宇治上神社 (京都府宇治市) 
Ujigami-jinja Shrine
宇治上神社 宇治上神社
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表門


表門前の石橋






拝殿(国宝)、境内後方には仏徳山(大吉山)の深い森が広がっている。

拝殿、蟇股


拝殿


拝殿


拝殿、清めの砂



拝殿、母屋本屋根の軒先から、さらに庇を突き出す縋破風(すがるはふう)が見られる。 



本殿(国宝)は、覆屋に覆われている。


本殿


本殿、蟇股


本殿、平三斗(ひらみつど)




岩神さん



武本神社の権地。





摂社・春日神社(重文)



末社・香椎(かしい)社



末社・住吉社



末社・厳島社
 宇治川から東へ坂を登ると、仏徳山の麓に宇治上神社(うじかみ-じんじゃ)はある。かつて、宇治(うちの)神社、また、下社と合わせて宇治離宮明神、離宮明神、宇治鎮守明神、八幡宮とも呼ばれた。槙島(まきのしま)村東部の産土神として祀られていた。 
 祭神は、本殿左殿(向かって右)に菟道稚郎子(うじのわきのいらつこ)、中殿にその父の第15代・応神天皇(おうじんてんのう)、右殿に兄の第16代・仁徳天皇(にんとくてんのう)が祀られている。
 春日神社には、藤原氏の祖先神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)が祀られている。
 日本最古の現存する神社建築として、1994年、世界文化遺産に登録された。
 式内社とされる。平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「宇治郡 十座 大五座 小五座」の「宇治神社二座 鍬靫」に比定されている。また、宇治神社とは現在の宇治神社、宇治上神社を指し、ニ座とは菟道稚郎子と母神を意味するともいう。旧村社。
 菟道稚郎子は学問の祖神として学業・合格神の信仰を集める。美しい色紙の御朱印(四季折々限定20種類)が授けられる。
歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 古墳時代、この地は、菟道稚郎子皇子の居住した宮跡(離宮桐原日桁宮、きりはらのひげたのみや)といわれている。第60代・醍醐天皇(在位897-930)の時、山城国司が勅により社殿造営したのを始まりとするともいう。
 平安時代、927年、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』中に「宇治神社二座 鍬靫」と記されている。
 1052年/1051年、藤原氏により建立された、平等院の鎮守社として創建されたという。もとは宇治神社と二社一体で、宇治離宮明神(八幡宮)、離宮明神、離宮社とも称された。また、当社は離宮上社、上社、本宮ともいわれ、宇治川下流の中州槇島を氏子域とした。
 1060年頃、本殿が建立されたという。
 1067年、第70代・後冷泉天皇が離宮神社に神位(位記)を授けたという。(『扶桑略記』)
 1104年、藤原忠実が神馬を献じる。
 1133年、右大臣・藤原宗忠は、「座女、馬長(うまおさ)、一物(ひとつもの)、田楽。散楽(さるがく)、法のごとし」と当社の離宮祭について記した。(『中右記』) 
 鎌倉時代、1215年頃、拝殿が建立された。
 近代、1883年、当社と宇治神社は分社になる。
 現代、1994年、「古都京都の文化財」として、世界文化遺産の一つに指定された。
 2003年-2004年、年輪年代測定法による調査で、本殿は平安時代、1060年頃、拝殿は鎌倉時代、1215年に伐採された材を用い、その頃に建立されたと判明した。
◆菟道稚郎子 古墳時代(4世紀)の皇子・菟道稚郎子(うじのわき-いらつこ、?-312)。父は第15代・応神天皇、母は和爾氏の女・宮主矢河枝比売(みやぬしやかはえひめ)。異母兄に大山守皇子(おおやまもりのみこ)、第16代・仁徳天皇(大鷦鶺尊[おおさざきのみこと] )がある。幼少より読書を好む。百済より渡来した学者・阿直岐(あちき)、王仁(わに)に学ぶ。応神天皇の寵愛を受け、兄たちを差し置いて立太子された。応神天皇没後、菟道稚郎子は兄・大鷦鶺皇子に皇位を譲り、自らは宇治に離宮・桐原日桁宮(ひげたりみや)を建て移り住んだ。兄・大鷦鶺皇子も皇位を受けず、皇位継承の混乱は3年に及ぶ。この間に、皇位を巡り、兄・大山守皇子は挙兵した。大鷦鶺皇子はこれを菟道稚郎子に知らせ、自らも皇位を譲りを受けない意志を示した。菟道稚郎子は、菟道川(うじがわ、宇治川)で兄・大山守皇子を討った。菟道稚郎子は入水して自らの命を絶つ。313年、兄・大鷦鶺皇子は仁徳天皇として即位したという。
 菟道稚郎子は、『源氏物語』の「宇治十帖」、第45帖「橋姫」、第46「椎本」で登場する宇治八宮のモデルともいう。
 墓は宇治川右岸に宇治墓としてある。1889年に宮内省が治定した。
◆建築  ◈覆屋内の「本殿」(国宝)は西面している。2004年の年輪年代測定法による調査で、平安時代、1060年の木材が使われており、本殿は、その頃建立されたとみられている。日本最古の神社建築になる。正面に格子扉、五間社流造、正面桁行5間、梁間母屋2間、庇1間、檜皮葺。内殿は一間社流造で3棟(内殿三社)並び、左右の二殿は背面、片側面、屋根を本殿と共有する形になり、一つの覆屋で繋がれている。覆屋は、正面5間、側面3間の流造。
 中央の社殿(中殿)は、ほかに較べ一回り小さく独立し、簡素な造りになる。建造年代は、かつて左殿(向かって右)、中殿、右殿の順に古いといわれていた。左殿と右殿はほぼ同じ様式になる。また、当初、中殿は外(南隣の岩神付近)にあり、その後、覆屋に移されたともいう。ただ、1060年にすでに覆屋は存在した。また、3殿ともに覆屋内に納められていたともいわれている。
 蟇股は藤原時代(平安時代中期-後期)の「三名蟇股(ほかに醍醐寺薬師堂、中尊寺金色堂)」のひとつ。奈良時代の板蟇股から、装飾のための平安時代の刳り抜き式(本蟇股)に移行した意匠とされる。蟇股は、左右の輪郭は別の斜材により、内部に両側から蔓状のものが出て中央に蕾状のものを作る。本殿組物は舟肘木、軒に二軒疎垂木、内殿両殿は三斗組、中殿に舟肘木、軒一軒繁垂木。組物などから、本殿は流造の最古例、最も古い神社建築になるといわれている。
  ◈「覆屋」(国宝)は、後世に造られたという。また、鎌倉時代に改修されたという。ただ、左右両殿の側面と屋根は覆屋と一体になり、当初からの構造物ともいう。覆屋ではなく、これも本殿であり、本殿内に内殿三棟があるともいう。中殿のみは覆屋より独立し、覆屋中心よりわずかにずれる。軒は、裏面二垂木、正面三垂木。妻飾りは豕扠首(いのこざす)、流れ破風、懸魚は鰭なしの猪の目。梁に透し蟇股。正面に格子壁、檜皮葺、流造。
  ◈「拝殿」(国宝)は、近年の年輪年代測定法(2003-2004)による調査で、鎌倉時代、1215年頃に建立されたとみられている。1215年のヒノキ材が使用されていた。格子に板を貼った蔀戸、床は低く板張り、天井は組入天井。母屋本屋根の左右の軒先から、さらに庇を突き出す1間の縋破風(すがるはふ)が見られる。これは、正面に庇が付かず横手側に付けられており、妻側にさらに片流れしている。寝殿造。平安時代の住宅様式を取り入れ、宇治離宮ともいわれた。妻飾りは狐格子、懸魚は鰭なしの猪の目。疎垂木、周囲に高欄。正面に1間の向拝付。単層切妻造(両端に庇)、平入、妻庇付、桁行6間、梁行3間、檜皮葺。
  ◈境内社・「春日社本殿」(重文)は鎌倉時代初期の一間社流造、檜皮葺。
◆清め砂 本殿前に二つの円錐形の清め砂が盛られている。奉納祭(9月1日)で、氏子により奉仕されている。 
◆文化財 「本殿扉絵」(重文)が、身舎(もや)の扉に建立当時の絵画として残されている。右端の第一殿扉内側に、唐装束の「二童子像」(重文)が描かれている。美豆良(みずら)に結い、赤い上着を着て板椅子に坐し足を組む。右手に翳(えい/ さしは、柄のついた扇面)を持つ。
 左端の第三殿の扉内側に、笏を持つ二人の束帯の「随心像」(重文)があり、板椅子に坐し、背後に衝立障子が置かれている。12世紀初頭以前の作とされ、神像を扉に描いた例は他にあまりないという。いずれも非公開。
◆平等院 宇治上神社・宇治神社は、かつて平等院の地主神として祀られていた。同様な社に縣神社があり、これらは平等院、宇治川を挟んでほぼ一直線上に建つ。
 かつて、平等院の参詣者は、まず宇治神社(宇治上神社)に参詣した後に、参道の意味もあった宇治川を舟で渡り、平等院へと向かっていた。
◆源氏物語 平安時代の紫式部『源氏物語』第45帖-54帖の「宇治十帖」中、光源氏の異母弟・宇治八の宮の山荘は、現在の宇治上神社、宇治神社付近に想定されている。大内裏より152kmあり、牛車(5km/h)で4時間ほどになる。
 夕霧の別荘は、八の宮の山荘の対岸の宇治院(平等院)とされている。匂宮は、叔父の別荘にあり遊戯と音楽を愉しむ。八の宮は川の対岸にある自らの山荘でその笛の音を聞く。
 八の宮は病により妻・北の方を亡くした後、2人の美しい娘、大君、中の君と山荘に籠もり、仏法に帰依した。光源氏の次男・薫(柏木の長男)は、やがて仏の教えに興味を抱き、山荘に通うようになる。
◆宇治猿楽 平安時代末期に田楽、鎌倉時代には宇治猿楽が起こる。もとは、平安時代の公卿・藤原頼道(992-1074)が、祭礼の幣帛に武本稲荷に神馬を献上していた。その後、近郊の人々も田楽、競馬、また芸能などを奉納するようになり、鎌倉時代に宇治猿楽に発展した。
◆摂末社など ◈摂社・春日神社(重文)の祭神は、武甕槌命(たけみかづものみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)になる。平等院鎮守社であり、藤原氏の守護神、祖神を祀る。
 
◈末社・香椎(かしい)社の祭神は、神功皇后(じんぐうこうごう)、武内宿禰(たけうちのすくね)になる。
 
◈末社・住吉社の祭神は、上筒男命(うわづつのおのみこと)、底筒男命(そこつつのおのみこと)、海の神、航海安全の守護神になる。
 
◈末社・住吉社の祭神は上筒男命(うわづつのおのみこと)、底筒男命(そこつつのおのみこと)、海の神、航海安全の守護神になる。
 ◈末社・厳島社の祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)であり、水の神になる。 
 ◈武本稲荷社の祭神は、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)であり、穀物を司る神。 本殿は1間社流造、入母屋造覆屋、拝所は切妻屋根。 
 ◈岩神さん、天降石、磐座遺跡ともいう。本殿の旧地、権地ともいう。
◆名水 境内に「宇治七名水」のひとつといわれる「桐原水」(きりはらのみず/きりはらすい)が覆屋内に湧く。自然の石の間から、いまも清水が自噴している。
 宇治七名水は、1.桐原水のほか、2.阿弥陀水(平等院鳳凰堂南崖)、3.法華水(平等院塔頭・浄土院の北)、4.公文水(橋姫神社付近)、5.泉殿(JR宇治駅北)、6.高浄水(こうじょうすい、泉殿付近)、7.百夜月井・桃の井(ももよづきのい、宇治町四番保)になる。
 桐原水以外は廃絶、所在不詳とされている。
◆樹木 ケヤキ(宇治市名木百選)の大木がある。樹齢300年、樹高27m、幹回り4.8m。
◆境内周辺の碑 ◈「早蕨(さわらび)之古跡碑」は神社の近く、宇治神社との間、道の脇にある。1988年に立てられた。石碑の西北より平安時代の石敷き庭園の遺構が発掘された。
 付近は、『源氏物語』中、早蕨の巻の舞台となった八宮(はちのみや)邸の旧跡地とされている。
 ◈「与謝野晶子の宇治十帖歌碑」は、神社の近くにある。1992年、「みだれ髪の会」により建立された。
 宇治十帖の10首のうち5首が晶子の真筆で刻まれている。「橋姫 しめやかに心の濡れぬ川ぎりの立舞ふ家はあはれなるかな」、「椎が本 朝の月涙の如し真白けれ御寺のかねの水わたる時」、「総角(あげまき) こころをば火の思ひもて焼かましと願ひき身をば煙にぞする」、「さわらび さわらびの歌を法師す君に似ずよき言葉をば知らぬめでたき」、「宿り木 あふけなく大御女をいにしへの人に似よとも思ひけるかな」。
 ◈「総角(あげまき)之古跡碑」は神社の近くにある。1970年に立てられた。付近は、『源氏物語』中の八宮邸跡と想定されている。
◆年間行事 歳旦祭(19:00に閉門)(1月1日)、初詣(6:30-19:00に開門)、大晦日(21:00に開門、23:30より甘酒接待)(12月31日)、ライトアップ(12月31日-1月3日)。


*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『古寺巡礼 京都 13 平等院』、『京都・山城寺院神社大事典』、『京都・世界遺産手帳 15 平等院・宇治上神社』、『私の古寺巡礼』、『寺社建築の鑑賞基礎知識』、『京都古社寺辞典』、『昭和京都名所図会 7 南山城』、『昭和京都名所図会 6 洛南』、『京都奈良の世界遺産』、『京都大事典』、『京都の寺社505を歩く 下』、『京都はじまり物語』、『大学的京都ガイド こだわりの歩き方』、『世界遺産のツボを歩く』、『紫式部と平安の都』、『京都時代MAP 平安京編』、『京都のご利益手帖』、『京都の隠れた御朱印ブック』、『週刊 仏教新発見 14 平等院』、『週刊 古寺を巡る  13 平等院』、『週刊 京都を歩く 34 宇治1 平等院/宇治川』、ウェブサイト「コトバンク」


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武本稲荷社

武本大神

武比知大神 

桐原水の覆屋、右端の石は春日神社の旧地。


桐原水内

ケヤキ

【参照】神社の近く、宇治神社との間、道の脇にある「早蕨(さわらび)之古跡碑」


【参照】神社の近くにある与謝野晶子の宇治十帖歌碑

【参照】神社の近くにある「総角(あげまき)之古跡碑」
宇治上神社 グーグルマッブ・ストリートビュー
map 宇治上神社 〒611-0021 京都府宇治市宇治山田   0774-21-4634  9:00-16:30
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