将軍地蔵大菩薩 (京都市右京区)  
Shogun-jizo-daibosatsu
将軍地蔵大菩薩 将軍地蔵大菩薩
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将軍地蔵堂


将軍地蔵大菩薩、現在は彫りが摩耗したらしい。


将軍地蔵大菩薩


【参照】将軍地蔵大菩薩という拓本の一部、1983年に鳥居本を通りかかった僧が採ったという。(京都市嵯峨鳥居本町並み保存館蔵)

 嵯峨鳥居本の愛宕街道沿いに、将軍地蔵大菩薩(しょうぐん-じぞう-だいぼさつ)の小祠がある。将軍地蔵堂とも称されている。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 江戸時代、1627年、5月28日、将軍地蔵大菩薩は創祀されたともいう。
 近代、1868年、神仏分離令の際に、愛宕山より各所に遷され、鳥居本に遷されたともいう。
 現代、1979年、現在の祠は建てられたという。
◆勝軍地蔵の信仰 愛宕山・愛宕神社は古くより火伏神とともに、将軍(勝軍)地蔵として信仰された。明智光秀(1528-1582)、伊達政宗(1567-1636)などの武将は戦勝祈願を行った。
 鳥居本の将軍地蔵大菩薩は、当初は愛宕山に祀られていたという。江戸時代前期、1627年5月28日に祀られたともいう。近代、1868年の神仏分離令後、愛宕山より各所に遷されたという。鳥居本の地は、そのうちの一つだったともいう。
 現代、1979年に鳥居本が伝統的建造物群保存地区に指定された。その際の補助金制度を利用し、現在の地蔵堂が建てられたという。
 鳥居本は、古くより葬送の地であり、多くの六地蔵が祀られていた。この六地蔵信仰と道祖神信仰が結びつく。さらに、道祖神は「ジャグジ」とも呼ばれ、ジャグジに将軍の字が当てられたという。道祖神と融合した地蔵は将軍(勝軍)地蔵と呼ばれたという。
 六地蔵地蔵・道祖神・将軍(勝軍)地蔵の信仰が結びつき、鳥居本地域の守護神としての信仰を集めたという。(京都市嵯峨鳥居本町並み保存館の説明文)
◆愛宕権現・勝軍地蔵 愛宕神社の愛宕権現は、甲冑姿の地蔵菩薩が騎乗した形をとる。(『仏像図彙』、1690)。愛宕権現はイザナミを垂迹神、勝軍地蔵菩薩を本地仏とした。愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神号になる。
 愛宕山の神宮寺・白雲寺は、勝軍地蔵を本尊にした。戦国時代にかけ、愛宕権現(勝軍・将軍地蔵)は軍神として武士が信仰した。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 京都市嵯峨鳥居本町並み保存館の展示板、ウェブサイト「御朱印・神社メモ」


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map 将軍地蔵大菩薩 〒616-8437 京都市右京区嵯峨鳥居本仙翁町(せんのう-ちょう)
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