本妙寺 (京都市左京区)
Hommyo-ji Temple
本妙寺  本妙寺
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「鬼子母善神」の石標


 「赤穂義士墓 当山ニアリ」の石標




本堂、重層造、屋根の部分が二層に重なる。


本堂


宝物館(義士堂)


鐘楼


矢ツ車留吉の碑、京都相撲の力士

 東大路通の東、仁王門通に面して本妙寺(ほんみょうじ)がある。境内に、赤穂浪士四十七士のうちの3人の合祀石碑があり、「赤穂義士の寺」、「義士の寺」とも呼ばれている。山号は祥光山(しょうこうざん)という。 
 日蓮宗妙覚寺派、本尊は題目釈迦多宝仏を安置する。京の通称寺霊場25番、赤穂義士の寺。
◆歴史年表 鎌倉時代、1315年、日蓮により京都布教を遺言された日像が、岩倉の代官・渡辺氏の帰依により、その自邸を寺としたことに始まる。
 安土・桃山時代、1574年、妙覚寺18世・日典が現在地の西、京極新烏丸丸太町付近(中京区)に創建したともいう。
 江戸時代、1704年、綿屋(安田)善右衛門は、赤穂浪士の父子・吉田忠左衛門・吉田澤右衛門、貝賀弥左衛門夫妻の合祀碑を立てた。
 1708年、宝永の大火により類焼した。
 1728年、現在地(左京区)に移る。6世・日迢、7世・日正により現在の本堂が再建された。
 近代、1930年、貝賀友信(弥左衛門)の子孫、9代目・斎藤トラが赤穂義士の遺品、遺墨を本妙寺に奉納した。義士堂(宝物館)が建立される。
 現代、1993年、義士の合祀石碑が修復され、新たな合祀石碑が復元、建立された。
 1994年、本堂の瓦葺替工事の際に棟札が発見される。
日像 鎌倉時代の日蓮宗の日像(にちぞう、1269-1342)。肥後房、肥後阿闍梨。下総国に生まれた。7歳で日蓮の六大弟子のひとり日朗に師事した。1275年、身延の日蓮の弟子になり、日蓮が経一丸と命名し本尊を授与する。1282年、日蓮没後、日朗に再び師事。北陸を経て、1294年、入洛、日蓮の遺命により日蓮宗最初の京都弘通(ぐつう、布教)、宗義天奏(天皇への布教)を行う。松ヶ崎・歓喜寺(妙泉寺)、洛西・真経寺、深草・極楽寺(宝塔寺)を日蓮宗に改宗させた。町衆に信徒拡大し、一時の京都は「法華題目の巷」と呼ばれた。1307年頃、乙訓山崎付近で布教を行う。比叡山延暦寺などの圧力により、1307年、土佐配流、1308年、紀伊流罪、1321年、洛内追放と3度の弾圧と赦免「三黜三赦(さんちつさんしゃ)の法難」を受ける。1311年、妙顕寺を開創し、教団発展の礎を築く。深草・宝塔寺に葬られる。
 一門は四条にあったことから四条門流と呼ばれた。1358年、弟子・大覚の祈雨の功により菩薩号が贈られた。
◆大覚 鎌倉時代-南北朝時代の日蓮宗の僧・大覚(?-1364)。詳細不明。大覚大僧正、妙実上人とも称した。関白・近衛経忠卿の子、第96代・後醍醐天皇皇子ともいう。真言宗僧から日像の弟子になる。妙顕寺2世。本妙寺の鬼子母神像は大覚作という。
◆日典 安土・桃山時代の日蓮宗の僧・日典(にちでん、生没年不詳)。詳細不明。日朗の弟子、九老僧の一人。大円阿闍梨日。京都・妙覚寺の18世住持になる。
◆吉田兼亮 江戸時代前期の武士・吉田兼亮(よしだ かねすけ、1640-1703)。父は笠間藩主浅野長直の家臣・吉田之貫。母は備中松山藩水谷家家臣・貝賀左門の娘。通称は忠左衛門。子に吉田兼貞(三男・嫡男)、弟に貝賀友信。赤穂浪士四十七士の一人。赤穂藩で足軽頭・郡代(群奉行)、1645年、浅野家の赤穂移封に伴い、吉田家も赤穂に移る。浅野家中の甲州流軍学者・近藤正純、近藤正憲に甲州流軍学、水沼久太夫から槍を学ぶ。1686年、赤穂浅野家の飛領・播磨国加東郡の郡代。1701年、主君・浅野長矩が江戸城松之大廊下で吉良義央に刃傷後、筆頭家老・大石良雄派として行動する。大石の義盟にも加わる。開城後、藩政残務処理を遠林寺であたる。その後、播磨国三木町に移る。1702年、江戸に下り、吉良義央への仇討ちを主張する急進派説得にあたる。田口一真の変名で江戸に留まり、情報を京都の大石に伝える。大石の江戸下向時の滞在の手配をする。吉良義央の屋敷討入に際し、裏門隊の大将・大石良金の後見にあたる。討入り後、大目付・仙石久尚の屋敷へ出頭し口上書を提出、吉良家の隣家・土屋逵直邸に報告をした。その後、大石とともに熊本藩主・細川綱利の下屋敷お預けになり、細川家家臣・雨森房親の介錯で切腹。墓は主君・浅野長矩ともに高輪・泉岳寺にもある。
◆吉田兼貞 江戸時代前期の武士・吉田兼貞(よしだ かねさだ、1675-1703)。吉田兼亮の三男だが兄2人が亡くなり嫡男。母は熊田新八の娘・りん。通称は沢右衛門(さわえもん)。赤穂浪士四十七士の一人。家督前の部屋住み、浅野家お家断絶後、父・兼亮と行動を共にした。1702年、吉良邸討入りの際に表門隊につく。その後、長府藩毛利家に預けられ、毛利家家臣・進藤為右衛門の介錯で切腹。29歳。高輪泉岳寺にも墓がある。
◆貝賀友信 江戸時代前期の武士・貝賀友信(かいが とものぶ、1650-1703)。父は吉田之貫、母は貝賀左門女。兄に吉田兼亮。綿屋善右衛門の甥。通称は弥左衛門。赤穂浪士四十七士の一人。1661年頃、母の弟・貝賀新兵衛の養子になる。赤穂藩の中小姓・蔵奉行、1701年、主君・浅野長矩の刃傷後、家老・大石良雄派として行動し、誓紙血判の義盟に加わる。赤穂城落去後、浅野家お出入り商人・綿屋善右衛門邸に身を寄せ、山科の大石良雄へ連絡などを行う。江戸下向後、町人喜八郎として八丁堀湊町の片岡高房借家に入る。1702年、吉良邸討入りで表門隊に属し、門の警戒にあたる。その後、松平定直の屋敷お預けとなり、松平家家臣・大島半平の介錯で切腹。高輪泉岳寺にも墓がある。
◆綿屋善右衛門 江戸時代の商人・綿屋善右衛門(わたや ぜんえもん、生没年不詳)。吉田兼貞(沢右衛門)は甥にあたる。京呉服商(上京区一条通智慧光院東入ル)。赤穂藩のお出入り商人で、1701年、赤穂藩取りつぶしの後、浪士を支援した。友信、妻・おさん、娘・お百が屋敷に寄宿し、1702年、討入後は妻子の世話をした。1703年、友信らの切腹後、善右衛門は本妙寺を菩提寺とし、1704年、友信らを合祀供養したという。
 浄瑠璃・歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」(1748)では「天川屋義平」が登場し、「義平」は善右衛門をモデルにしたともいう。墓は聖光寺(下京区)にある。
◆多田南嶺 江戸時代中期の神道家・浮世草子作者・多田南嶺(ただ なんれい、1698-175)。桂秋斎、多田義俊などとも称した。摂津国多田の人という。各神道を学び、中川自卜から垂加流、有職故実は壺井義知(鶴翁)に学ぶ。国学、語学、歌学、文献考証などの造詣深く著書多数。晩年、八文字屋より浮世草子も執筆した。墓は本妙寺にある。
◆横山晴暉 江戸時代後期の画家・横山晴暉(よこやま せいき、?-1864)。京都の人。松村景文、江村春浦に学び、四条派、号は霞城。墓は本妙寺にある。
◆神像 「鬼子母神像」は、鎌倉時代-南北朝時代の日蓮宗僧・大覚(?-1364)の作という。日像が開眼したという。子供守護、安産守護の信仰がある。
◆建築 「本堂むは、江戸時代、1728年、6世・日迢、7世日正により現在に再建された。重層造で、大屋根の上に小屋根が載る。
 「義士堂(宝物館)」は、近代、1930年に建立されている。
◆文化財 宝物館(義士堂)には、赤穂義士関連の遺品が保管されている。
 綿屋善右衛門は討入り後、重要書簡類を焼却処分し、残りを貝賀友信(弥左衛門)の娘・お百に託したという。1930年、友信の子孫9代目・斉藤トラが、赤穂義士、大石内蔵助の書、遺品5点、遺墨70点余りを当寺に寄進した。
 現在、宝物館(義士堂)には、四十七義士の木像、友信が使っていたという手槍、善右衛門が義士たちと交わしたという書状、かつて墓地にあった友信らの旧合祀石碑が保管されている。
◆義士墓 赤穂浪士の合祀石碑が立つ。貝賀友信(弥左衛門)は、赤穂藩のお出入り商人、京呉服商の綿屋善右衛門の屋敷(上京区一条通智慧光院東入ル)に妻と娘と寄宿したという。友信は善右衛門に、討入り後の妻子の世話を依頼した。善右衛門は、貝賀家が代々法華宗だったことから同宗の本妙寺を菩提寺と定めた。
 善右衛門は、赤穂浪士四十七士切腹後、吉田兼亮(忠左衛門)とその子・吉田兼貞(沢右衛門)、兼亮の弟・貝賀友信(弥左衛門)の遺髪を得る。さらに、1704年に病死した友信の妻・おさんの遺髪を石碑に納め合祀供養した。現在、石碑は風化のため、義士堂に移されている。
 1993年、墓地に新たな義士の合祀石碑が復元され立てられている。石に4氏の戒名、右側面に「浅野内匠頭家来墓 元禄十六(1703年)癸未二月四日」、左側面に「宝永元年(1704年)四月二十三日 施主綿屋善右衛門」と刻まれている。
◆墓 赤穂藩のお出入り・綿屋善右衛門が建立した赤穂義士四十七士の吉田兼亮(忠左衛門)、吉田兼貞(沢右衛門)、貝賀友信(弥左衛門)・おさん夫妻の合祀石碑1基がある。
 ほかに、江戸時代中期の神道家・多田南嶺(桂秋斎)、江戸時代の画家・横山晴暉、江戸時代後期の儒者・佐々木庸徳が葬られている。
◆年間行事 新年祝祷会(1月1日)、涅槃会(2月15日)、灌仏会(4月8日)、春彼岸会(3月)、盂蘭盆会(8月18日)、秋彼岸会(9月日)、御会式(11月3日)、鬼子母神御火焚祭(11月18日)、元禄義挙記念祭(法要、宝物館の1日限定公開)(12月14日)、除夜の鐘(12月31日)。
  鬼子母神祭(毎月8日)。

*義平・利兵衛・善右衛門の関係?
1 「天川屋義平」=天野屋利兵衛
2 「天川屋義平」=天野屋利兵衛=綿屋善右衛門
3 天野屋利兵衛≠「天川屋義平」=綿屋善右衛門



*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都大事典』『京都府の歴史散歩 中』『京都の寺社505を歩く 上』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』『事典 日本の名僧』 『京都隠れた史跡100選』


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