海寶寺(海宝寺) (京都市伏見区)
Kaiho-ji Temple
海寶寺  海寶寺
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本堂


本堂

本堂


本堂




開ばん(木+邦)、魚ほう(開版)、魚、魚鼓ともいう。儀式の時を知らせるために打たれる。







 伊達街道に面し、桃山町正宗(まさむね)に海寶寺(かいほうじ、海宝寺)がある。山門には「普茶大本山開祖道場」の木札が掲げられている。山号は福聚山(ふくじゅざん)という。
 寺のある桃山町正宗の町名は、安土・桃山時代、仙台藩17代当主・伊達政宗(諱<いみな>、正宗)の伏見屋敷があったことに因む。 
 黄檗宗、本尊は聖観音菩薩。
歴史年表 安土・桃山時代、1592年、伏見城を築城した豊臣秀吉より、伊達政宗はこの伏見上屋敷の地を与えられた。政宗は秀吉に服属し、妻子、仙台藩家臣など常に約千名が屋敷に居住していたという。一帯は、伊達町とも呼ばれた。
 1595年より、政宗も数年間居住した。
 1601年、政宗は上洛した際にも約1年間過ごした。
 その後、天台宗の開法寺が建立されたという。
 江戸時代、享保年間(1716-1736)、黄檗宗萬福寺12代・杲堂元昶(こうどう げんちょう)が創建したともいう。
 1728年、黄檗宗萬福寺13代・竺庵浄印(じくあん じょういん)が開山した「開寶寺」をこの地に移し、「海寶寺」と改めて隠居寺としたともいう。
 1739年、幕命により竺庵浄印を寺に迎えた。「海寶寺」と改め黄檗の隠居所としたともいう。
 1786年、当寺は藤森の南最上町にあったともいう。(『拾遺都名所図会』)
 1790年、伊藤若冲は障壁画「群鶏図」を制作した。
 現代、2008年、木斛(もっこく)の後継樹の苗木が植えられる。
伊達政宗 室町時代(戦国時代)-江戸時代の武将・伊達政宗(だて まさむね、1567-1636)。伊達家16代当主・輝宗の子として出羽国に生まれた。幼くして、疱瘡により右目を失明し、後に「独眼竜政宗」とも呼ばれた。1584年、家督を相続し、17代当主となる。1589年、磐梯山麓・摺上原戦、1593年、朝鮮侵攻の文禄の役で、晋州城を落すなど数々の戦に参戦した。なお、この出陣上洛の際、伊達軍の戦装束は絢爛豪華としたものであり、都人は驚嘆し、以後、派手な装束の者を「伊達者(だてもの)」と呼ぶようになったという。1600年、関ヶ原の戦いに加わる。1613年、支倉常長を遣欧使節としてローマに派遣している。1614年、大坂冬の陣、翌1615年、大坂夏の陣にも加わった。豊臣秀吉、秀頼、徳川家康、秀忠、家光と歴代に仕えた。1626年、権中納言に任ぜられている。
 寺には、政宗の位牌が祀られている。
竺庵浄印 江戸時代の黄檗宗の僧・竺庵浄印(じくあん じょういん、1696‐1756)。清の湖州(浙江省)に生まれた。1723年、長崎の興福寺・杲堂元昶(こうどうげんちょう)の招きで来日し、同寺の住職となる。1727年、萬福寺13世となる。1739年、幕命により海寶寺に退隠し、梅隠と号し、水墨画を描いた。
 萬福寺に伝えられた普茶料理は、竺庵浄印が、享保年間(1716-1736)に復活した。
◆杲堂元昶 江戸時代中期の黄檗宗の僧・杲堂元昶(こうどう げんちょう、1663-1733)。万福寺12世。享保年間(1716-1736)、海寶寺を創建したという。
◆下村彦右衛門
 江戸時代中期の商人・下村彦右衛門(しもむら ひこえもん、1688-1748)。三郎兵衛兼誠の子。19歳で古着商「大文字屋」を継ぎ、宮川町の質屋と貸衣装の店を手伝った。1717年、伏見に小店舗を開き、大丸の創業となる。現金掛値なしの「現銀正札販売」商法を取り入れた。1726年、大坂心斎橋に共同出資の呉服店を開く。その後、名古屋店、京都柳馬場姉小路に仕入店、上之店、大丸総本店などを設けた。大丸百貨店の始祖。
 当寺には彦右衛門の木像がある。彦右衛門は竺庵に師事した。黄檗宗とつながる中国などの海外貿易にも進出したという。竺庵は、大丸商標「〇に大」は、「〇とは宇宙、大とは人と一の組合せ」であると説いた。以後、寺と大丸の関係が続く。
◆仏像 仏殿に本尊の「聖観音像」を安置する。
◆建築 仏殿、方丈が建つ。
◆文化財 方丈襖絵「群鶏図(ぐんけいず)」は、江戸時代の伊藤若冲(1716-1800)の晩年作とされる。当初、竺庵に画を描くことを申し出、断れたため次代の僧を待って描いたものという。水墨画であり、以後、若冲は筆を握らなかった。部屋は「若冲筆投げの間」と呼ばれた。現在は京都博物館所蔵。
 伏見城の白書院にあった豊臣秀吉の遺愛という「手水鉢」が方丈前にある。
◆石塔 竺庵浄印、杲堂元昶の石塔が立つ。
木斛 本堂脇に、政宗遺愛と伝えられる樹齢400年の木斛(もっこく、4.5m)がある。アカミの木ともいわれ、ツバキ科モッコク属。常緑中高木で、6-7月に芳香のする淡黄色の小さな5弁花を下向きに咲かせる。10月に球形の赤い実が熟する。
 2008年、木斛(もっこく)の挿木により後継樹の苗木が植えられる。一部は仙台市にも贈られた。
◆伊達町 伏見屋敷一帯は、伊達町(だてまち)と呼ばれていた。伏見屋敷はこの地に置かれた上屋敷のほかに、現在の深草東伊達町と、深草西伊達町の下屋敷の3か所あったという。
◆伏見城遺構 境内は周辺より3mほど高くなっている。これは、伏見城城下町の北側惣構土塁遺構といわれている。また、現在地は伊達家居館跡といわれ、伊達家は伏見城濠の樋門を守備していたため、寺地背後に「樋の址」が残る。
◆墓 開山杲堂、竺庵禅師の墓がある。
◆滞在型文化体験プログラム 2016年より、観光客向けの滞在型文化体験「いろはにほん(Experience the Soul of Japan 、非公開寺院滞在型文化体験・文化財保護プログラム)」を行う。日本財団、NPO法人京都文化協会、ハイアットリージェンシー京都が連携企画した。寺院に1泊2日で宿泊し、坐禅、読経、茶礼体験、住職との対話などを行う。当初は外国人を対象とし、将来的には日本人にも対応する。
普茶料理 寺では、普茶(ふちゃ)料理が頂ける。中国風の精進料理であり、法要後に出された料理を意味した。座卓に出された大皿の料理を皆で囲んで食する。精進天麩羅などの揚げ物が多く、「もどき料理」といわれる魚肉に見立てた野菜料理に特徴がある。太平洋戦争中と戦後に一時途絶えたが、先代住職・荒木幸山が復活した。
 4人から予約受け付ける。木曜日は定休。


*普段は非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『新版 京・伏見 歴史の旅』『京都府の歴史散歩 中』『昭和京都名所図会 6 洛南』『伏見学ことはじめ』『京都の地名検証 3』『京都大事典』『若冲の花』『大学的京都ガイド こだわりの歩き方』『京都隠れた史跡100選』『こころ美しく京のお寺で修行体験』


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【参照】周辺には伊達町の地名が残されている。

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 海寶寺 〒612-0856 京都市伏見区桃山町正宗(まさむね)20  075-611-1672
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