直指庵 (京都市右京区)
Jikishi-an Temple
直指庵  直指庵
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山門


山門



















本堂


本堂、扁額「直指庵」

 嵯峨野北ノ段町に直指庵(じきしあん)はある。山号は祥鳳山という。 
 浄土宗系単立、本堂に本尊の阿弥陀如来像を安置する。 
 文殊菩薩は知恵の寺めぐり(京都文殊霊場)の第6番。
◆歴史年表 江戸時代初期、1646年、黄檗宗の独照性円(どくしょう-しょうえん)が、草庵「没蹤(もっしょう)庵」をこの地に営んだのが起こりという。隠元(1592-1673)も滞在し、この地に黄檗本山を創立しようとした。だが、大覚寺領だったため果たせなかったという。独照は、枯れ松の枝が池に落ちるのを見て悟った。黄檗宗の正統を「直指人心」したことにより、庵号「直指庵」と名付けた。当初、寺号はなかった。
 その後、隆盛し大寺になる。
 弟子・月譚が跡を引継ぐ。その後、荒廃する。独照の墓堂を残すだけになった。
 幕末、尊皇攘夷運動家・津崎村岡局(1786-1873)が、無住の寺を兄の孫・寿仙尼とともに再興した。浄土宗に改める。薩摩藩の西郷隆盛(1828-1877)、野村望東尼(のむら もとに/ぼうとうに、1806-1867)、志士らも寺を訪れたという。
 近代、1880年/1879年、賊侵入により放火され焼失する。倉は焼失を免れた。
 1899年、有志により再興され、現在の寺観を整える。
 現代、1962年、広瀬善順尼が庵主になり、再興した。
◆独照性円 江戸時代前期の黄檗(おうばく)宗僧・独照性円(どくしょう-しょうえん、1617-1694)。俗姓は富田。近江に生まれた。臨済宗の沢庵宗彭(たくあん-そうほう)、一糸文守(いっし-ぶんしゅ)、日本黄檗宗の祖・隠元隆琦(いんげん-りゅうき)に師事する。1671年、隠元の法を継ぐ。遺命により法衣を付与された。直指庵を中心に布教し、「嵯峨の古仏」と称された。78歳。
◆津崎村岡の局 江戸時代末-近代の女性・津崎村岡局(つぎき-むらおか-の-つぼね、1786-1873)。規子(のりこ、距子)ね村岡局。北嵯峨の大覚寺宮の家来・津崎左京の家に生まれた。1798年、13歳で公卿・近衛忠熈(ただひろ)に侍女として仕えた。その長である老女になり、「村岡」姓に改める。「近衛家(陽明家)の清少納言」(梅田雲浜)といわれた。1856年、篤姫(天璋院、島津斉彬養女)は、忠熈の養女資格で家定の室になる。局は養母格で江戸に下る。尊攘派の志士、近衛家、公卿との間の連絡に当たる。僧・月照、西郷隆盛らとも親しくし、2人を西国に逃がしたともいう。1858年、密勅(戊午の密勅)が徳川斉昭に降下した際に尽力した。1858年-1859年、安政の大獄に連座し、1859年、京都西町奉行所、その後、江戸町奉行所に投獄される。尋問の末、30日の永押込(ながおしこみ)の刑になる。天璋院の親代わりだったことから、その援助により釈放された。その後、一度帰京し、1863年、再び逮捕された。1864年、蛤御門の変で庵を出て主家に出仕する。以後、直指庵に隠棲し、付近の子女の教育に努めた。1872年、太政官より終身米を下賜される。安政の大獄の殉死者らの冥福を祈った。没後、1891年、贈従四位。「勤皇女傑」と称えられた。88歳。
 直指庵で「雨あられ激しく降れど軒深きわが家はそれと聞えざりけり」「すなおなる竹のはやしを朝夕に み都(つ)るこころのなとゆかむらん」と詠んだ。
 直指庵の本堂北、竹林の中に局の墓がある。嵯峨大沢池畔(右京区)に顕彰碑が立つ。嵐山の亀山公園(右京区)に銅像が立つ。
◆広瀬善順 近現代の浄土宗の尼僧・広瀬善順(ひろせ-ぜんじゅん、1900-1984)。はな。京都生まれ。1926年、15歳の時、京都・光照院で得度した。その後、京都、岐阜の寺で修行した。1941年より、宇治田原・阿弥陀寺住職になる。1962年、直指庵の庵主になる。庵を訪れた人の悩み相談にのり、思いを綴った『想い出草』が出版された。1980年、直指庵を退き、洛西に長教寺を開き、女性、老人の相談を続けた。自伝『陽炎の記』。84歳。
◆仏像・木像  ◈本堂に本尊の「阿弥陀如来像」、右に「文殊菩薩坐像」(40cm)が安置されている。
  ◈開山堂に「独照木像」、「月譚木像」を安置している。
◆直指人心 「直指人心」とは「直指人心見性成仏」という仏語になる。人の持つ生来の仏性を直接に体得することを諭す。禅宗の悟道を示している。
◆文化財 富永楓谷筆「村岡局の肖像画」、愛用した煙草入れなどが残されている。
 村岡局が将軍家より贈られた「三ツ葉葵の打掛」がある。
◆庭園 境内には楓の木があり、紅葉で知られている。「二河白道の庭」がある。
◆自然 境内の池では、日本固有主の天然記念物・モリアオガエル(森青蛙、両生綱無尾目アオガエル科アオガエル属)が生息している。初夏から夏にかけて池周囲の樹上に産卵する。
 卵は「延命小袋」といわれ、一目見ると寿命が延びるといわれている。
◆花暦 一本の木に紅白の花が開く桃(3月)、石楠花(4月)、秋明菊(9月末)などの花が咲く。秋に200本の楓が紅葉する。
◆墓 境内背後の開山堂には、独照禅師の無縫塔がある。
 村岡局の墓は、本堂の北にある。
◆年間行事 水子供養(毎月23日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都府の歴史散歩 上』『洛西探訪』『昭和京都名所図会 4 洛西』『おんなの旅路 京・奈良の尼寺』『京の尼寺 こころの旅』『おんなの史跡を歩く』『京に燃えたおんな』『京を彩った女たち』『京都幕末維新かくれ史跡を歩く』『京都大事典』『幕末京都 新選組と龍馬たち』『新選組と幕末の京都』『古都歩きの愉しみ』『京都の寺社505を歩く 下』『京の福神めぐり』 、ウェブサイト「コトバンク」


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本堂

本堂


池、モリアオガエルが生息しているという。

愛逢いい地蔵 縁結び、恋愛成就

待合

水子地蔵尊

水子地蔵尊

水子地蔵

開山堂

開山堂独照墓堂、堂の前の亀石は、独照が自ら出でて塔を護るといったことに由来する。

開山堂

開山堂、中央が独照の墓。

開山堂
、墓の右に安置されている独照の木像。

開山堂、
墓の左の月潭(第二世)木像。

修練道場

修練道場

与謝野晶子碑「夕ぐれを 花にかくるる 子狐の にこ毛にひびく  北嵯峨の鐘」

想い出草観音

地蔵尊


「津崎氏村岡矩子(のりこ)之墓」

境内の隣には孟宗竹の竹林がある。「すなおなる竹のはやしを朝夕に み都るこころのなとゆかむらん」村岡局

【参照】 津崎村岡局、亀山公園の銅像
直指庵 〒616-8441 京都市右京区北嵯峨北ノ段町3  075-871-1880  10 :00-15 :00
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