霊雲院 〔東福寺〕 (京都市東山区)
Reiun-in Temple
霊雲院  霊雲院
 Home  Home













「九山八海(くせんはっかい)の庭」


「臥雲の庭」


二階建ての茶室「観月亭」と坪庭
 東福寺境内の西に塔頭・霊雲院 (れいうんいん)はある。 
 臨済宗東福寺派。本尊は文殊菩薩を安置している。
 文殊菩薩(三七日)は、京都十三仏霊場めぐりの第3番札所。卯年生まれの守り本尊になる。
 知恵授かり、入試祈願、安産、祈雨、風防を止めるなどの信仰がある。
◆歴史年表 南北朝時代、1390年、東福寺80世・岐陽方秀(ぎょうよう ほうしゅう)が開創した。当初は退隠所の「不二庵(坊)」と呼ばれた。
 室町時代、1473年、霊雲院に改められた。
 江戸時代、寛永年間(1624-1644)、湘雪守げんは、肥後熊本藩より遺愛石の寄進を受ける。
 江戸時代末、西郷隆盛(1828-1877)、成就院の住職で尊皇攘夷派の月照(げっしょう、1813-1858)が密議を交わしたという。
 近代、日露戦争(1904-1905)時、東福寺、当院がロシア兵捕虜収容所になる。寺には、50人のロシア兵が8か月間寝起きした。
 現代、1970年、作庭家・重森三玲が「九山八海の庭」を復元する。
 1971年、重森が「臥雲の庭」を作庭した。
◆岐陽方秀 南北朝時代-室町時代の僧・岐陽方秀(ぎよう ほうしゅう、1361-1424)。讃岐に生まれ。山城国・安国寺で霊源性浚について出家した。東福寺の首座、讃岐・道福寺の住持となる。1411年、東福寺80世。1418年、天龍寺64世、南禅寺96世も歴任。1394年、遣明船が明国から四書や詩経集伝などを舶載した際に、注釈を加えて講義を行う。4代将軍・足利義持が帰依した。病により不二庵に退居した。
◆湘雪守げん 江戸時代の僧・湘雪守沅(しょうせつ しゅげん、生没年不詳)。肥後の松井仁平次の次男。霊雲院第7世。肥後熊本藩主・細川忠利、光尚父子の帰依を受ける。細川忠興(三斎)とも親交があった。 
◆細川忠利 江戸時代前期の武将・細川忠利(ほそかわ ただとし、1586-1641)。小倉藩藩主・細川忠興の3男。母は明智光秀の娘玉子(ガラシア)。1600年、人質として江戸に送られた。2代将軍・徳川秀忠より一字を与えられ忠利と改めた。1604年、忠興の嫡子となる。1609年、秀忠の養女千代姫(小笠原秀政の娘)と婚姻する。1614年、大坂の陣で秀忠に従う。1620年、家督を相続し小倉藩主となる。1632年、肥後熊本藩主となる。1637年、天草・島原の乱に出兵し城を攻めた。
◆庭園 江戸時代中期に作庭され、その後荒廃した。現代の作庭家・重森三玲(しげもり みれい、1896 -1975)が復元、作庭した枯山水の二つの庭「九山八海(くせんはっかい)の庭」(1970)、「臥雲(がうん)の庭」(1971)がある。
 書院南庭の「九山八海の庭」は、『都林泉名勝図会』を参考に、江戸時代初期の手法により復原されている。孤高山の須弥山を表す霊石・遺愛石を中心に据え、八つの山脈、八つの海がとりまく仏教の世界観を、白砂の大胆な波紋で表す。築山には枯滝が組まれている。小石が敷かれ、尖った鯉魚石がその急流を遡上する。
 霊石・遺愛石(高さ三尺×横四尺)には謂れがある。江戸時代、寛永年間(1624-1644)、肥後生まれの第7世住持・湘雪守げんが不二庵(後の霊雲院)の住持になった。
 この際に、肥後国熊本藩主・細川忠利(その子の熊本城主・細川光尚とも)が湘雪に500石の禄を贈ろうとした。だが、湘雪は「禄の貴きは参禅の邪気なり」と固辞した。このため、「無双の名石」といわれた遺愛石と須弥台、石船が贈られたという。
 遺愛石は、四角い須弥台の上に四角い石船が載り、その中に据えられている。青みを帯びた石には小松が生えられている。石は儒学者・林羅山(1583-1657)、文人・石川丈山(1583-1672)、歌人・冷泉為景(1612-1652)、歌人・芝山持豊(1742-1815)ら多くの文人が賞賛した。重森は、遺愛石の周囲に白砂を敷き、同心円の砂紋で幾重にも囲んでいる。
 書院西庭の枯山水「臥雲の庭」は、寺号に因み重森が作庭した。ベンガラを混ぜた斬新な赤い色のコンクリートに、同心円の渦模様が描かれ、湧きあがる雲を表す。杉苔、白砂の海の同心円の渦、陸と続く。三尊石の龍門曝には、白い玉石が敷かれる。急流を表し鯉魚石が滝を昇る。
◆茶室 書院北側に、珍しい桃山様式の二階建ての茶室「観月亭」がある。豊臣秀吉により北野天満宮で催された「北野大茶会」(1587)当時のものが移築された。
 桃山様式の茶室であり、1階が四畳半席、2階が五畳半席になる。非公開。
◆ロシア兵捕虜収容所 近代、日露戦争(1904-1905)時、東福寺、当寺がロシア兵捕虜収容所になる。寺には、50人のロシア兵が8か月間も寝起きしていた。その際に、彼らが望郷の念にかられて作ったというバラライカなどの楽器が寺に残され、展示されている。
◆文化財 絹本著色「岐陽和尚像」(重文)は、室町時代、1420年の自賛がある。
 南宋時代、1740年の「宋版仏法大明録」4冊(重文)、「宋版十錬書」(重文)。いずれも京都国立博物館寄託。
 朝鮮通信使関係資料。
◆花暦 梅、チンチョウカ、ツツジ、紅葉、侘助椿。
◆年間行事 縁日(毎月25日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『旧版 古寺巡礼 京都 18 東福寺』『京都の禅寺散歩』『京都・山城寺院神社大事典』『重森三玲 庭園の全貌』『重森三玲-永遠のモダンを求めつづけたアヴァンギャルド』『重森三玲 モダン枯山水』『都林泉名勝図会』『京の福神めぐり』『週刊 日本庭園をゆく 22 京都洛東の名庭 3 東福寺 高台寺 智積院』『週刊 仏教新発見 19 建仁寺 東福寺』『週刊 古寺を巡る 38 東福寺』 


  関連・周辺東福寺      周辺       関連成就院〔清水寺〕         

日露戦争時のロシア人捕虜が作ったバラライカ、バイオリンなどが展示されている。

より大きな地図で 京都幕末史跡 を表示
 霊雲院 〒605-0981 京都市東山区本町15丁目801  075-561-4080   9:00-16:00
50音索引  Home   50音索引  Home  
   © 2006- Kyotofukoh,京都風光