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御霊神社(上桂御霊神社) (京都市西京区) Goryo-jinja Shrine |
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御霊神社(上桂御霊神社) | 御霊神社(上桂御霊神社) |
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![]() ![]() ![]() ![]() 摂社・北宮、祭神は菅原道真、火雷神 ![]() 照玉社、祭神、照玉乃神 ![]() ![]() クスの大木、樹齢130年という。 |
御霊神社(ごりょう-じんじゃ)は、古来より上桂の守護神として崇敬を集めていた。「上桂御霊神社」とも呼ばれる。 祭神は、太田神、伊予親王(いよしんのう、その母・藤原吉子もとも)。旧上桂村の産土神、御霊社になる。 摂社・北宮の祭神は、火雷神(ほのいかづちのかみ)、菅原道真(すがわら-の-みちざね)を祀る。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 かつて、山城国葛城郡上桂の開拓者が、五穀豊饒を祈り祀ったという。 室町時代、伊予親王(?-807)を合祀して「御霊神社」と称した。 1502年、700坪(2314㎡)の社地に、3畝(298㎡)の御供田も保有していたという。 近代、1873年、村社になる。 ◆伊予 親王 奈良時代-平安時代前期の皇族・官人・伊予 親王(?-807、いよ-しんのう)。男性。父・第50代・桓武天皇、母・南家是公の娘・藤原吉子(きつし)の第3皇子。第51代・平城天皇の異母弟。792年、元服し、四品、三品式部卿、中務卿兼大宰帥(だざいのそち)などを歴任した。父・桓武天皇の寵愛を受け、宇治・北野の親王の別荘に天皇は行幸し共に歓楽した。804年、近江国蒲生(がもう)郡の荒田53町を与えられる。806年、桓武天皇の没後、807年、10月、藤原宗成は、謀反を企て検束された。親王が首謀者と讒言(ざんげん、虚偽の告げ口)した。平城天皇は左中将・安倍兄雄らを差し向け、親王らを捕らえた。親王は、母とともに大和国城上(しきのかみ)郡・川原寺(かわらでら)(奈良県明日香村)に幽閉された。旧11月11日、親王号を剥奪される。旧11月12日、飲食を断たれ末、母子は服毒自殺した。(伊予親王の変) 事件は皇位継承をめぐり、藤原仲成、薬子兄妹(式家)らが南家失脚を狙って関与したという。819年、親王の無実が明らかになり親王号は復された。839年、一品が追贈される。親王は政治的に非業の死を遂げた怨霊として畏れられた。863年、神泉苑での御霊会で、早良親王らと共に母子の霊も慰撫された。政治家の素養があり、管絃もよくした。上御霊神社(上京区)、下御霊神社(中京区)に八所御霊の一つとして祀られている。 陵墓は巨幡墓(こはたのはか、黄金塚古墳) (伏見区)に比定されている。 ◆太田神 祭神の太田神については不明。猿田彦命(さるたひこのみこと)の後裔に、太田神がある。 ◆摂社・末社 ◈摂社・「北宮」の祭神は、火雷神(ほのいかづちのかみ)、菅原道真(すがわら-の-みちざね)を祀る。火雷厄除などの信仰がある。ご神徳により、上桂には、大火事が起こらないといわれている。 ◈「照玉社」の祭神は照玉乃神であり、開運長寿、難病治癒の信仰がある。 ◈ほかに、三ノ宮神社、三十番神社、談山神社、厳島神社、八幡神社、植松神社、春日神社が祀られている。 ◆樹木 樹齢150年というクスノキ(京都市指定保存木)、オガタマノキ、カゴノキがある。 ◆年間行事 例祭(松尾大社の神幸祭では当社にも巡行する。)(10月18日)。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 説明板、『昭和京都名所図会 4 洛西』、『京都 神社と寺院の森』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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