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観世寺 (京都市西京区) Kansei-ji Temple |
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観世寺 | 観世寺 |
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![]() ![]() 本堂 ![]() 本堂山号扁額「大悲山」 ![]() ![]() ![]() ![]() 北向地蔵尊 ![]() 北向地蔵尊、安産、延命の信仰を集める。 ![]() ![]() |
観世寺(かんせい-じ)は桂川の南、上野橋近くの住宅地にあり、朱に塗られた本堂が目に入る。山号は大悲山(だいひ-ざん)という。 西山浄土宗粟生光明寺派、本尊は阿弥陀如来像、札所本尊は聖観世音立像。 京都洛西観音霊場(洛西三十三所観音霊場)第27番札所。 ◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。 鎌倉時代、1226年、勝月房(慶政)が松尾山南に法華山寺(峰ヶ堂、峰ノ堂)を建立した。この寺が前身という。 鎌倉時代-南北朝時代、正慶年間(1332-1333)、兵火により焼失した。焼失を免れた阿弥陀如来像、聖観音像が現在地に遷される。 現代、1965年、現在の本堂が再建される。 1978年、廃れていた洛西三十三所観音霊場めぐりが再興された。 ◆慶政 鎌倉時代前期-後期の天台宗寺門派の僧・慶政(けいせい、1189-1268)。勝月房(しょうげつぼう)。九条良経の子、道家の兄。嬰児の時の障がいがあり仏門に入ったという。園城寺(三井寺)の能舜、慶範、延朗に師事、明恵にも学ぶ。1208年頃、西山に隠棲した。1217年、宋へ渡り明恵に音信を送る。一切経などを招来した。1218年、帰国、1226年、西山に法華山寺を建立した。1222年、仏教説話集『閑居友』を著す。『続古今和歌集』以下の勅撰集に入集。 ◆仏像 本堂の本尊「阿弥陀如来像」(85㎝)は、平安時代作という。 「聖観音菩薩立像」は、南北朝時代作になる。 右脇壇の「地蔵菩薩立像」(95㎝)は、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。延命地蔵であり、西山峰ヶ堂の遺仏ともいう。 「毘沙門天像」、「閻魔坐像」、室町時代の「多聞天像」などが安置されている。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』、『洛西三十三所観音霊場』、『昭和京都名所図会 4 洛西』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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