法明院 〔三井寺北院〕 (滋賀県大津市)
Homyo-in Temple
法明院 〔三井寺北院〕  法明院 〔三井寺北院〕 
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客殿、唐破風


客殿


客殿、大瓶束と左右の笈形


庫裏




書院





茶室「時雨亭」


鐘楼、梵鐘はない。




庭園、池泉


宝塔、四角の基礎、円形の塔身、笠、相輪からなる。






法華塔



加藤知多雄の歌碑



「きらり」の碑





桜井敬徳の墓、銅像


フェノロサの墓


ビゲローの墓


ビゲローの石碑


Gaston Migeon France


ジェイムス・ホートン・ウッズ博士の供養塔


境内東の眺望、琵琶湖、山々が見える。



長等山(354m)、境内の裏(西)に聳える。
 大津市の法明院(ほうみょういん)は園城寺(三井寺の北、長等山[354m])の中腹に位置している。境内は深い森に包まれ、東に琵琶湖や近江富士と讃えられる三上山などを望むことができる。
 園城寺の北院、塔頭の一つであり、山号は唐土山という。律院ともいう。かつて存在した延暦寺の安楽律院に対し、「三井の律院」と呼ばれ多くの学僧を輩出した。境内墓地に日本美術研究者のフェノロサ、その友人・ビゲローが眠る。
 天台寺門宗総本山。本尊は阿弥陀如来。 
◆歴史年表 江戸時代初期、1653年、創建された。天台密教の修行道場になる。
 霊元法皇(第112代、1654-1732)が修学院離宮からこの地へしばしば訪れたという。離宮から楓、梅を移植したともいう。
 その後、一時廃絶する。
 1723年、義端律師により中興される。天台密教戒律の修業道場になる。比叡山の安楽院と共に並び称された。
 1724年、落成する。
 1794年、顕道敬光は、法明院に遷り住した。
 1861年、桜井敬徳が9世に就く。
 近代、1868年、フェノロサが来日した際に、法明院の「時雨亭」に仮住した。
 1883年、元老院議官・町田久成は、桜井敬徳を拝して八斉戒を受く。
 1885年 フェノロサ、ビゲローは法明院で敬徳により受戒する。
 1889年、町田久成は敬徳より大乗菩薩沙弥戒を受ける。
 1896年、フェノロサ夫妻は法明院を再訪している。メアリー夫人は直林寛良より戒を受け、法名を光瑞と授与される。
 1909年、フェノロサ(法名・諦信)の遺骨を葬る。
 1928年、ビゲロー(法名・月心)の遺骨を葬る。
 現代、1965年、庫裡を修理する。
◆義瑞性慶 江戸時代前期-中期の天台宗の僧・義瑞性慶(ぎずい-しょうけい、1667-1737)。俗姓は井上、字は義瑞。近江(滋賀県)の生まれ。6歳で三井寺(園城寺)支院・光浄院に入り、8歳で摩訶止観を読み説く。16歳で母親を亡くし出家する。園城寺の亮慶(りょうけい)に入門し、妙立(みょうりゅう)、宥雅(ゆうが)らに学ぶ。1701年、志賀山寺の方丈浄厨に移り住む。1704年、妙宗鈔を講じ、光謙の曹釈筆記を斥ける。1705年、弁内外二境弁を著し、光謙の内外二境弁を破す。説法に優れ、1708年、志賀山近郊で念仏会の勝蓮社を起こし、一万人余を集めたという。1714年、『内外境観二百難』3巻を著し、霊空の弾拾遺を斥ける。1723年 、法明院を中興し園城寺の律院とした。1728年、霊元法皇(第112代)を招き浄土の法要を問う。「近江の名師」と仰がれた。著『天台四教儀直解』など多い。71歳。
 法明院の開山堂に像が安置されている。直筆の額「観空庵」も所蔵している。
◆敬光 江戸時代中期-後期の天台宗の僧・敬光(けいこう、1740-1795)。俗姓は伊佐、字は顕道、号は藕峰、恋西子。山城(京都府)の生まれ。園城寺の敬雅に師事し、他宗派の教義、儒学を修学した。小乗律兼学を唱える延暦寺の安楽一派に反論し、天台の再興に務めた。1778年、梵網具足戒を誓授し比丘になる。三聖二師の宗風に帰ることを唱えた。「台宗学則」を作る。晩年、園城寺法明院住職になる。著『円戒指掌』『山家正統学則』など。56歳。
◆越溪敬長  江戸時代後期の天台宗の僧・越溪敬長(えっけい -けいちょう)。俗姓は金山、字は智遠、号は越渓。出雲(島根県)の生まれ。園城寺の学僧で、敬光に師事し、跡を継ぎ法明院6世になる。58歳。
 法華、円頓戒も学び、天台教学の復興した。
◆桜井敬徳 江戸時代後期の天台宗の僧・桜井敬徳(1834-1885)。尾張(愛知県)の生まれ。10歳で出家する。1845年、恵心僧都の読経用心に発願し法華経百部を誦した。1850年、園城寺(三井寺)に入り、法明院・敬彦和尚に謁した。信濃、三河、相模を遊歴し、その後、三井寺に戻り、1856年、敬彦により受戒した。1861年、9世・法明院住職になる。1872年、教務省教導職になり各地を伝導した。1880年、伝導灌頂を受け阿闍利になる。1883年、奈良・東大寺戒壇院で農商務省博物館長・町田久成に円頓菩薩戒を授けた。1885年、東京の町田宅(法明院とも)で、フェノロサ、ビゲロー、ウッズに菩薩戒を授けた。51歳。
 法明院墓地に銅像と墓がある。
◆円山応挙 江戸時代後期の画家・円山応挙(まるやま-おうきょ、1733-1795)。丹波国(京都府)の農業・丸山藤左衛門の次男。1740年頃、近くの金剛寺に小僧として入る。1747年、15歳で呉服屋「岩城」、後に京都四条通柳馬場の高級玩具商「尾張屋中島勘兵衛」に入る。13-14歳で上京したともいう。17歳頃(15歳とも)で上京し、狩野派・石田幽汀に絵を学んだともいう。1759年、西洋渡来の覗き絵(浮絵)を制作する。遠近法を取り入れた風景画のからくり「眼鏡絵」の制作に携わる。1763年頃、宝鏡寺の蓮池院尼公を知る。1765年頃、円満院門主祐常と親交した。1766年頃、「応挙」と改名し、「応挙」の落款を用いる。中国宋末から 元初の画家・銭舜挙に応ずるの意という。1773年頃、「雲龍図」(東寺観智院旧蔵)を描く。1775年、「平安人物志」に画家部第一位で記載され、京都四条麩屋町西入ルに住んだという。1786年、紀州無量寺の障壁画を描く。1787年、一門とともに大乗寺障壁画(兵庫県香住町)を描く。(第一期)。1790年、禁裏造営で一門により障壁画を制作した。 1795年、一門とともに大乗寺障壁画を描く。(第二期)。
 土佐派、琳派、南蘋派、西洋伝来の「のぞきからくり」により遠近法を学ぶ。狩野派の衰微に代わり、写生画の技法を取り入れ人気を博した。上田秋成、三井家の引き立てもあり、呉春、長沢蘆雪など多くの弟子も得た。豪商三井家の支援を受ける。代表作は、「雪松図」(国宝、1765)、「竹図屏風」(重文、1776)など、祇園祭月鉾の「草花図」、保昌山の「胴幕図」などもある。豪商三井家の支援を受ける。代表作は、「雪松図」(国宝、1765)、「竹図屏風」(重文、1776)など、祇園祭月鉾の「草花図」、保昌山の「胴幕図」などもある。弟子に呉春、長沢蘆雪など多い。
 悟真寺(四条大宮西入ル、後に右京区に移転)に葬られる。
 若年に園城寺長吏・祐常法親王の庇護を受ける。3年間、円満院に住した。
◆フェノロサ 近現代の哲学者・日本美術研究者のアーネスト・フランシスコ・フェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa,1853-1908)。法号は諦信。アメリカ合衆国マサチューセッツ州に生まれた。父はスペイン出身の音楽家だった。1874年、ハーバード大学を首席卒業する。1876年、大学院修了後、ケンブリッジ大学で哲学、神学、ボストン美術館付属絵画学校で絵画を学ぶ。動物学者・エドワード・モースの推薦により来日し、1878年-1886年、東京帝国大学で政治学、哲学、理財学を講じた。日本美術の収集研究を始める。1882年、竜池会での講演「美術真説」は、洋画排斥・日本画擁護を唱え反響を呼ぶ。1884年、日本画復興のために、岡倉天心らと「鑑画会」を結成した。政府の宝物調査団として、岡倉と共に奈良、京都の文化財を調査する。法隆寺夢殿を開扉させ、秘仏・救世観音を見出す。狩野派の狩野友信、狩野永悳らを見出し、彼らに古画の研究・鑑定法を教授され、永悳により一代の狩野永探理信の名号を授与される。1887年、岡倉と官立・東京美術学校(現・東京芸大)の設立に参画した。同校は、フェノロサの理念を具現化したとされる。1889年、東大を辞し、開校した東京美術学校で美術史の講義を行う。帝室博物館理事を務めた。1890年、帰国後、ボストン美術館中国日本部の主管になり、東洋美術、哲学、文学などの研究を続けた。1896年、所蔵浮世絵の写真を無断掲載により免職になる。再び来日し、東京高等師範学校講師として英語を講じた。1900年、コロンビア大学教授に就任した。 各地を講演旅行中にロンドンで急死する。著『美術真説』など。55歳。
 遺言により法明院に分骨され葬られた。没後、『東亜美術史綱』(1921)が刊行される。
 神仏分離令(1868)後の廃仏毀釈により、混乱していた日本美術の再評価、浮世絵版画の保護、困窮していた画家・狩野芳崖、橋本雅邦らを支援した。近年、フェノロサの周辺事情を含め、日本美術を買い叩いたとの否定的な評も出る。現在、収集した日本美術品は、ボストン美術館、フィラデルフィア美術館、フリーア美術館などに収蔵されている。
 法明院の桜井敬徳に師事し、1885年、ビゲローと共に受戒し、諦信の法号を受けている。1896年、夫人のメアリー・フェノロサと共に寺を再訪している。茶室「時雨亭」に宿泊するのを常とした。
◆メアリー・フェノロサ 現代のアメリカ合衆国の作家・メアリー・フェノロサ(Mary McNeil Fenollosa,1865-1954)。ボストン美術館で秘書、助手をしていた。フェノロサと再婚している。1896年、日本に滞在し受戒した。夫の死後、遺稿を整理し刊行した。4カ月の日本滞在を綴った『フェノロサ夫人の日本日記』がある。89歳。
◆ビゲロー 近代の日本美術研究家・医学博士・ウィリアム・スタージス・ビゲロー(Bigelow William Sturgis,1850-1926)。アメリカ合衆国マサチューセッツ州の生まれ。父は、ハーバード大学医学部教授。1871年、ハーバード大学、1874年、ハーバード医科大学卒業後、医師、ハーバード医科大学助手になる。1881年、辞職後、エドワード・モースとともに来日した。狩野芳崖、橋本雅邦ら画家を援助し、1898年、岡倉天心、早川雪舟などにより設立された日本美術院を支援した。76歳。
 日本美術の金工、漆工、染織、刀剣甲冑、能装束などを収集し、仏教研究も行う。没後、その遺言によりボストン美術館に寄付された。
 法明院の桜井敬徳師に帰依した。分骨され法明院のフェノロサの横に埋葬された。戒名は大慈院無際月心居士。
◆ウッズ 近代の宗教学者・ジェイムス・ホートン・ウッズ(?-?)。アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンの生まれ。ハーバード大学でギリシャ哲学を学ぶ。インド哲学研究によりヨーガスートラの英訳をする。1934年、天台密教研究のため来日した。法明院の直林敬範大阿闍梨より授戒する。法名は「円妙院正輝阿蘭若居士」。ヨーガ・スートラ(瑜伽経)はインド哲学の1派、ヨーガ学派の根本経典だった。法明院に供養塔が立つ。
 なお、ウッズは、宗教学者の岸本英夫(1903-1964)の恩師になる。岸本は兵庫県に生まれる。東大卒後、ハーバード大学に留学し、ウッズのもとヨーガスートラなどの研究を行う。東大助教授になり、戦後、連合国軍最高司令官総司令部民間情報教育局の宗教行政顧問を務め、危機に瀕していた神社神道を存続させた。その後、東大教授になる。
◆建築 客殿、書院、庫裏、茶室、鐘楼、山門が建つ。
 ◈客殿は大阪の豪商・加島屋7代目によって建立、寄進された。唐破風、入母屋造。
◆仏像 ◈本堂の阿弥陀如来は、鎌倉時代中期作になる。
 ◈不動明王は、藤原時代(平安時代中・後期)の作になる。
◆障壁画 ◈第四室に江戸時代、1765年頃の円山応挙(1733-1795)筆の襖絵「紙本墨画山水図」10面(市指定文化財)がある。1765年頃に、応挙と名乗る直前の仙嶺落款の作になる。巨岩に松樹、湖畔全景、騎乗する人物などが低い視点より描かれている。
 ◈客殿一の間に江戸時代、1765年頃作の池大雅(1723-1776)筆の襖絵「紙本墨画幽居図」8面(市指定文化財)がある。 内仏間に接した西側4面、二の間に接した北側4面があり、構図は屋舎から外を覗く高士の視線が、西側4面の山々に向けられている。一部に、後人の墨入れがある。
 ◈狩野派の鶴沢探山に学んだ江戸時代中期の大森捜雲の「紙本著色花鳥図」、ほかに鶴沢探索「紙本墨画淡彩群鶴図」、良々雨々「紙本墨画蓮池図」、勝山琢舟「紙本墨画琴棋書画図」、作者不詳「紙本墨画騎驢図」。
◆文化財 ◈フェノロサ・ビゲロー関連資料として、望遠鏡(パリ製)、地球儀、蓄音機(1887年製)、卓上ランプ、机・椅子(英国製)がある。
 ◈寄贈品として江戸時代「紙本著色花鳥図」、江戸時代の「 紙本墨画幽居図(襖貼付)」8面 、明治期(1868-1912)の「岡倉天心関係書簡」、昭和期(1926-1989)の「フェノロサ夫人書簡」2通、明治期の『敬徳大和上略伝』、大正期(1912-1926)の『東亜美術史綱』(上下巻木箱共)など。
◆庭園
 書院と茶室時雨亭の東に、池泉回遊式庭園がある。上段に芝生、わずかな景石を据え、植栽がある。眼下東に広がる琵琶湖を借景とし、遠景の近江富士(三上山)、伊吹山、比良山などを一望する。江戸時代前期の作庭という。
 一段下がった斜面地を利用し、下段に堤を築いた池泉「燈心池」がある。谷川の熊野川から水が引かれ、2つの中島が設けられ石橋が架かる。池端には楓などの植栽がある。現在、庭園はやや荒廃している。
◆唐土山 山号の唐土山は、宗祖・智証大師(円珍、814-891)が入唐後に、唐の土を持ち帰り長等山の峰に埋めたことから唐土山と呼ばれたことに因んでいる。
◆八百屋お七 江戸時代、歌舞伎や浄瑠璃の題材となった八百屋お七(1668?-1683)と知り合った寺小姓、吉三郎、後の「近江の志賀の里ぎずいと呼ばれる名僧」とは義瑞とする風説が流れた。義瑞は、江戸・吉祥寺へ出て八百屋お七と遭遇したという。まだ15歳のお七は、放火未遂の罪で捕らえられ、鈴ヶ森刑場で火刑に処された。井原西鶴が事件を『好色五人女』の巻4に採録し、さまざまな芝居に取り上げられた。
 法明院には、1744年に大坂奉行所に差し出されたという訴状の写しが残されている。義瑞の風評は事実無根、名誉棄損にあたるとして浄瑠璃本『潤色江戸紫』(為永太郎兵衛、浅田一鳥、豊岡珍平他作、1744)の絶版を訴えている。
◆碑  ◈「きらり」の碑は、現代の政治家・武村正義(1934- )の新聞連載記念という。
 
◈歌人・加藤知多雄の歌碑「形なき水をたたへてみづうみと呼ぶしづけさよ時雨のおくに」がある。1981年に立てられた。
◆墓 ◈桜井敬徳師の墓、銅像がある。
 ◈フェノロサの墓は左奥に遺愛品を納めた供養塔が立つ。
 ◈ウッズの供養塔がある。
 ◈フェノロサの親友・ビゲローの墓碑には次のように書かれている。
Here and in his native land.America,Lie the ashes of William Sturgis Bigellow,a follower of The Buddha.Known in religion as Gesshin Koji, a pupil of Sakurai Ajari,a supporter of Homyo-in, a doctor in medicine,a lover and collector of the Fine Arts of Japan,a recipient of the Order of the the Rising Sun.His life was distinguished by high thoughts,and good deeds by understanding and by the gift of sympathy.He was everywhere beloved and honored most by those who knew him best. April 4th, 1850- October 6th, 1926
 ◈次の墓碑がある。
The stone objects are dedicated by Gaston Migeon France ;Laurence Binyon Great Britain;Arthur Wesley Dow U.S.A ;Charles L. Freer U.S.A.
桜楓 境内に桜、楓が植えられている。


*内部の拝観は要予約
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『滋賀県百科事典』 、ウェブサイト「園城寺」、ウェブサイト「コトバンク」


新羅善神堂(大津市)   園城寺(三井寺)      関連安楽律院(大津市)     
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