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北野神社御旅所・御輿岡神社 (京都市中京区) Kitanojinja-otabisho Shrine |
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北野神社御旅所・御輿岡神社 | 北野神社御旅所・御輿岡神社 |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 拝殿 ![]() ![]() 本殿 ![]() ![]() ![]() 本殿 ![]() 本殿 |
御輿岡町(みこしがおか-ちょう)に、 北野神社御旅所(きたのじんじゃ-おたびしょ、西ノ京御旅所)はあり、北野天満宮の御旅所になってる。 境内の御輿岡神社(みこしがおか-じんじゃ)は、大巳貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、菅原大神(菅原道真)を祀る。北野天満宮の境外末社になる。 それぞれ、土地の守り神、医薬・病気平癒の神、学徳成就の神になる。 ◆歴史年表 平安時代、947年以前、北野天満宮の創建前に、付近には大きな森があり、「神楽岡(かぐらおか)」と呼ばれていた。森の鎮守の神として大巳貴命、少彦名命の2神が祀られていたという。(御輿岡神社駒札) 947年、北野天満宮が創建された。この地に、初めて北野天満宮の神輿が渡御し、この地が御旅所に定められる。その後、祭神・菅原大神(菅原道真)を合祀し、「御輿岡神社」と称された。北野天満宮の境外末社になる。地名も「御輿岡(みこしがおか)」に改められた。(御輿岡神社駒札) 第62代・村上天皇(在位946-967)の頃、菅原道真が大宰府で彫った木像を、随行した西ノ京の神人(じにん)が持ち帰り祀った。秋の収穫時に野菜、穀物を供え、以来、ずいき祭の始まりになったという。 江戸時代、1607年、北野天満宮の本社造営の際に、西ノ京の氏子らが造営を祝う。新鮮な農作物で神輿(ずいき御輿)を作り、9月4日に神前に奉納した。以来、ずいき祭の始まりになったともいう。(御輿岡神社駒札) 近代、1872年/1873年、1868年の神仏分離令後の廃仏毀釈により、七保天満宮は廃止された。神宮寺・成願寺の拝殿、社殿は北野御旅所へ移された。 ◆ずいき祭り 平安時代中期、第62代・村上天皇(在位946-967)の頃、菅原道真(845-903)が大宰府で彫った木像を、随行した西ノ京の神人(じにん)が持ち帰り祀った。秋の収穫時に野菜、穀物を供え、以来、ずいき祭の始まりになったという。 また、江戸時代前期、1607年、北野天満宮の本社造営の際に、西ノ京の氏子らが造営を祝う。新鮮な農作物で神輿(ずいき御輿)を作り、9月4日に神前に奉納した。以来、ずいき祭の始まりになったともいう。 10月1日、ずいき祭の神幸祭では、午前9時半より、出御祭が行われる。鳳輦(ほうれん)に御霊を遷す。午後1時、導山など3基の鳳輦、松鉾などが北野天満宮を出御する。宮司、神職、氏子ら150人余が供奉し、祭列は氏子区内を巡行する。午後4時頃、北野神社御旅所に到着する。着御祭、女児による「八乙女舞(やおとめまい)」が奉納される。以後、鳳輦、ずいき御輿は御旅所に駐輦する。 2日、御旅所で表千家宗匠による献茶祭が行われる。3日、西ノ京七保会による甲御供奉饌(かぶとのごくほうせん)が行われる。 4日、還幸祭では、午前10時に出御祭が執り行われる。午後1時、出御し、牛に曳かれた御羽車も加わる。祭礼の行列は氏子区内を巡行し、午後4時半頃に北野天満宮に還御する。午後5時、還幸祭が行われる。 ◆樹木 ◈クロガネモチの大木がある。現代、2002年に京都市指定の保存樹になった。 ◈クスノキの大木がある。 ◆年間行事 ずいき祭り(10月1日-4日)。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *年間行事(拝観)などは、中止、日時・内容変更の場合があります。 *参考文献・資料 御輿岡神社駒札、ウェブサイト「北野天満宮」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() 御旅所 |
![]() 御旅所 |
![]() 神楽庫 |
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![]() クロガネモチ |
![]() クスノキ |
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