在原業平邸跡 (京都市中京区)
Ruins of Ariwara no, Narihira
在原業平邸跡 在原業平邸跡 
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「在原業平邸址」の石標



【参照】「業平父母塔(五輪塔3基)」(西京区)、左奥が業平、中央が母、右手前が父。
 間之町通御池下ル東側に「在原業平邸址(ありわらの-なりひら-ていあと)」の石標が立つ。
 平安時代、この地には、歌人・六歌仙の一人だった在原業平の邸宅があったという。 
◆歴史年表 平安時代初期、この地(平安京左京四坊三町)には、歌人・在原業平(825-880)の屋敷があったという。敷地は現在の五条通も含み、石標の位置は敷地中央のやや上になる。
◆在原業平 平安時代前期-中期の歌人・在原業平(ありわら-の-なりひら、825-880)。通称は在五(ざいご)中将、在中将。第51代・平城天皇の皇子・阿保親王の5男、母は第50代・桓武天皇の皇女・伊都(登)内親王。妻は紀有常の娘。826年、兄・行平とともに在原姓を賜る。841年、右近衛将監、右馬頭、845年、左近衛将監(さこんえのしょうげん)、847年、蔵人、863年、左兵衛権佐、864年、左近衛権少将、865年、右馬頭(うまのかみ)を歴任し、872年、鴻臚館(こうろかん)に遣わされ渤海使の慰問にあたる。877年/875年、従四位上右近衛権中将になった。879年、蔵人頭になる。家集『業平集』。56歳。
 藤原氏に反発し、奔放な生活を送る。美男であり、様々な伝説を生んだ。第55代・文徳天皇の皇子・惟喬親王に親しく仕えたという。恋愛関係にあっ た二条后・藤原高子の引き立てを受けたという。斎宮恬子(てんし)との恋愛もあったという。『伊勢物語』の主人公ともいう。色好み「昔男」は業平ともいう。新しい和歌を生んだ歌人の一人であり、『古今集』以下の勅撰集に入集。六歌仙、三十六歌仙の一人に数えられた。邸宅は、中京区高倉通姉小路上ル付近にあったという。
◆業平の遺跡 京都市内には、複数の在原業平ゆかりの遺跡がある。
 十輪寺(西京区)の業平塔(宝篋印塔)・塩竈跡、西方寺(西京区)近くに「業平父母塔(五輪塔3基)」といわれるものがある。業平を祀る恵比須神社末社・岩本社(東山区)吉田山の竹中稲荷神社(左京区)近くには「業平塚」と伝わるものがある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『続・京都史跡事典』、『京都事典』 、ウェブサイト「コトバンク」


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map 在原業平邸跡 〒604-8181 京都市 中京区綿屋町,間之町通御池下ル東側 
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