僧都に任じられる。1177年、天台座主・明雲(みよううん)の伊豆配流に随伴し、一心三観を相承した。1183年、法印になった。晩年、京都一条・安居院に住み、妻帯した。唱導(説法)で布教した。著『言泉集』『澄憲作文集』。78歳。
 説法の大家、安居院流唱導の祖と称され、子・聖覚に継がれる。「四海大唱導一天名人也」と謳われた。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都古社寺辞典』、『京都大知典』 、ウェブサイト「コトバンク」   


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七観音院 〒605-0824  京都市東山区南町421  
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