本願寺岡崎別院 (京都市左京区) 
Honganji-okazaki-betsuin Temple
本願寺岡崎別院  本願寺岡崎別院
  Home   Home

山門








本堂


本堂、裳階部分








寺務所
 本願寺岡崎別院(ほんがんじ おかざき べついん)は、岡崎神社の西隣にある。
 この地は、浄土真宗の開祖・親鸞が一時住んだ草庵跡だったという。その後、「親鸞屋敷」、「岡崎御坊」とも呼ばれていたという。
 真宗大谷派、真宗本廟(東本願寺)の別院、本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 鎌倉時代、1201年頃、親鸞は六角堂での夢告の後、この地に庵を結び、吉水の法然(1133-1212)のもとへ通っていたともいう。仮寓し、『選択(せんじゃく)本願念仏宗』を書写していたという。
 1207年、親鸞は、「承元の法難」により、専修(せんじゅ)念仏停止(ちょうじ)に伴い、越後に流罪になる。配流の際に名残を惜しみ当庵に戻り、自らの姿を池に映したともいう。
 1235年、1232年とも、親鸞は関東より帰京し、最初に住んだ地ともいう。その後、人々により「親鸞屋敷」と称されたという。
 江戸時代、1801年、東本願寺第20代・達如は、親鸞の遺跡を慕い、寺院「岡崎御坊」を創建した。現在の伽藍はその時の建立による。
 近代、1876年、「岡崎別院」に改称された。
 1889年、御学館が移築される。
 1891年、清沢(澤)満之が御学館主任に任じられる。
 1916年、金子大榮を中心とした勉強会「鏡池会」が当院で発足する。
 現代、1961年、茶室「延賞台」は第二室戸台風により倒壊した。
◆親鸞 平安時代-鎌倉時代の僧・親鸞(しんらん、1173-1263)。京都の日野(伏見区)に長男として生まれた。父は藤原北家の流れをくむ日野有範。母は源氏の出身。幼くして両親を失う。1181年、叔父・日野範綱に連れられ、1181年、9歳で青蓮院・慈円のもとで出家得度し、範宴(はんねん)と称した。以後、比叡山横川首楞厳院の堂僧として20年間修行を続けた。東塔無動寺谷の大乗院で修業する。1201年、29歳の時、比叡山を下り、六角堂に参籠、師・源空(法然)の導きにより、浄土教に帰依した。1204年、法然が定めた「七箇条制誡」弟子のひとりとして連署する。1205年、法然は『選択本願念仏集』の書写、法然肖像を描くことを許す。1207年、承元(じょうげん)の法難により、専修(せんじゅ)念仏停止(ちょうじ)にともない、35歳で越後に流罪になり、僧籍剥奪される。禿釈親鸞と自称する。1211年、赦免され、1214年、42歳で妻・恵信尼、子らとともに関東での布教を行った。晩年、1235年頃、恵信尼らと別れ、末娘・覚信尼と京都に戻る。1256年、長男・善鸞を義絶した。弟・尋有の善法坊で90歳で亡くなったという。浄土真宗の祖。
 浄土真宗の教義が体系化された6巻からなる『教行信証』(1224)などを著した。この年に立教開宗し、「非僧非俗」を宣言した。罪深い身である者は、阿弥陀仏の本願力を信じ、念仏を唱えることが基本であるとした。絶対他力の自然法爾、悪人こそが本願により救われるという悪人正機を唱えた。
 この地は親鸞が、29歳-35歳、また、60歳(63歳とも)以降もしばらく住んだ草庵跡だったという。(『親鸞聖人正統伝』)。
◆達如 江戸時代後期の浄土真宗の僧・達如(たつにょ、1780-1865)。逹如。19代法主・乗如の子として生まれた。1792年、得度し、20代法主を継承した。1798年、天明の大火により焼失した東本願寺・本堂を再興する。1823年、本堂の再焼失後、1835年、再建した。1846年、次男・嚴如(大谷光勝)に法主を委譲し、渉成園に退隠した。
◆清沢満之
 近代の宗教家・清沢満之(きよざわ まんし、1863-1903)。名古屋(尾張)藩士徳永永則の子に生まれる。1878年、真宗大谷派で得度、東本願寺育英教校、東京大学哲学科、大学院に進む。井上円了らの哲学会に参加する。1888年、京都府尋常中学校の校長に就任、愛知県大浜西方寺に入寺した。1895年、教学振興の東本願寺学事改革(白川党改革事件)を建白するが2年ほどで頓挫した。1900年、多田鼎、佐々木月樵、暁烏敏らと求道の共同生活し、雑誌『精神界』を刊行、「精神主義」を提唱した。1901年、真宗大学(大谷大学)の学監(学長)に就任、翌年に辞職した。
◆金子大榮 近代-現代の僧侶・仏教思想家・金子大榮(かねこ だいえい、1881-1976)。新潟県高田の真宗大谷派最賢寺に生まれる。1901年、東京に移転開校した真宗大学に入学、初代学長・清沢満之の影響を受ける。1904年に卒業、帰郷する。1911年以後、真宗大学の京都移転に反対した。1915年、清沢創刊の『精神界』の編集責任者・主筆を務めた。東洋大学教授、京都の大谷大学、広島文理科大学、1933年、開設の興法学園(左京区鹿ヶ谷)などで教鞭をとる。1942年、大谷大学教授に復職。1944年、真宗大谷派最高の学階である講師を授与。1963年、真宗大谷派宗務顧問となる。「近代教学」の基礎を構築した。
◆仏像 本尊「阿弥陀如来像」は、本堂に安置されている。
 傍らに親鸞真向の影像を安置している。
◆建築 草庵造の本堂、庫裏がある。
 茶室は、江戸時代の創建時のものが現存している。
 かつて、二階建ての茶室「延賞台」が庭園西にあった。「延賞台八景」として詩歌に歌われたという。1961年の第二室戸台風により倒壊し、現在は跡地のみがある。 
 江戸時代、1801年頃に達如により創建されたとみられる茶室「翠雲亭」がある。大徳寺418世・宙宝禅師(宙宝宗宇<ちゅうほう そうう>、1759-1838)筆の扁額「翠雲」が掲げられている。
◆遺構 境内には、親鸞が姿を映したとされる「鏡池」がある。「姿見の池」、「御池」とも呼ばれている。鎌倉時代、1207年、専修念仏禁止の弾圧により越後配流の際に、親鸞が姿を映し名残を惜しんだ池という。
 また、親鸞手植えと伝えられる紅梅「八房の梅」があった。現在は、8代目の梅がある。
◆必度橋
 庭園に架かる「必度橋」は、1969年に専修学院長・信國淳(のぶくに あつし、1904-1980)により命名された。善導大師「二河喩」の「すでにこの道あり、必ず度すべし」に由来する。2009年に架け替えられた。 
◆樹木 タラヨウがある。
◆年間行事 修正会(1月3日)、彼岸会・永代経(3月23日)、暁天講座(7月25日-27日)、彼岸会(9月23日)、報恩講(10月23日)。
 三日講(毎月3日)、三日講・雑炊の集い(毎月13日)、三日講(毎月23日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都の寺社505を歩く 上』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』『真宗大谷派』『日本の名僧』『京都大事典』京都 神社と寺院の森』


        岡崎神社      安養寺(東山区)      吉水弁財天堂(弁天社)      東本願寺      崇泰院        

手水舎

鏡池(姿見の池、御池)

鏡池

紅梅「八房の梅」


庭園、必度橋

必度橋

茶室「延賞台」の跡地
 本願寺岡崎別院 〒606-8335 京都市左京区岡崎天王町26  075-771-2921
  Home     Home  
   © 2006- Kyotofukoh,京都風光