大雄寺 (京都市上京区) 
Daio-ji Temple
大雄寺 大雄寺
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「贈 従四位 松下見林翁之墓  アリ」の石標



本堂

本堂


毘沙門天


毘沙門天







ウメ




山中貞雄之碑


山中貞雄之碑


地蔵尊 


松下見林の墓



山中貞雄の墓
 七本松通下立売を上った寺院建ち並ぶ一角に大雄寺(だいおじ/だいゆうじ)はある。山号は金龍山という。儒医者・松下見林、映画監督・山中貞雄の墓がある。
 浄土宗黒谷派。本尊は阿弥陀如来。
歴史年表 安土・桃山時代、1602年、開山は慶誉(けいよ)上人による。(寺伝)。心誉ともいう。
 1603年、心誉による創建ともいう。(『蓮門精舎旧詞』)
 江戸時代、1735年、檀中の山本仁兵衛により地蔵尊が寄進された。
 1788年、天明の大火により焼失する。その後、再建された。
 現代、1996年、地蔵尊が修復復元された。地蔵堂が再建される。
 2015年、本堂、庫裏、山門が改築された。
◆慶誉 安土・桃山時代の浄土宗の僧・慶誉(けいよ、 ?-?)。詳細不明、1602年、大雄寺を創建した。
◆松下見林 江戸時代の儒医者・松下見林(まつした けんりん、1637-1703)。大坂の生まれ。医学、儒医、国学、算術、経学にも通じた。京都で医学、経書を教授した。晩年は高松藩に仕えた。『日本三代実録』を校訂出版した。外国資料による日本史研究書『異称日本伝』、陵墓考証の先駆『前王廟陵記(ぜんのうびょうりょうき)』(1696)などを著した。
 墓は大雄寺にある。
◆山中貞雄 近代の映画監督・山中貞雄(やまなか さだお、1909-1938)。京都に生まれた。生家は扇子商を営んだ。1927年、京都市立第一商業学校卒業後、先輩のマキノ正博を頼りマキノ御室撮影所に入社、助監督、脚本執筆をする。その後、嵐寛寿郎の東亜キネマに移り、1929年、脚本を書いた「鬼神の血煙」が映画化された。1年間、京都・福知山の連隊に入隊する。1932年、初監督作品「磯の源太 抱寝の長脇差」が注目を浴びる。日活京都撮影所に移籍後、傑作「盤獄の一生」を撮る。1934年、脚本家の集まり「鳴滝組」を稲垣浩、滝沢英輔、八尋不二らと結成し、トーキーの時代劇シナリオを発表した。この頃、小津安二郎を知る。最高傑作といわれる「街の入墨者」(1935)、1937年、P.C.L.(のちの東宝)に入社し上京し、最後の作品になった「人情紙風船」(1937)を完成させた。その日、召集令状が届く。中国戦線へ送られ、開封の野戦病院で戦病死した。
 20本以上の作品がある。現存する作品は3本ある。「丹下左膳余話 百萬両の壺」(1935)、「河内山宗俊」(1936)、「人情紙風船」(1936)になる。いずれも、世界映画史に輝く傑作といわれている。従軍記の中に次の言葉を記した。「『人情風船』が山中貞雄の遺作ではチトサビシイ」。28歳。
 軸としていた山中を喪い「鳴滝組」は事実上の解散をした。八尋ら3人は山中の遺影を前に、追善映画「その前夜」「(監督・萩原遼、1939、東宝映画)の脚本を執筆したという。新選組の池田屋襲撃事件を題材とし、原案は山中、脚本は共同ペンネーム「梶原金八」による。
 大雄寺に墓がある。墓には、山中が亡くなった中国の病院跡地の土が納められたという。
◆仏像 本堂に本尊「阿弥陀如来立像」を安置している。
◆地蔵尊 「地蔵尊」は、卵形の地蔵堂内に安置されている。江戸時代、1735年に檀家の山本仁兵衛により寄進された。1996年に檀家の募金により修理復元されている。極彩色。
◆建築 2015年に、本堂、庫裏、山門が改築された。
 本堂の広間に茶室がある。
◆文化財 かつて、平安時代の恵心(942-1017)作という「弥陀三尊絵像」、毘首羯摩(びしゅかつま)作という「釈迦婆伽梵の像」、平安時代の小野篁(802-853)作という「観音大士尊像」があったという。(『浄家寺鑑』)。
 江戸時代、1788年の天明の大火によりいずれも焼失した。
◆盆石 和州遠山流の「盆石(ぼんせき)」作品が常時展示されている。盆上に自然石を立て、小石、砂を配し、山水、風物を描写する。大自然を表現した縮景芸術の一つとされている。
 起源は飛鳥時代、第33代・推古天皇(554-628)の頃ともいう。室町時代に流行し観賞された。打つ場合の態度、手順などの作法が定められている。
◆墓 境内西の墓地には、江戸時代の儒医者・松下見林の墓がある。
 近代の映画監督・山中貞雄の墓がある。
◆碑 境内に、戦前の映画監督で、日中戦争により中国で戦病死した山中貞雄の墓碑が立つ。碑は、1941年、天才的な監督と謳われた山中を偲び、友人たちが集まり建立した。追悼の碑文は、山中の親友の映画監督・小津安二郎(1903-1963)が揮毫した。
 9月17日の命日前後には、戦前から続く「山中忌」が催されている。1984年からは「山中貞雄を偲ぶ会」が開催されている。
 
 山中貞雄之碑

山中貞雄死を聖戦の大義に奉り忠魂永へる靖国の社に招かる。山中貞雄生を芸能の大道に致し鬼雄千載映画の史乗に耀かん。
 君ハ明治四十二年十一月七日京都市五條本町に喜左衛門氏五男として生る。学業を京都一商に卒へるや性来信愛措かざりし映画の道に志を得べくマキノ撮影所に入り脚色及び監督助手の任に精励す。後、寛寿郎映画に転じ始めて宿志を延べ監督として処女作「抱寝の長脇差」を作り才幹の凡ならざるを示す。二十三歳の秋なり。爾後作品を重ねる毎に天稟愈々冴へ鏤刻益々凝って克く時代劇映画の芸域を伸展し請はれて日活京都撮影所に移るや「盤嶽の一生」「国定忠治」「街の入墨者」「河内山宗俊」等幾多の名作を世に問ふ、その匠意の逞しさ、格致の美しさ、洵に本邦藝能文化史上の亀鑑として朽ちざるべし。
昭和十二年春東宝東京撮影所に迎へられ、気を負ふて「人情紙風船」の作を成すや幾十もなくして日支事変勃発し、名誉ある公務に応じ陸軍歩兵伍長として出征、支那各地に転戦すること一歳余り、遂に徐州の野に陣没、曹長に進級す、享年三十歳。昭和十三年九月十七日なり。君 生得一途映画道に精進し映画の中に師弟知友を視、愛すべき特偉の風格掬すべき純撲の性情、傾けて之れ盡く映画に親昵しさり、茲に友人有志相寄りてその至情に酬ひ、興亜聖業の礎石たる君が勲功を顕彰し、その菩提を弔ひ訪る者に然く語るなり。
       皇紀二千六百年建立。

◆年間行事 お正月参り(1月)、涅槃会(涅槃図<幅160cm・丈240cm>の絵解きを行う。)(2月)、春彼岸会(読経、御詠歌、接待がある。)(3月)、花まつり(誕生仏に甘茶かけを行う。)(4月)、善導忌(二祖対面の絵解が行われる。)(6月)、お墓参り(8月)、秋彼岸会(読経、御詠歌、接待がある。)(9月)、山中忌(9月17日前後)、10月(念仏を唱え、落語会が催される。)(お十夜会)、納経(11月)。
 法話とお茶事の会(住職の法話、茶室でのお茶会、懐石の会が催される。)(不定期)。


*一部、旧仮名づかいは現代仮名づかいに変更しました。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『京都大事典』『増補版 京都の医史跡探訪』『京都の映画80年の歩み』『昭和京都名所図会 5 洛中』『古代史研究の最前線 天皇陵』『京都シネマップ 映画ロマン紀行』、当寺ウェブサイト、ウェブサイト「コトバンク」


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