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| 瓦斯灯 (京都市東山区) Gas Street Lights |
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| 瓦斯灯 | 瓦斯灯 |
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![]() 瓦斯灯 ![]() ![]() 排気口 ![]() かんざし ![]() 足掛け ![]() ![]() 銘板 |
円山公園内に瓦斯灯(がす-とう)が立てられている。 瓦斯灯は実測復元されたという。 ◆歴史年表 近代、1874-1875年頃に、京都にも瓦斯灯が灯されたという。(銘板) 現代、1967年、「明治百年記念」として、京都橘ライオンズクラブにより円山公園内に瓦斯灯が寄贈された。(銘板) ◆瓦斯灯 近代、1874-1875年頃に、京都にも瓦斯灯が灯されたという。 この瓦斯灯は実測復元されたという。日本に現存する初期の瓦斯灯であり、イギリスのロンドンで製造され、神戸外人居留地の街灯として使われていた。(銘板)。ロンドンの瓦斯灯の特徴としては、簡素な意匠であり、柱上部は飾りがない。 説明文には次のようにある。「新瓦斯灯明治7・8年ごろ(1874-1875)京都の街にも瓦斯灯がともされた/この瓦斯灯は日本に現存する初期の瓦斯灯としては最美の貴重なものであり/イギリスロンドンで製造され神戸外人居留地の街灯として使われていたものを実測して復元したものである 明治百年記念/1967年寄贈 京都橘ライオンズクラブ」 ◆瓦斯灯の歴史 ◈ガス灯は石炭ガスが燃焼して発する光を放つのを利用した灯火をいう。コークス生産の副産物であるガスを照明に利用する技術だった。コークスとは、石炭をコークス炉で約1200℃の高温で乾留(蒸し焼き)することで製造され、炭素質の固形物になる。 この技術は、イギリスのボルトン・ワット商会の技師・マードック(William Murdock、1754-1839)により実用化された。ガラス製の球形火屋(ほや)の中にはガスバーナがあり、そこにマントルを取付ける。マントルは木綿で編んだ籠形であり、硝酸トリウムに少量の硝酸セリウムを混じた溶液に浸している。最初の点灯でトリウムとセリウムは酸化物になり、火熱により強い光を放つ。 1792年、マードックは実験工場を造り、1802年に「アミアン条約」(ナポレオンとイギリスとの間で締結された講和条約)の締結を祝い、イギリスの第2都市・バーミンガムのソーホー工場をガス灯で照明した。街灯としては、1807年にロンドンのペル・メル街にドイツ人技師が最初に用いたという。1812年には「ロンドン・ウェストミンスター・ガス会社」(後にガス灯・コークス会社と改名)が成立した。1814年以降は、イギリスのピカデリー、1823年にはブリストルにも設置された。1819年にはパリでガス事業が開始され、世界の大都市にガス灯が普及していった。1880年代以降は、イギリスでも次第に電灯に取って代わられた。 ◈日本では、江戸時代後期、1855年頃に江戸の南部藩医師・嶋立甫(しま-りゅうほ、玄澄、1807-1873)が、造船に必要だったテール(コールタール)を取る過程で発生したガスを利用した。竹管に点灯させ自宅柱に取り付けたという。老中・諸大名らも見学に訪れた。1857年には、薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら、1809-1858)が、集成館内の鑚開台(さんかいだい、大型中ぐり盤)付近に機械を設置し、磯茶屋内の浴室側にガス室を設け、室内の石灯篭内に管を通し点火した。 ◈近代、1871年に、大阪造幣局の敷地内、付近の往来にガス街灯が設置された。貨幣鋳造過程で発生したガスを利用したもので、日本での最初のガス街灯といわれている。 同年には横浜駐在ドイツ領事が、ガス会社設立を企て神奈川県に出願した。その後、米英も相次いで当局に出願している。県令・井関盛良(もりよし、1833-1890)は、これらの動きに対し、国内権益保持のために、横浜の実業家・高島嘉右衛門(かえもん、1832-1914)ら有志に諮り、別のガス会社「日本社中」の設立を計画した。フランス人技師・プレグラン/ペレゲレン(1841-1882)の設計監督により、ロンドン製の装置が輸入されて工事が行われた。1872年9月に完成し、神奈川県庁の本通り(馬車道本通-大江橋間)に10数基のガス街灯が灯った。1873年には300基、1876年には350基を数えた。 東京では、東京会議所が実業家・西村勝三(1837-1907)、プレグランらに建設事業をあたらせた。1873年の銀座れんが街の建設に伴い、1874年7月にガス街灯の建設が実現した。浜崎町にはガス発生所が設けられている。12月に、プレグランは銀座通(京橋-金杉橋間)にガス街灯85基を設置している。その後、本石町-馬喰町間にガス街灯、屋内灯として鹿鳴館などに設置したものの普及しなかった。ガス事業の経営は容易なものでなかった。東京府庁内に瓦斯局ができ、事業の拡張と料金の値下げを図った。 1885年には、実業家・政治家・渋沢栄一(1840-1931)を社長とする「東京瓦斯」が成立する。1891年頃からは青白い色をした白熱マントルが使われるようになる。1897年頃から屋内灯として、上流家庭の一部で利用された。ただ、電灯・石油ランプと混用されていた。当時の庶民層はガス屋内灯には無関心だったという。1903年頃から下向き白熱マントルが輸入され光度・光色ともに向上している。 1887年に、初めて東京で一般需要者への送電が始まり、1912年頃にはガス街灯は廃れていた。 ◈関西では、近代、1874年11月に神戸の居留地内で94基のガス街灯が灯されている。居留地の外国人(オランダ・イギリス・ドイツ)によって設立された「兵庫ガス商会」が許可を受けて設置している。大阪では、1905年に「大阪ガス」が設立され、ガス事業がようやく始まっている。 京都では近代、1874年-1875年頃にガス街灯が灯されたという。その後、1909年に「京都瓦斯」(中京区柳馬場)本社が設立され、島原工場(下京区中堂寺坊城町)があった。当初は主に灯火用のガスを供給していた。1928年に上京都工場(下京区中堂寺粟田町)が置かれる。1945年に大阪瓦斯に吸収合併された。 ❊年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 銘板、『京都大事典』、『日本瓦斯燈事始考』、ウェブサイト「東京ガス:GAS MUSEUM ガスミュージアム」、ウェブサイト「渋沢栄一記念財団」、ウェブサイト「コトバンク」 |
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