源空寺 (京都市伏見区)
Genku-ji Temple
源空寺  源空寺
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山門


山門





山門


山門、朝日大黒天像)出世大黒天)


山門



山門、愛染明王像)



山門、即一六躰地蔵



 源空寺(げんくうじ)は、正式には宝海山法然院源空寺と称する。
 浄土宗、本尊は円光大師坐像(法然)、阿弥陀仏立像が安置されている。
 法然上人(圓光大師)二十五霊場第15番札所。
◆歴史年表 鎌倉時代、1195年、建久年間(1190-1199)とも、忍空は、宇治郡炭山村(宇治市木幡)に草庵を創建した。寺名を天台宗光堂寺と称した。また、1195年、法然は奈良・大仏殿再建落慶供養の帰途に、草庵に立ち寄る。説教をした際に忍空は帰依する。浄土宗に改宗した。法然を開山とし、寺号も法然に因み「源空寺」に改めた。念仏道場とし、法然自作の御影を安置したという。
 江戸時代、1612年、1602年、慶長年間(1596-1615)、寛永年間(1624-1643)末年とも)、幡随意は九州からの帰途、法然の御影像を拝し、現在地に移すことを決する。徳川家康により、桃山城内の殿舎を寄進された。念仏弘通の専門道場が開かれ、幡随意は中興の祖になる。山門は、伏見城廃城に伴い、巽の櫓の一部が移築された。
 1848年、本堂は焼失している。その後、再建される。
◆忍空 平安時代末期-鎌倉時代の天台宗の僧・忍空( ?-?)。三井寺の公胤僧正)1145-1216)の高弟で、蓮乗房忍空上人と称した。1195年、浄土宗に改宗し、源空寺を建立する。
◆法然 平安時代末期-鎌時代前期の浄土宗の僧・法然(ほうねん、1133-1212)。勢至丸。美作国に生まれた。父は押領使・漆間時国、母は秦氏。1141年、9歳の時、父は夜襲により目前で殺される。父は出家を遺言する。天台宗菩提寺の叔父・観覚のもとに預けられた。1145年、13歳で比叡山に上り、西塔北谷の持法(宝)房源光に師事、1147年、皇円の下で出家受戒。1150年、西塔黒谷慈眼坊叡空の庵室に入り、浄土宗に傾く。法然房源空と名乗る。1156年、比叡山を下り清凉寺に参籠、南都学匠も歴訪する。再び比叡山に戻り黒谷報恩蔵で20年に渡り一切経を5回読む。1175年、唐の浄土宗の祖・善導の「観無量寿経疏」の称名念仏を知り、比叡山を下りた。善導は、阿弥陀仏の誓った本願を信じ、ひたすら念仏を唱えれば、善人悪人を問わず、阿弥陀仏の力により必ず阿弥陀仏の浄土である極楽に生まれ変わることができるとした。西山、広谷)後の粟生光明寺)の念仏の聖・遊蓮房円照に住した。東山吉水に草庵(吉水の善坊)に移り、阿弥陀仏を崇拝し、南無阿弥陀仏を口で唱える専修念仏の道場になる。1186年(1189年とも)、天台僧らとの大原談義(大原問答)で専修念仏を説く。1190年、東大寺で浄土三部経を講じる。1201年、親鸞が入門した。1204年、延暦寺衆徒による専修念仏停止を天台座主に要請した「元久の法難」が起きる。「七箇条制誡」を定め、弟子190人の連署得て天台座主に提出する。1206年、後鳥羽上皇(第82代)の寵愛した女官(鈴虫、松虫)らが出家した事件「承元(建永)の法難」により、専修念仏の停止(ちょうじ)になり、1207年、法然は四国・讃岐へ流罪となる。10カ月後に赦免されたが入洛は許されず、摂津・勝尾寺に住み、1211年、ようやく帰京した。草庵は荒れ果て、青蓮院の慈円僧正により、大谷の禅房)勢至堂付近)に移る。翌1212年、ここで亡くなった。『選択本願念仏集』(1198)、『一枚起草文』(1212)などを著す。
◆幡随意 安土・桃山時代-江戸時代の浄土宗の僧・幡随意(ばん ずいい、1542-1615)。相模に生まれた。号は演蓮社智誉向阿。聖伝、存貞に学ぶ。江戸時代、1601年、知恩寺33世となる。1603年(1610年とも)、江戸神田・新知恩寺(幡随院)を開く。長崎でキリシタン信者の改宗につとめた。
◆法然と忍空 平安時代後期、1181年、平清盛の命により平重衡軍は南都焼き討ちをする。大勧進になった俊乗房重源は法然に請う。1195年、法然は、東大寺大仏殿再建落慶法要の導師を努め、『浄土三部経』を講じた。法然はその帰途、忍空に請われ草庵(宇治郡炭山村)に立ち寄ったという。法然は、忍空、村人に説法を説いた。
 忍空はかつて法然の『選択(せんちゃく)本願念仏集(選択集)』(1198年)を批判している。法然は、阿弥陀仏の本願を称名念仏に集約し、仏教を広く人々に開放した。 
 忍空は説話に深く帰依し、法然の御影を懇願した。法然は書写の法門と法語数通により「張貫の御影」を作り、忍空に与えたという。忍空は、御影を祀り源空寺を建立したという。
◆仏像・石像 ◈本堂に本尊の「円光(法然)大師座像」、 「阿弥陀仏立像」、 江戸時代の「張貫(はりこ)の御影(法然張子像)」が安置されている。
 ◈山門の潜りの左脇に、豊臣秀吉の持念仏という「朝日大黒天像(出世大黒天)」が安置されている。伏見城の巽櫓にあり、秀吉に天下統一の大福を授けたという。後に像は、京町大黒町に遷された。その後、源空寺の移転とともに再び遷された。後、現在地は「新大黒町」と呼ばれる。江戸時代以降は、現在の「瀬戸物町」に改名されている。開運、福受、出世、災難厄除の信仰がある。
 ◈潜り右脇に、室町時代作の「愛染明王像」がある。恋愛成就、縁結び守護、夫婦円満の信仰がある。
 「即一六躰地蔵(六体地蔵石仏)」は、かつて伏見城内堀詰に祀られていたという。
◆建築 ◈「山門」は、江戸時代、1612年に寺が移転した際に、伏見城廃城の建物の一部が移築された。伏見城巽櫓の二層鐘楼門は、寺風の楼門に改修されている。伏見城の数少ない遺構の一つになる。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『昭和京都名所図会 6 洛南』『京都府の歴史散歩 中』『京都大事典』 、ウェブサイト「コトバンク」


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源空寺 〒612-8052 京都市伏見区瀬戸物町745  075-601-2937
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