宝厳院 〔天龍寺〕 (京都市右京区) 
Hogon-in Temple
宝厳院 宝厳院 
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永代位碑堂、無(石+疑)堂




茶室「青嶂軒」





無畏庵



無畏庵




「獅子吼の庭」、奥に須弥山を表す築山、黒い石を敷き詰めた苦海、海に浮かぶ舟石、彼岸に三尊石、左奥に龍門瀑が組まれている。







 天龍寺の南に位置する天龍寺塔頭の宝厳院(ほうごんいん)は、号を大亀山(だいきざん)という。
 臨済宗大本山天龍寺派。本尊は聖観世音菩薩。
◆歴史年表 室町時代、1461年、室町幕府の管領・細川頼之の寄進により、聖仲永光禅師を開山に迎え創建されたという。もとは上京区禅昌院(ぜんしょういん)町にあり、細川頼之の昭堂を寺としたという。また、武将・細川政国(法芳・従四位右典厩大憧道勝大禅定門)没後、その昭堂を精舎とし、禅昌院と称したともいう。
 応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失した。かつては広大な境内を有していた。
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1585)、豊臣秀吉により再建される。
 江戸時代、徳川幕府により幕末まで外護された。
 現代、1972年より、天龍寺塔頭のひとつ弘源寺境内にあった。
 2002年、現在地に移転し再興されている。
◆聖仲永光 室町時代中期の臨済宗の僧・聖仲永光(?-?)。詳細不明。天龍寺開山・夢窓国師の3世法孫に当たるという。1461年、宝厳院を開山した。
◆細川頼之 鎌倉時代後期-南北朝時代の武将・細川頼之(ほそかわ-よりゆき、1329-1392)。名は弥九郎、右馬助、右馬頭(うまのかみ)、武蔵守、法号は常久、道号は桂岩。三河(愛知県)の生まれ。北朝の武将・頼春の子、頼元の兄。1336年、足利尊氏が第96代・後醍醐天皇に叛旗を翻し九州に敗走する際に、四国の南朝方と歴戦した。1349年-1352年、足利将軍家の内紛に起因した観応の擾乱で、父と共に尊氏に従い戦う。1350年-1351年、父の名代として阿波で南朝方と戦う。1352年、父の討死により阿波守護を継ぐ。1354年、伊予守護を兼ね、畿内、四国で南朝方と戦う。1356年、中国管領として中国・四国の足利直冬(ただふゆ)党を鎮圧した。1362年、南朝方になった従兄弟・前幕府執事・細川清氏を讃岐白峰城に討ち、讃岐、土佐の守護を兼ね四国管領になった。1367年、足利義詮(よしあきら)の遺命により、幼少の将軍・義満を補佐し管領になる。花の御所の造営、室町幕府が荘園、公領の年貢半分の徴収権を守護に認めるなど幕政確立に尽力した。1368 年、武蔵守、半済令(はんぜいれい)の施行、南朝との和睦などを行う。1379年、権力奪取事件の康暦の政変で、有力大名との軋轢、義満にも疎まれ失脚、その後、地蔵院で剃髪出家し讃岐に帰る。1389年、義満の瀬戸内巡歴に協力し、1390年、備後守護になり山名時煕(ときひろ)の反乱を討つ。1391年、管領に就任した頼元を後見し幕政に加わる。明徳の乱で山名氏清を諸将とともに討つ。64歳。
 幼少期に臨済宗の禅僧・夢窓疎石より影響を受け、京都の景徳寺、地蔵院、阿波の光勝院・宝冠寺を建立した。土佐の吸江庵(ぎゅうこうあん)を再興した。歌、連歌、詩文に長じた。『新千載和歌集』などに入集した。
 墓は地蔵院(西京区)にある。
◆策彦周良 室町時代中期-安土・桃山時代の臨済宗の僧・策彦周良(さくげん-しゅうりょう、1501-1579)。俗姓は井上、別号は謙斎(けんさい)、怡斎(いさい)、策彦、亀陰など。丹波の管領細川氏の家老・井上宗信の3男。1510年/1509年、9歳で鹿苑寺・心翁等安(しんのう-とうあん)に師事し後に法を嗣ぐ。1512年、船岡山合戦で一時、師とともに丹波に逃れる。1518年、天龍寺で剃髪、具足戒を受け周良と称した。1522年、師没後、継いで塔頭・妙智院3世になる。1537年、大内義隆の招きで周防国(山口県)に行く。1539年-1541年、正使・湖心磧鼎のもと遣明船の副使として勘合貿易船(入明進貢船団)で入明した。1547年-1550年、正使として2度目に入明した。帰国後、天龍寺・妙智院で隠棲する。1556年、駿河・今川義元主催の詩歌会に参加する。1556年-1557年、武田信玄に招かれ甲斐・恵林寺住職になる。長興寺に住した。その後、妙智院に隠棲した。妙智院で亡くなり関連史資料が残る。79歳。 
 第106代・正親町天皇と交流した。織田信長、武田信玄の帰依を受けた。詩文集『謙斎詩稿』など多数、入明記録の著『策彦和尚初渡集(入明記初渡集)』『策彦和尚再渡集(入明記再渡集)』は、外交、風俗・文化の貴重な史料になる。五山の碩学として知られ漢詩文に優れた。
◆仏像 本堂には、本尊の「聖観世音菩薩」、脇仏は33体の「観世音菩薩」、足利尊氏(1305-1358)が信仰したという「地蔵菩薩」が安置されている。西国三十三所巡りに等しい功徳があるという。
◆庭園 嵐山を借景とする回遊式庭園「獅子吼(ししく)の庭」は、室町時代の禅僧・策彦周良により作庭された。庭は名園として、江戸時代の秋里籬島『都林泉名勝図会』(1799)にも掲載されている。庭は、2002年より一般公開されている。
 「獅子吼」とは、「仏が説法する」の意という。中央に三尊石(釈迦、文殊、普賢)を配している。築山は須弥山を表し、苦海(空池)、雲上三尊石、海には此岸より彼岸に渡るという舟石、仏の元に渡るという十二支に見立てた獣石などが据えられている。さらに、猫石も加わる。窓石の滝から水が流れをつくっている。策彦周良が命名したという獅子岩、碧岩、響岩などの巨石が据えられ、岩間に根を張る「破岩の松」がある。
 庭では、蓑垣、豊丸垣、穂垣などの垣根も見ることができる。
 境内に多くの楓が植えられ、新緑、紅葉の名所となっている。
◆茶室 2003年に復元された、大正期(1912-1926)の茶室「青嶂軒(せいしょうけん)」がある。
 「無畏庵」がある。
◆文化財 室中、上間、下間に現代の洋画家・壁画家の田村能里子(1944-)による本堂障壁画58面「風河燦燦三三自在」(2008)がある。33人の老若男女の人物が描かれている。タムラレッドといわれる独特の赤により彩色されている。
◆文学 近代の小説家・夏目漱石(1867-1916)は、1907年に、天龍寺、当院を訪れ、茶室に立ち寄ったという。天龍寺、保津川下りについては、『虞美人草』に書かれている。
◆花暦 ミヤマハギ、ムラサキシキブ(9-11月)。紅葉(楓が300本植えられ、新緑、紅葉の名所になっている。)(11月)。
◆年間行事 春の特別公開(3月20日-5月31日)、秋の特別公開(9月13日-12月21日)。
 一止禅会(坐禅)(第3日曜日17:30-20:00、休会は8・11月)。


*普段は非公開、春季と秋季に特別公開。
*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『天龍寺』、『京都の禅寺散歩』、『事典 日本の名僧』、『文学散歩 作家が歩いた京の道』、『こころ美しく京のお寺で修行体験』 、ウェブサイト「コトバンク」

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門前にある「嵐山羅漢の杜」、羅漢とは釈迦の弟子で崇高な修行者であり、悟りを得た人を表す。石像は信者により寄進された。
宝厳院 〒616-8385 京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町36  075-861-0091  9:00-17:00
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