勝龍寺 (京都府長岡京市)
Shoryu-ji Temple
勝龍寺 勝龍寺 
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勧請縄、本堂に掲げられている。毎年、1月第2日曜に掛け替えられる。





鐘楼



修行大師像
 長岡京市にある勝龍寺(しょうりゅう-じ)は、号は恵解山(えげ-さん)という。現在の寺は、専勝坊の法灯を継いでいるという。
 真言三宝宗。本尊は十一面観音。
 京都洛西三十三ヵ所観音(京都洛西観音霊場)第14番札所。日本ぼけ封じ三十三ヶ所霊場第3番霊場、ぼけ封じ近畿十楽観音霊場第3霊場。御朱印が授けられる。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、806年、空海(弘法大師)が開基ともいう。当初の寺号「青龍寺」は、空海が学んだ唐(現在の中国西安市)の青龍寺に由来したという。当時は、観音堂を始め、99坊の堂宇が林立していたという。
 962年、大旱魃、飢饉の折、第62代・村上天皇の命により、住職・千観(せんかん)上人の雨乞いの祈祷が行われた。雨が降り、龍神に勝ったことから「勝龍寺」と改名されともいう。
 室町時代、1336年、焼失している。境内が勝龍寺城に隣接しており、たびたび焼失した。
 安土・桃山時代、1582年、羽柴秀吉と明智光秀の山崎の戦いで焼失している。
 江戸時代、1615年、大坂夏の陣の際に銅鐘が持ち出されたという。
 1634年、徳川家光が参詣した。
 現代、1964年、弥勒菩薩坐像が盗難に遭った。
◆空海 奈良時代-平安時代前期の真言宗の開祖・空海(くうかい、774-835)。男性。俗姓は佐伯氏、幼名は真魚(まお) 、諡号は弘法大師。讃岐国(香川県)の生まれ。父・豪族の佐伯田公(義通)、母・阿刀氏。788年、15歳で上京し、母方の叔父・阿刀大足に師事し儒学を学ぶ。791年、18歳で大学明経科に入るが、中途で退学し私渡僧(しどそう)として山岳修行を始め四国の大滝岳や室戸崎などで山林修行した。797年、『聾瞽指帰(ろうこしいき)』を著す。798年、槙尾山寺で沙弥となり、教海と称する。804年、東大寺戒壇院で具足戒を受ける。遣唐使留学僧として唐へ渡り、805年、長安・青竜寺の恵果(けいか)により両界、伝法阿闍梨の灌頂を受ける。806年、当初の20年の義務期間を2年に短縮して帰国、多くの経典、密教法具などを持ち帰る。入京できず太宰府・観音寺に住した。809年、入京を許される。810年、高雄山寺(神護寺)を経て、811年、乙訓寺に移り、約1年間任に当たった。別当になる。812年、乙訓寺を訪れた天台宗開祖・最澄は、空海と会っている。その後、空海は高雄山で最澄らに金剛界結界灌頂を行った。後、二人は決裂し、断絶する。813年、東大寺別当、819年頃/818年、高野山を開く。822年、東大寺に灌頂道場(真言院)を開く。823年東寺を真言密教の道場にした。824年、高雄山寺を神護寺と改名する。神泉苑で祈雨の修法を行う。827年、大僧都となる。828年、綜芸種智院を創立した。832年、高野山で万灯会、834年正月、宮中中務省で後七日御修法を営む。830年、『秘密曼荼羅十住心論』を著す。高野山で亡くなり、東峰に葬られた。62歳。
◆千観 内供 平安時代中期の天台宗僧・千観 内供(せんかん-ないぐ、918-984)。男性。俗姓は橘、千観。父・相模守敏貞(橘公頼の子)。12歳頃、比叡山に上がり、運昭に付く。園城寺に入り出家、受戒した。行誉(運昭とも)に師事し、天台教学を学ぶ。禁裏の内供奉十禅師を務め、空也の影響を受け浄土教になり宮中を去る。阿弥陀和讃を作る。962年、摂津国箕面山に隠遁する。963年、勅命により祈雨を祈願したという。第62代・村上天皇は、天台宗10師・法相宗10師を清涼殿宮中に招き法華講を開く。南都・北嶺の高僧による応和宗論(おうわ-の-しゅうろん)論者として選ばれ、辞退した。摂津国・金龍寺(安満寺)を再興し住した。970年、行誉から三部大法を伝授される。著『十願発心記』『八箇条起請』など。66歳。
 内供とは、皇居に参内をゆるされた僧位をいう。阿弥陀和讃を作り浄土教を広めた。民衆からは念仏上人と尊称された。
◆仏像 ◈本尊は「十一面観音立像」(40㎝)(重文)であり、鎌倉時代前期(13世紀)作になる。現代、1978年、国の重要文化財に指定された。尺余の像高、縷刻(るこく)の精緻さなどから、平安時代前期に盛行した檀像彫刻(香木で木目の細かい白檀などの檀木を素材にする)の影響を受けている。鎌倉時代には稀な例であり、秀逸な作として高く評価されている。
 正面を見据え、左手に華瓶(けびょう)を持ち蓮華を挿し、右手は下げて立つ。顔立ちは面長で写実的な目鼻立ち、自然な体躯に表現されている。頭上面を矧ぎつけ、本体から左右の天衣遊離部、台座まで、ほぼサクラの一材を用いている。彩色され頭髪は群青、眉は墨線、瞳は墨・赤色、白毫(びゃくごう)は白色、唇は朱、ほかは木肌を残している。髪形、耳形に仏師・快慶(?-?)の初期作例の影響がある。別製の頭上面は後頭部に1個残る。台座に奈良時代の形式を応用している。
 後補として左右の冠帯垂飾の遊離部、華瓶の蓮華になる。
 木造、サクラ材。京都国立博物館寄託。
 ◈ほかに、鎌倉時代の「聖観音立像」、「十一面観音立像」、「二天王立像(持国天像、多聞天像)」はいずれも長岡京市指定文化財に指定されている。
 「ぼけ封じ観音」などがある。
◆梵鐘 当寺にあった初代・銅鐘は、鎌倉時代後期、1319年に鋳造された。江戸時代前期、1615年の大坂夏の陣の際に持ち出されたという。その後、布留(ふる)神社(滋賀県高島市)に移され、近代、1890年に日蓮宗・真如寺(大阪府能勢町)に移されている。
 真如寺に現存しており、現代、1970年に大阪府指定文化財に指定された。鐘には鋳成の由来、鎌倉時代に行われた呪文の真言陀羅尼28種を刻み、それぞれの名称を示している。 
 勝龍寺の鐘楼堂には、3代目の梵鐘がある。
◆修行大師像 「修行大師像」は、真言宗の開祖・弘法大師が全国を行脚した姿を表している。足元には、住職・淨運和尚が四国八十八ヶ所を巡礼した際に集めた砂が納められている。
◆弥勒菩薩坐像・地蔵 先代の弥勒菩薩坐像は、現代、1964年に盗難に遭った。その後、地域の陶芸家の寄贈により、現在の坐像が安置され金網で守られている。
 背後に南北朝時代の石仏群がある。地蔵盆(8月23日)が催されている。
◆春日神社 春日神社が境内に隣接して祀られている。​神仏習合の名残りで、地区の氏神様を祀る。
◆祭礼 本堂に掛けられた大注連縄は、西の空に向う龍に見立てられている。毎年、毘沙門天の縁日(1月第2日曜日)に檀家により作られている。
◆年間行事 新年祝祷会(1月1日)、毘沙門天会(1月第2日曜日)、 星祭祈祷会(2月3日)、 涅槃会(3月)、 春季彼岸会(3月彼岸)、弘法大師降誕会(6月15日)、七日盆会(8月第1日曜日)、 観音大祭(秘仏・十一面観世音菩薩像の開帳)(8月18日)、大施餓鬼会・地蔵盆会(8月23日)、 八日薬師会(9月8日)、ぼけ封じ観音縁日(敬老の日)、 秋季彼岸会(9月彼岸)、長岡京ガラシャ祭(本尊開帳)(11月第2日曜日)。除夜の鐘(鐘が撞ける)(大晦日)。
 観音例祭(毎月17日)。


*年間行事の中止・日時変更、拝観中止・時間変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』、『日本の名僧』、『仏像を旅する 京都』、ウェブサイト「勝龍寺」、ウェブサイト「長岡京市」、ウェブサイト「文化財データベース-文化庁」、ウェブサイト「能勢町教育委員会」、ウェブサイト「コトバンク」


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勝龍寺 〒617-0836 京都府長岡京市勝竜寺19-25   075-951-6906
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