満願寺 (京都市左京区)
Mangan-ji Temple
満願寺 満願寺 
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本堂


本堂




本堂の扁額



庫裏



祖師堂



鐘楼
 岡崎の満願寺(まんがんじ)は、山号を示現(じげん)山という。 
 日蓮宗、本尊は釈迦如来像を安置する。
 妙見像は、洛陽十二支妙見めぐりの5番、「岡崎の妙見さん」とも呼ばれている。京都御所から見て十二支の辰(東南東)の方角にあたる。かつて、洛陽二十八宿妙見の一つとして知られた。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、940年、菅原道真の乳母だったという多治比文子(たじひ の あやこ)は、西ノ京に道真を追悼する堂宇を建立した。開祖は、最珍(鎮)による。道真自作という天満自在天像を安置し、当初は真言宗だった。
 江戸時代、1697年、宗遍僧正は、遠沾院日享(おんでんいん にっこう)上人に帰依し、日蓮宗に改宗した。下岡崎法勝寺の旧積に移るともいう。現在の伽藍はこの時の建立ともいう。
 1700年、第113代・東山天皇の時、勅願寺になる。
 1701年、1702年とも、この地に移ったという。
 1702年-1704年、現在の本堂が建てられた。(「覚書」)
 1703年、鐘楼が建立された。同年、この地に移ったともいう。旧地は天神道下立売通上る(現在の玉房稲荷)にあり、境内に五ノ保社が祀られていた。1702年に日蓮僧に売却され、翌1703年に当寺は現在地に移ったともいう。
 1714年、学問所、書院、玄関、庫裏なども建ち並んでいた。(「満願寺立物坪数覚書」「境内地図」)
 現代、1995年、本堂、鐘楼、手水舎、表門、文子天満宮本殿・拝殿が、京都市有形文化財に指定された。
◆多治比文子 平安時代の巫女で、菅原道真の乳母・多治比文子(たじひ の あやこ、生没年不詳)。平安京の右京七条二坊十三町に住し、942年、天神(菅原道真)により、北野に社殿を建て祭祀するようにとの託宣を受けたという。文子は邸内に仮の祠を祭祀した。947年、北野に遷座し、同年、近江・比良の神官良種の子にも託宣があり、朝日寺の僧・最珍(鎮)らと共に霊祠を造営した。北野天満宮創始者。
◆俊寛 平安時代末期の真言宗の僧・俊寛(しゅんかん、1143?-1179?)。山城生まれ。村上源氏源雅俊の孫、木寺法印寛雅の子。僧都となり、仁安年間(1166-1169)、法勝寺執行となる。1174年、八条院の御堂供養を行う。後白河院の近習僧として仕えた。1177年、平家横暴に抗し、藤原成親、西光らと共に平氏打倒計画を企てるが失敗、清盛によって捕らわれる。薩摩国・硫黄島 に配流され没した。(鹿ヶ谷事件)
◆日蓮 この地は、鎌倉時代の僧・日蓮(1222-1282)が吉田の神道伝授の際に、寄宿した場所ともいう。
 この神仏習合の法華神道、三十番神は、日替わりの30柱の神々の信仰であり、最澄(伝教大師、767-822)が比叡山に祀って以来始まったという。また、鎌倉時代、日像(1269-1342)からともいう。近代、1868年の神仏分離令後に禁じられた。
◆山崎久三郎 幕末の志士商人・山崎久三郎(やまざき きゅうざぶろう、820‐1876)。米沢兼光、京都に生れる。呉服商を営みながら尊攘派として、1863年、天誅組の変で、武器・食糧を調達した。1864年、禁門の変では長州軍に参加、のち奇兵隊に入隊し転戦した。当寺に墓がある。「法善院宗悟日持信士」。
◆溝口健二 近現代の映画監督・溝口健二(みぞぐち けんじ、1898-1956)。東京市生まれ。旧制小学校、東京葵橋洋画研究所、1918年、神戸又新日報社の広告図案係を経て、1920年、日活向島撮影所に入社した。1922年、第一作「愛に甦へる日」を撮る。1923年関東大震災のため、京都の日活大将軍撮影所に移る。初監督作品は「愛に甦る日」(1923)、1933年、入江たか子の入江ぷろだくしょんに移り、入江たか子主演の「瀧の白糸」(1933)、1934年、永田雅一が設立した第一映画社に参加し、解散後、新興キネマ、松竹下加茂撮影所に移る。リアリズムの「浪華悲歌」(1936)、祇園を舞台にした傑作「祇園の姉妹」(1936)を制作。戦後、「西鶴一代女」(1952)はヴェネツィア国際映画祭の監督賞、「雨月物語」(1953)も銀獅子賞、「山椒大夫」(1954)も銀獅子賞と3年連続で入賞した。傑作「近松物語」(1954)などがある。女性の悲しみを描き世界的な評価を得た。
 満願寺境内に碑が立てられている。隣接して「大阪物語」の碑が立つ。溝口はこの次回作の準備中に亡くなった。
◆仏像 本堂に、法華首題牌、釈迦如来像、多宝如来像を安置する。
 祖師堂に堀之内本妙寺分身の日蓮像を安置している。
 「妙見像」(30㎝)は、亀に乗り、右手に剣、左手に蛇を持つ。鎌首をもたげている。かって法勝寺の塔頭・本光寺にあり、江戸時代、1774年に焼失後、当寺に遷されたという。洛陽十二支妙見めぐりの5番、辰(東南東)にあたり、「岡崎の妙見さん」とも呼ばれている。
◆建築 表門、本堂、拝殿、書院、庫裡、鐘楼、文子天神社などが建つ。
 現在の伽藍は、江戸時代、1697年の建立ともいう。日蓮宗伽藍建築様式の典型という。
◆法勝寺・俊寛 境内の井戸、阿伽井(閼伽井、あかい)は、かつてこの付近にあった法勝寺(ほうしょうじ)で使われていた井戸という。法勝寺執行・俊寛(1143-1179)の荒行井戸ともいう。
 法勝寺は、平安時代-室町時代に、白河にあった六勝寺のひとつで、平安時代、1076年、第72代・白河天皇により建立された。
 「俊寛僧都故居之碑」の石碑が立てられている。俊寛の住居跡ともいう。近代、1887年に建立された。
◆文化財 左甚五郎作という「俊寛僧都の面」がある。
◆文子天満宮 文子天満宮は、祭神・菅原道真(すがわら の みちざね)を祀る。旧地は北野天満宮七保の御供所(ごくしょ)の一つだった。中京区西ノ京にあった。
◆鎮守社 弁財天社が祀られている。
 阿伽井天の祭神は、茶吉尼天(だきにてん)になる。寺鎮守稲荷であり、水神稲荷、火防の信仰がある。
◆墓  幕末の商人・山崎久三郎(米沢兼光)、浄瑠璃三味線8代・野沢喜八郎の墓、映画監督・溝口健二の碑がある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都の寺社505を歩く 上』『岡崎・南禅寺界隈の庭の調査』『稲荷信仰と宗教民俗』『京都府の歴史散歩 中』『京都歴史案内』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』『京の福神めぐり』『京都の映画80年の歩み』『京都シネマップ 映画ロマン紀行』


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文子天満宮

文子天満宮

梅鉢の神紋

文子天満宮

文子天満宮、扁額「天満大自在天」

文子天満宮

阿伽井天

阿伽井天

俊寛僧都荒行井戸、法勝寺遺構?

「俊寛僧都故居之碑」

本堂脇にある溝口健二之碑

碑に隣接する「大阪物語」の碑、溝口は次回作の準備中に亡くなった。

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平安京オーバレイマップ
 満願寺 〒606-8333  京都市左京区岡崎法勝寺町  075-771-4874

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