玉井・蛙塚 (綴喜郡井手町)  
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玉井・蛙塚 玉井・蛙塚
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「井堤蛙旧蹟」の石標

玉井跡


「蛙塚」の石碑




「玉井寺跡」の石標

 井手町井手玉ノ井にある玉川保育園の北東に「井堤蛙旧蹟(いで-かわず-きゅうせき)」の小さな石標が立つ。玉井(たまのい、玉ノ井、玉ノ井泉)という井水が残されている。
 かつて、付近に玉井寺(ぎょくせいじ)があった。近くに玉井があり、蛙が棲んでいたという。
◆歴史年表 平安時代、井手は歌枕(玉井、山吹、蛙)の地として有名になる。
 1001年頃、玉井は、明泉として記されている。(『枕草子』)
 文治年間(1185-1190)、奈良(大和)街道の道つらに「玉の井」があると記されている。(『袖中抄(しゅうちゅうしょう)』13巻)
 鎌倉時代、1280年-1292年、街道沿いの「玉の井の水」について記されている。(『中務内侍日記』)
 江戸時代、付近に玉井寺(ぎょくせいじ)があった。
 1768年、現在の蛙塚が立てられた。
 近代、1872年、玉井寺は廃寺になる。(『京都府地誌』)。庭内か近くにあった玉井(井出の玉水)、蛙塚のみは残った。
 1926年、井堤蛙旧蹟の石標が立てられた。
◆玉井寺 玉井寺は江戸時代に覚音阿闍梨により創建された。真言宗で、本尊は聖観音という。近代、1872年、廃寺になる。
 庭内か近くに玉井(井出の玉水)があり、蛙塚も残された。
◆玉井 玉井は、奈良(大和)街道の道筋にあり、旅人が利用していた。名泉として『枕草子』(1001)にも挙げられている。「玉井」「井手玉水」は同じともいう。
 その場所については諸説ある。水無に玉井寺があり、堂前の古池を「玉の井」と呼んだという。(『山城名跡志』)。寺の南庭にあったという。(『山城名勝志』)。寺の庭内にあったともいう。(『都名所図会』)。
◆井手の蛙・蛙塚 井手の蛙(いでのかわず)は、井手の玉川にすむカジカガエルで、古くより知られていた。
 平安時代後期-鎌倉時代の歌人・随筆家・文学者・鴨長明(かも-の-ちょうめい、1155?-1216)の歌論書『無名抄』(1211?)にも記されている。
 井手の蛙は、大きさは普通の蛙と同じであり色は黒い。あまり飛びはね、歩かず、常に水の中に潜む。夜が更けると物哀れな声で鳴くという。
 1953年の水害により死滅したという。一部に復活したともいう。
 蛙塚についての伝承がある。かつて奈良前期の官人・歌人・橘諸兄(たちばな-の-もろえ、684-757)は、この地に3本足のカジカガエルを埋めたという。
◆歌 「玉井」「井手玉水」は、歌枕にもなっており、多く詠まれている。
 井手を歌った和歌の中で、平安時代後期の公卿・源師時(みなもと-の-もろとき1077-1136)「玉の井咲けるを見れば山吹の花こそ春の盛りなりけれ」(『堀河百首』)、平安時代中期の公家・歌人・藤原道信(ふじわら-の-みちのぶ、972-994)「我ならぬ人に汲ますな行きずりのむすびおきつる玉の井の水」(『家集』)などがある。
 蛙に関するものは83首あるという。 「井堤蛙旧蹟」の石標右側面に、平安時代前期の歌人・紀貫之(き-の-つらゆき、?-945)の「音にきく井堤の山吹みつれども 蛙の聲は かわらざりけり」(『家集』)
 平安時代前期-中期の官吏・歌人・藤原興風(ふじわら-の-おきかぜ、?-?)の歌碑が立てられている。「あしひきの山吹の花散りにけり 井出のかはづは今や鳴くらむ」(『新古今和歌集』)



原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 『京都府の地名』『昭和京都名所図会 7 南山城』、ウェブサイト「井手町」、ウェブサイト「 日本伝承大鑑」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 玉井・蛙塚 〒610-0302 京都府綴喜郡井手町大字井手玉ノ井
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