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茶碗子の水(茶碗子の井戸)(京都市伏見区) Chawankonomizu(Well site) |
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茶碗子の水(茶碗子の井戸) |
茶碗子の水(茶碗子の井戸) |
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![]() ![]() 「茶わんこの井戸」の石標 ![]() 藤原俊成の歌碑 ![]() ![]() 地蔵尊 ![]() 地蔵尊 |
深草野手町(ふかくさ-のでちょう)の四辻南西に、「茶碗子の水(ちゃわんこのみず)」といわれる井戸が残されている。「茶碗子の井戸」とも呼ばれている。 京都名水の一つといわれ、いまも湧水がある。 ◆茶碗子の水 かつて、都に住む茶人は、茶の湯の水に宇治橋より汲み上げた宇治川の水を用いていた。 茶人は、水を汲んでくるようにと使いの者を遣る。使いの者は、帰り道に深草を通り、汲み上げてきた水をこぼしてしまった。やむなく、この茶碗子の水を持ち帰って素知らぬ顔をしていた。 主人は、いつもの水と違うことを見破っていた。使いの者に糺すと顛末を話した。主人は叱らず、宇治川の水よりも茶碗子の水の方が良い井水として褒めた。以後、使いの者は宇治までの遠出の必要がなくなったという。 ◆歌碑 井戸の傍らに、2つの句碑が並んで立つ。 ◈「夕されば 野辺の秋風 身にしみて うずら鳴くなり 深草の里」、平安後期の歌人・公卿・藤原俊成(ふじわらの-しゅんぜい、1114-1204)、『千載和歌集』秋上259、1188年頃の作になる。 ◈「ひとつとり ふたつとりては焼いて食ふ うづらなくなる 深草の里」、大田蜀山人(おおた-しょくさんじん)作とある。 蜀山人とは、江戸時代中期-後期の狂歌師・戯作者・大田南畝(おおた-なんぽ、1749-1823)になる。蜀山人は、俊成の歌を揶揄している。鶉(うづら)を焼いて一つ二つと食するから、いずれ「うづら鳴くなる(無くなる)」と茶化している。 ◆地蔵尊 敷地内に地蔵尊が安置されている。 ❊参考文献・資料 案内板 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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