末多武利神社 (京都府宇治市)
Matafuri-jinja Shrine
末多武利神社  末多武利神社
50音索引,Japanese alphabetical order  Home 50音索引,Japanese alphabetical order  Home





 宇治川沿いの住宅地、さわらびの道に面して小社・末多武利神社(またふり-じんじゃ)が建つ。
 平安時代の公卿・藤原忠文を祀る。
◆歴史年表 平安時代、941年、参議・藤原忠文は、征夷大将軍として東国の平将門の乱平定に向かう。だが、その到着前に将門はすでに討たれていたという。そのため、大納言・藤原実頼(900-970)により恩賞の対象から外された。
 忠文は実頼を恨み、死後も一族の子女に憑りついて祟ったという。その怨霊を鎮魂するために祠に祀られたという。
◆藤原忠文 平安時代前期-中期の公卿・藤原忠文(ふじわら-の-ただぶみ、873-947)。宇治民部卿。参議・藤原枝良の3男、母は息長(おきなが)氏。宇治に所領があり、宇治民部卿と称した。摂津、丹波守などを歴任した。939年、67歳で参議になる。西国の藤原純友の乱では征西大将軍として鎮定している。940年、平将門追討のため征東大将軍に任じられ、すでに乱は鎮圧され京都に戻る。75歳。 
 功に恩賞が与えられなかったのを藤原実頼のためとし恨み、死後も実頼の子女に祟り、悪霊民部卿といわれた。正四位下。贈正三位中納言。
 宇治の富家殿で鷹を飼養し、宇治川で洗髪していたという。(『江談抄』)。
◆藤原実頼 平安時代中期の公卿・藤原実頼(ふじわら-の-さねより、900-970)。諡は清慎公、小野宮殿。京都の生まれ。藤原忠平の3男、母は第59代・宇多天皇の娘・源順子/右大臣・源能有(よしあり)の娘・昭子。915年、叙爵、右近衛権少将・中将、蔵人頭、右衛門督、検非違使別当を兼ねた。931年、参議、934年、中納言、938年、右近衛大将を兼任した。939年、大納言、944年、右大臣、945年、左近衛大将を兼任した。947年、左大臣になる。967年、安和の変で左大臣・源高明らを退け、貴族社会での藤原氏の覇権を確立した。第63代・冷泉天皇の関白、太政大臣、969年、第64代・円融天皇の摂政になる。以後、藤原氏の摂政・関白が常置された。970年、太政大臣になった。71歳。
 贈正一位。第55代・文徳天皇第1皇子・惟喬親王の屋敷小野宮邸に住み、小野宮殿、小野宮家とも呼ばれた。有職故実に詳しく、儀式作法の小野宮流の始祖になる。歌人であり、管弦に優れた。著に有職故実書『小野宮故実旧例』、歌集『清慎公集』など。塀に穴を開け果物を置き、集まる人の雑談を聞いて世情を知ったという。娘・慶子は第61代・朱雀天皇女御、述子は第62代・村上天皇女御になった。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』 、ウェブサイト「コトバンク」   


関連・周辺  周辺宇治上神社   周辺宇治神社   関連    
末多武利神社 〒611-0021 京都府宇治市宇治又振47    
50音索引,Japanese alphabetical order  Home   50音索引,Japanese alphabetical order  Home  
  © 2006- Kyotofukoh,京都風光