伊藤仁斎宅・古義堂跡 (京都市上京区)
Former Residence of Ito, Jinsai
伊藤仁斎宅・古義堂跡 伊藤仁斎宅・古義堂跡
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「史蹟 伊藤仁斎宅(古義堂)跡ならびに書庫」、1924年建立 








「植えおかん 庭の老松 年を経ば われも偲ぶ 人もこそあれ」仁斎
 堀川の東、東堀川通の東側一角に、江戸時代の市井の儒者・伊藤仁斎(いとう -じんさい)の生家がある。源氏塀に沿い「史蹟伊藤仁斎宅古義堂(こぎどう)阯並書庫」の石標が立つ。国の史跡に指定されている。 
 江戸時代、堀川を隔てた対岸には、儒者・神道家・山崎闇斎の闇斎塾も開かれていた。
◆歴史年表 江戸時代、1627年、伊藤仁斎はこの地に生まれる。
  1662年、この地に私塾「古義堂(こぎどう)」を開いた。
 1673年、焼失する。
 1705年、仁斎が亡くなる。長男・東涯が古義堂を継ぐ。
 1890年、現在の書斎が再建された。
 近代、1906年、古義堂が閉じられる。
 1941年-1945年、仁斎、古義堂の蔵書、手稿本などは天理大学附属天理図書館に一括移譲される。現在、「古義堂文庫」として保存公開されている。
◆伊藤仁斎  江戸時代前期の儒者・伊藤仁斎(いとう-じんさい、1627-1705)。幼名は源七、名は維貞、維楨(これえだ、維)、字は源佐、源助(げんすけ)、初号は朱子『敬斎箴(けいさいしん)』より敬斎、古学先生、棠隠、通称は鶴屋七右衛門。京都に生まれた。父は、京都堀川、勘由小路(かでのこうじ)の上層町衆で材木商・長沢屋長勝(七右衛門、号は了室)、母は連歌師・里村紹巴の孫・那倍(なべ)。親族・姻族に角倉了以、本阿弥光悦、尾形光琳・乾山らがいる。幼少より朱子学を学ぶ。儒学者・松永尺五に学んだ。1655年、松下町に隠棲し陽明学から仏老の教えに入り白骨観法を修めた。29歳で家業を弟に任せる。1658年、朱子学より離れ、『仁説』を書き仁の本質は愛として号を仁斎に改めた。1662年、家に帰り、鶴屋七右衛門を襲名する。堀川の自宅に塾「古義堂」開く。1683年、源佐維楨に改める。著『童子問』『孟子古義』など。79歳。
 学派は堀川学派・古義学派と称された。初め朱子学に心酔した。その後、四書のうち、朱子らの注釈は孔孟の古義に背くとして、原典『論語』『孟子』の聖人の道を求めることを主張した。社会身分秩序、秩序の主宰者に帰向する義・敬を退けた。儒教を社交的倫理の学として相異を超えた仁愛を尊んだ。全国から門弟を集め3000人にのぼる。大石良雄もいた。
 子に東涯(とうがい)、梅宇(ばいう)、介亭(かいてい)、蘭嵎(らんぐう)らがおり、いずれも儒学者になる。東涯と蘭嵎は「伊藤(堀河)の首尾蔵(しゅびぞう)」と称えられた。仁斎の没後は、長男・東涯が塾を継ぐ。墓は二尊院(右京区)にある。
◆伊藤東涯 江戸時代前期-中期の儒者・伊藤東涯(いとう-とうがい、1670-1736)。名は長胤(ながつぐ)、字は原(元)蔵。源蔵、別号は慥々斎(ぞうぞうさい)、諡は紹述(しょうじゅつ)先生。京都生まれ。父・伊藤仁斎の長男、母・嘉那は尾形光琳・乾山の従姉。異母弟に儒学者・伊藤介亭。父に儒学を学ぶ。1705年、父・仁斎の死後、「古義堂」の2代目として継承した。父の遺した著書の編集・刊行を門人たちと協議して行う。著『古学指要』『弁疑録』など多数。67歳。
 博覧強記で、父の学説を継承し、残存した朱子学的要素を一掃し大成させた。中国・日本を対比した制度史、語学、史学、考証学、博物学、経学、文学、文法なども新たに拓く。新井白石・荻生徂徠らと親交し、奥田士享・篠崎東海ら多くの子弟を育成した。三男・善韶(東所)が古義堂を継承した。
◆建築 当初の建物は、2階建土蔵造りの書庫のみになる。
 建物は度々の火災で焼失し、現在の8畳、書斎などは、近代、1890年に再建されている。
◆文化財・古義堂文庫 1941年-1945年に、仁斎、古義堂の蔵書、手稿本などは天理大学附属天理図書館に移譲された。「古義堂文庫」として保存・公開されている。
 資料は 「古義堂文庫目録」として整理されている。稿本類の『論語古義』『童子問』『名物六帖』、伊藤家累代の著述資料、旧蔵書、和漢の思想、歴史、文学、書誌学など5500点10000冊に及ぶ。
 仁斎関係として、肖像、日記、書簡、手澤本、書画、草稿、著述書、文集、詩集、和歌集、遺品などがある。
 蔵本中の『欧陽文忠公集』(国宝)は、『古義堂文庫目録』(1956)として公刊された。
 ほかに古義堂関係、東涯関係、東所(1730-1804)関係、門人帳、東里(1757-1817)以後の歴代関係、古義堂旧蔵本などがある。
 現在、伊藤仁斎旧宅には、わずかに仁斎愛用の鼻眼鏡、硯、夏羽織、木製の枕などが遺されている。
◆松 庭にクロマツ(京都市指定保存樹)が植えられている。「見越しの松」と呼ばれている。伊藤仁斎の手植えという。「植ゑおかん庭の老松年を経ばわれをも忍ぶ人もこそあれ」と詠じたという。
 

*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『増補版 京都の医史跡探訪』、『京の医学』、『京都府の歴史散歩 上』、『京都大事典』、『京都 歴史案内』、『京都隠れた史跡100選』、『昭和京都名所図会 5 洛中』 、ウェブサイト「天理図書館」、ウェブサイト「コトバンク」   


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伊藤仁斎宅・古義堂跡 〒602-8045 京都市上京区四町目197,東堀川通出水下ル東側   
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