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淀小橋増築碑 (京都市伏見区) Yodo Kohashi Extension Monument |
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淀小橋増築碑 | 淀小橋増築碑 |
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![]() 淀小橋増築碑 ![]() 【参照】淀小橋・淀川、淀城跡公園の説明板「山城国淀城図」より |
京阪淀駅前広場に「淀小橋増築碑(よどこばし-ぞうちく-ひ)」が立つ。 碑は、淀小橋の「台石」だったという。 ◆歴史年表 近代、1878年、2月、淀小橋の拡張工事が起工した。10月、工事は完成した。11月、京都府により淀小橋増築碑が立てられたとみられる。 現代、2012年時点、碑は淀城跡公園内に安置されていた。 2015年、京阪淀駅の移転にともない、碑は現在地へ移設された。 ◆淀小橋増築碑 淀小橋増築碑は、近代、1878年11月に、京都府により立てられたとみられる。1878年2月に橋の拡張工事が起工し、10月に完成した。その後、1903年に宇治川が付替られ、淀小橋は流路から外され撤去された。 碑は、かつて淀小橋の「台石」だったという。淀小橋の延長部に嵌め込まれていたものを、橋の撤去時に取り外したとみられている。現代、2012年時点で、碑は淀城跡公園内に置かれた。2015年に碑は、京阪淀駅の移転にともない現在地へ移設された。 碑文は東面に「淀小橋従前架スル者長四百五拾尺(136.3m) 今回北ノ橋臺長拾弐尺(3.6m)ヲ増築シ 南ノ橋臺左右川幅ヲ広メ改造シ 長五百五拾六尺五寸(168.6m)トス 中央ニ於テ七拾弐尺(21.8m)ノ間柱ヲ設ケズ 通船ノ便利ニ供スルナリ 維時明治十一年(1878年)二月 起工同年十月成功」と刻まれている。 高さ75×幅150×奥行55cm。 ◆淀小橋 江戸時代前期、1633年に松平定綱(1592-1652)が転封になり、永井尚政(1587-1668)が淀に入部した。以来、永井により淀城郭・城下町・河川の整備などが進められる。 河川については、1637年-1638年に旧来の木津川が淀城に向かい、南から北への流路を美豆(みず)村の北辺に回り込むように付替た。この木津川付替工事に伴い、城郭の南側に旧河川敷を利用した屋敷地が造成された。 淀城・城内町は宇治川と木津川の間の三角州に置かれた。1639年に宇治川に淀小橋が架けられ、紀伊郡納所村と城下町は結ばれる。以来、京都・伏見と大坂を結ぶ街道の要にあり重要な橋になった。さらに、美豆村と木津川との間には淀大橋が架橋された。以後、2つの橋の修造・架替は公儀橋として幕府が負担した。 淀小橋は幅4間(7.2m)・長さ71間(129m)、淀大橋は幅4間2尺(7.9m)・長さ137間(249m)あったという。(「京都御役所向大概覚書」)。江戸時代後期、1861年には淀小橋の長さ76間(138.1m)あり、南北に架けられていた。両岸には茶店・旅店・貸食家が多くあり、夜間には通船のために橋下に灯籠をともしていた。(『淀川両岸一覧』) 近代、1878年に橋は既存の橋に継ぎ足し、全長を約30m延長した。1897年-1911年に行われた淀川改良工事の一環として、1903年に、宇治川が付替えられ、淀小橋は流路から外され撤去された。 ❊年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 ウェブサイト「京都のいしぶみデータベース-京都市」、『京都市の地名』、『昭和京都名所図会 6 洛南』、『古都の港・淀納所の歴史』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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