松永稲荷社 (京都市上京区)
Matsunaga-inarisha Shrine
 松永稲荷社  松永稲荷社 
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「松永稲荷大明神」の扁額



「聚楽城鵲橋旧跡」の石標



鵲大明神の石碑



白玉大明神の石碑
 南清水町に松永稲荷社(まつなが-いなり-しゃ)がある。付近は、聚楽第の南西に位置していたといわれている。
 鵲(かささぎ)明神、水に関する白玉大明神が祀られている。 
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、この地は、平安京大内裏の左近衛府の跡地にあたっていたという。(『拾芥抄』) 
 近世(安土・桃山時代)、聚楽第遺構の南二ノ丸跡の南西に位置していた。
◆聚楽第 社前に「聚楽城鵲橋旧跡」の石標が立てられている。「鵲橋(しゃくはし/かささぎばし)」とは聚楽第(1587-1591)との関わりがあるという。聚楽第遺構の南二ノ丸跡の南西に位置し、庭園の池に架けられていた石橋を指しているともいう。
 なお、境内のある松屋町通出水上ルの南清水町(みなみ-しみず-ちょう)の地名は、上長者町下ルの清水町に対比されているという。伝承として、豊臣秀吉の茶の湯の水に使われたという「梅雨の井」が現在地の南にあることに因んだともいう。(『坊目誌』)。「梅雨の井」の詳細は不明ながら、聚楽第との関わりがあったとの伝承がある。異説もある。 
◆鵲橋 鵲(かささぎ)は、鳥綱スズメ目カラス科の1種で尾は長く黒い。腹は白く、ほかの部分は黒い。飛翔すると翼の先が開いて白く美しいことで知られている。「カチカチ」と鳴くので、戦勝の縁起を担ぐ勝烏(かちがらす)、烏鵲(うじゃく)、中国では喜鵲(きじゃく)の名もある。日本での生息域はきわめて狭く、現在は天然記念物に指定されている。
 中国の伝説として鵲は、陰暦7月7日の夜、年に一度だけ翼を並べ、牽牛、織女の星の間、天の川に橋を架けるという。淮南王劉安(前179-前122)が学者に編纂を命じた『淮南子(えなんじ)』からの引用であり、「烏鵲河を填(は)めて橋を成し、織女を渡らしむ」という唐代『白孔六帖』が出典とされている。
 この故事に因み鵲橋とは、男女の契りの橋渡し、男女が良縁で結ばれることを意味した。男の側から詠んだ「彦星の行合を待つかささぎのと渡る橋をわれにかさなん」(菅原道真)。また、宮中の階(きざはし、階段、段々)を「かささぎのはし」とも呼んだ。それを踏まえ、冬の季節に置き換えて「かささぎのわたせるはしに置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」(大伴家持、『新古今集」『小倉百人一首』)がある。
◆オハグロ狸・小川 近代、昭和期(1926-1989)初期まで、松原通東側に、ムクノキの大木2本が生えていたという。古くより「オハグロ狸」と呼ばれた狸が棲んでいた。狸に祈ると歯の痛みが治ったという。
 松原通には、小川(幅1m)が東から西に横切って流れていた。大雨が降ると近隣の家は床下浸水したという。1961年の下水道工事の際に、通り東側から石の欄干・擬宝珠などが出土したという。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都市の地名』、『日本地名大辞典 京都府上』、『文化財・史跡ウォーク 聚楽第と周辺ガイド』


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松永稲荷社 〒602-8108 京都市上京区南清水町   
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