淀小橋旧趾 (京都市伏見区)  
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淀小橋旧趾 淀小橋旧趾
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【参照】淀小橋・淀川、淀城跡公園の説明板「山城国淀城図」より


【参照】淀大橋・木津川、淀城跡公園の説明板「山城国淀城図」より


【参照】淀城公園内に立てられていた石標「淀小橋旧跡 従西南大坂至」
 淀の納所町(のうそ-ちょう)に「淀小橋旧趾(よどこばし-きゅうし)」の石標が立てられている。かつて、この付近に淀と納所を結ぶために、宇治川に架けられていた淀小橋があった。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1639年、淀小橋・淀大橋は宇治川に架橋された。(『淀下津町記録』)
 江戸時代、1868年、旧1月、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍は、淀小橋・淀大橋を焼き落とし、南の橋本(八幡市)まで退却した。
 近代、1878年、淀小橋は既存の橋に継ぎ足し、全長を約30m延長している。
 1897年-1911年、淀川改良工事が行われる。
 1903年、宇治川が付替えられ、淀小橋は流路から外され撤去された。
 1928年、三宅安兵衛遺志により原碑(石標)が立てられる。
 現代、1990年、京都淀ライオンズクラブにより新碑(石標)が立てられた。
◆淀小橋  江戸時代前期、1633年に松平定綱(1592-1652)が転封になり、永井尚政(1587-1668)が淀に入部した。以来、永井により淀城郭・城下町・河川の整備などが進められる。
 河川については、1637年-1638年に旧来の木津川が淀城に向かい、南から北への流路を美豆(みず)村の北辺に回り込むように付替えた。この木津川付替工事に伴い、城郭の南側に旧河川敷を利用した屋敷地が造成された。
 淀城・城内町は宇治川と木津川の間の三角州に置かれた。1639年に宇治川に淀小橋が架けられ、紀伊郡納所村と城下町は結ばれる。京都・伏見と大坂を結ぶ街道の要にあり重要な橋になった。さらに、美豆村と木津川との間には淀大橋が架橋された。以来、2つの橋の修造・架替えは公儀橋として幕府が負担した。
 淀小橋は幅4間(7.2m)・長さ71間(129m)、淀大橋は幅4間2尺(7.9m)・長さ137間(249m)あったという。(「京都御役所向大概覚書」)。江戸時代後期、1861年には淀小橋の長さ76間(138.1m)あり、南北に架けられていた。両岸には茶店・旅店・貸食家が多くあり、夜間には通船のために橋下に灯籠をともしていた。(『淀川両岸一覧』)
 近代、1878年に橋は既存の橋に継ぎ足しをし、全長を約30m延長した。1897年-1911年に行われた淀川改良工事の一環として、1903年に、宇治川が付替えられ、淀小橋は流路から外され撤去された。
◆鳥羽・伏見の戦い 江戸時代後期、1868年旧1月3日に鳥羽・伏見の戦いが始まる。淀藩主・稲葉正邦(1834-1898)は板倉勝静(1823-1889)らとともに幕府老中職にあった。
 淀城は幕府方の重要拠点になっていた。藩主・稲葉は淀に居らず、留守は家老・田辺権太夫(1829-1894)が守った。旧5日、富ノ森・千両松の戦いで官軍に敗れた幕府軍は、態勢の立て直しのため淀城に入ろうとした。権太夫は官軍方の働きかけを受け、幕府軍の入場を拒む。やむなく幕府軍は、淀小橋・淀大橋を焼き落とし、南の橋本(八幡市)まで退却した。
 淀城は官軍に対して開城し、幕府軍は淀城を失った。この開城は、鳥羽・伏見の戦いの趨勢を決めた要因の一つといわれている。
◆石標 淀小橋旧趾の石標には、原碑(石標)、新碑(石標)の2つがある。
 ◈ 「淀小橋旧趾」の原碑は、近代、1928年に三宅安兵衛遺志により当初は納所村に立てられた。現代、1990年に新碑に立て替えられ、原碑は淀城跡公園内に保管された。2006年頃に與杼神社参道に再建された。2011年頃に淀城跡公園に移設された。2024年現在、淀城跡公園内に石標は見当たらない。
 碑文は、北面に「淀小橋旧趾 従西南大阪至」、東面に「右従北 富ノ森■丁 東寺二里半 京都街道 横大路■十丁 七条ステン所三里 下鳥羽■里 北野神社四里 上鳥羽一里半 桂三里半」、西面に「昭和三年(1928年)秋 京都三宅安兵衛依遺志建之」、南面に「中書島一里 木幡二里半 左従東 伏見桃山御陵一里半 醍醐二里半 伏見街道 稲荷神社二里半 山科三里半」と刻まれていた。
 ◈ 「淀小橋旧趾」の新碑は、現代、1990年に、京都淀ライオンズクラブにより立てられた。 納所の原碑があった場所に立て替えられた。
 碑文は南面に「淀小橋旧趾」、北面に「昭和二年(1927年、誤記?) 春 再建 京都三宅安兵衛遺志建之」、西面に「平成二年結成十五周年記念 京都淀ライオンズクラブ建之」と刻まれている。
 高161×幅20×奥行20cm。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 ウェブサイト「京都のいしぶみデータベース-京都市」、京都市の駒札、『京都市の地名』、ウェブサイト「淀城跡-京都市埋蔵文化財研究所」、ウェブサイト「コトバンク」、『昭和京都名所図会 6 洛南』


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map 淀小橋旧趾 〒612-8275 京都府京都市伏見区納所町104
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