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隆彦院 (京都市東山区) Ryugen-in Temple |
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隆彦院 | 隆彦院 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 玄関 ![]() ![]() 本堂 ![]() 渡り廊下 ![]() 渡り廊下よりの景色 ![]() 庫裏 ![]() 脚本家・作詞家・関沢新一の墓 |
渋谷通りより北へ路地奥に隆彦院(りゅうげん-いん)はある。山号を大非山(だいひざん)という。 浄土宗、本尊は阿弥陀如来。 尼寺霊場第31番札所。 ◆歴史年表 安土・桃山時代、1587年、豊臣秀吉は富永町(下京区)に寺を集める。空誉は、勝円寺を建立した。 1588年、空誉は、勝円寺塔頭の一つとして境内に隆彦院を創建する。 江戸時代、1788年、天明の大火により勝円寺、塔頭・隆彦院、普恩院、良松庵が類焼した。 1789年、隆彦院は再建される。その後、荒廃する。 近代、1909年、現在地にあった求浄院(馬町通本町東入瓦役町)に合併された。求浄院の素善尼、素順尼は、寺を整備し、隆彦院の本尊・阿弥陀仏を迎え、寺号も隆彦院と改めた。 ◆安誉 室町時代後期-安土・桃山時代の浄土宗の僧・安誉(?-? )。詳細不明。1504年、勝円寺の開山になる。1588年、隆彦院の開山になった。 ◆関沢 新一 近現代の脚本家・関沢 新一(せきざわ-しんいち、1920-1992)。男性。京都府の生まれ。脚本家として東宝の特撮『キングコング対ゴジラ』(1962)、アクション『暗黒街の対決』(1960)など多数の作品を手がけた。作詞家として美空ひばりの「柔」、都はるみの「涙の連絡船」などがある。鉄道写真家、鉄道模型愛好家でもあり、雑誌『蒸気機関車』の初代編集長も務めた。72歳。 ◆求浄院 求浄院(現在地、馬町通本町東入瓦役町)は、江戸時代中期、1768年、比叡神社(日枝神社?、上賀茂神社?)の社家・梅辻家の娘・白誉素蓮尼により創建されたという。 ◆建築 境内は国道一号線のバイパスのすぐ傍に位置する。東に深い谷、山が迫り、本堂より南の庫裏へは渡り廊下により繋がる。 ◆御詠歌 「錦雲の 渓に求めし 浄き心 阿弥陀仏と 居ませし庵」。 ◆墓 脚本家・関沢新一の墓がある。 ◆年間行事 花まつり・春期祠堂施餓鬼会(4月12日)。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 隆彦院縁起、『京都市の地名』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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