宝生院 (京都市東山区)
Hosho-in Temple
宝生院 宝生院
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 宝生院(ほうしょういん)は、三島神社の北にある。
 天台宗、本尊は毘沙門天立像を安置している。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 かつて、方広寺(東山区)境内にあった。蓮華王院(三十三間堂)の守護のための別当寺(神社に付属して置かれた神宮寺)だった。 
 近代、1869年、旧地が恭明宮(きょうめいぐう)の用地になり、一時、妙法院に合併になる。同年、現在地に再興されたともいう。
◆仏像 本尊「毘沙門天立像」(141.5㎝)(重文)は、平安時代後期作になる。後白河上皇(第77代、1127-1192)の念持仏という。
 頭部は小さく、童顔、体躯は力量あふれる。鎌倉風の様式もみられ折衷期の作になる。彩色、一木彫。京都国立博物館保管。
◆文化財 「後白河院肖像」がある。
◆恭明宮 平安時代中期以来、京都御所の黒戸(くろんど)に、天皇皇后の位牌、念持仏を祀っていた。近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈以後、黒戸は廃される。皇室歴代の位牌、念持仏は、宮中より霊牌殿の「恭明宮(きょうめいぐう)」に奉安されることになる。東京遷都に際し、天皇に随行しなかった宮中女官の居住施設も兼ねた。
 方広寺跡地(東山区、現在の京都国立博物館敷地の西北部)が予定地になる。1870年に地鎮、1871年、水薬師寺(下京区)の一室を恭明宮仮殿として遷座した。公卿・中御門経之(1821-1891)が恭明宮御用掛に任じられた。寝殿造の大規模な恭明宮が完成し、位牌・念持仏を遷座、宮内省の管轄になる。 左右には女官のための局も建てられていた。この時、宝生院、方広寺の鐘楼が撤去されている。
 その後、恭明宮は荒廃する。1873年、廃止になった。泉涌寺(東山区)に霊牌殿、位牌・念持仏も遷された。 仏像仏具は水薬師寺(下京区)に遷されている。
 1875年、豊国神社の造営が始まり、1876年、恭明宮の建物は京都府に移管される。恭明宮の住居棟の一部は仮社務所に使われた。1878年までに恭明宮は売却される。付属建物の一部は、京都盲唖院(1878年に開校)に移築された。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『昭和京都名所図会 1 洛東 上』『京都大事典』、ウェブサイト「発掘調査で見つかった恭明宮  京都市埋蔵文化財研究所」


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map 宝生院 〒605-0921 京都市東山区瓦役町515,渋谷通東大路東入ル 075-561-5280
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