平安宮 式部省跡 (京都市中京区)  
Ruins of Heiankyu-Shikibusho(Government office)
平安宮 式部省跡 平安宮 式部省跡
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京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館の説明板


平安宮復元図、現在地は赤い点の部分、京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館の説明板より

平安宮復元図、式部省は赤い四角内ね京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館の説明板より
 京都府立朱雀高等学校のフェンス東側に、「平安宮 式部省跡(へいあんきゅう-しきぶしょう-あと)」の説明板が設置されている。   
 平安時代、この地には式部省が置かれた。事務を担当する文官人事を担う重要な役所だった。
◆歴史年表 平安時代、この地に式部省が置かれた。
 延暦年間(782-806)、第50代・桓武天皇皇子・伊予親王(?-807)が式部卿に任じられる。
 現代、2012年、3月、京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館により説明板が設置された。
◆伊予親王 奈良時代-平安時代前期の皇族・官人・伊予親王(?-807、いよ-しんのう)。第50代・桓武天皇の第3皇子、母は南家是公の娘・藤原吉子(きつし) 。第51代・平城天皇の異母弟。792年、元服し、四品、三品式部卿、中務卿兼大宰帥(だざいのそち)などを歴任した。父・桓武天皇の寵愛を受け、宇治・北野の親王の別荘に天皇は行幸し共に歓楽した。804年、近江国蒲生(がもう)郡の荒田53町を与えられる。806年、桓武天皇の没後、807年、10月、藤原宗成は、謀反を企て検束された。親王が首謀者と讒言(ざんげん、虚偽の告げ口)した。平城天皇は左中将・安倍兄雄らを差し向け、親王らを捕らえた。親王は、母とともに大和国城上(しきのかみ)郡・川原寺(かわらでら)(奈良県明日香村)に幽閉される。11月11日、親王号を剥奪される。11月12日、飲食を断たれ末、母子は服毒自殺した。(伊予親王の変)
 事件は皇位継承をめぐり、藤原仲成、薬子兄妹(式家)らが南家失脚を狙って関与したという。819年、親王の無実が明らかになり親王号は復された。839年、一品が追贈される。親王は政治的に非業の死を遂げた怨霊として畏れられた。863年、神泉苑での御霊会で、早良親王らと共に母子の霊も慰撫された。政治家の素養があり、管絃もよくした。上御霊神社(上京区)、下御霊神社(中京区)に八所御霊の一つとして祀られている。
 陵墓は巨幡墓(こはたのはか、黄金塚古墳) (伏見区)に比定されている。
◆藤原通憲 平安時代後期の公卿・学者・藤原通憲(ふじわら-の-みちのり、1159-1160)。出家し法号を円空、のち信西(しんぜい)。父は実兼(さねかね)、母は源有房の娘。一時、高階経敏(たかしな-の-つねとし)の養子になり、後に藤原姓に戻る。第74代・鳥羽天皇、第75代・崇徳天皇、第76代・近衛天皇に仕えた。栄進できず少納言で出家した。妻・朝子(紀伊局)は第77代・後白河天皇の乳母であり、1115年、天皇即位とともに近臣になる。1156年、保元の乱で、源義朝の策を入れ、天皇方に勝利をもたらした。後白河院政になり、近臣・藤原信頼と対立し、平清盛と結び義朝を排した。1157年、内裏の再建、朝儀の復興に務めた。1159年、平治の乱で信頼・義朝らの追撃を受け殺された。54歳。
 博識多才で、編著『本朝世紀(ほんちょうせいき)』『法曹類林(ほっそうるいりん)』など。
◆式部省 式部省(しきぶしょう)は、律令制官司の八省の一つになる。太政官の左弁官に属し、式部の司、式部とも呼ばれた。平安宮大内裏の南側、大内裏正門・朱雀門を入ったすぐ東側にあった。西側に武官人事を担当した兵部省と対になっていた。二条大路を隔て大学寮に面していた。
 第38代・天智天皇(在位:668-671)・第40代・天武天皇(在位:673-686)の法官(のりのつかさ)が前身になる。奈良時代、8世紀(701-800)中頃に、一時、文部(ぶんぶ)省と呼ばれた。
 律令制の衰退後は、平安時代前期、延暦年間(782-806)に、第50代・桓武天皇の皇子・伊予親王(?-807)が式部卿に任じられ、以後通例になる。812年に書生30人が置かれている。
 職掌は、大宝令・養老令によると、朝廷の礼式、文官の名簿の管理、考課(官吏の勤務評定を太政官に上申する) 、選叙 (官を授け位を叙す) 、位禄・季禄の支給、官人登用試験、論功封賞、地方諸国からの朝集(ちょうしゅう、年間行政総括報告)の取扱い、官人の休暇・遣使、官人養成機関の大学寮・散位(さんに)寮を管轄し、監理した。
 平安時代以降の職員は、卿(かみ)1人(四品以上の親王)、大輔(だいすけ)・少輔各1人(儒者で主上に読書を教授する侍読を務めた者)、大丞(だいじょう)・少丞各2人、大録(だいさかん)1人・少録3人、史生(ししょう)20人、省掌(しょうしょう)2人、使部(しぶ)80人、直丁(じきてい)5人だった。少録以上は要職であり、藤原氏が多かった。平安時代前期より、輔に日野氏・大江氏・菅原氏らが就き世襲になった。
◆発掘調査 ◈ 式部省跡内での調査例は少ない。西辺築地建設に伴う発掘調査で、地表から50㎝の深さで平安時代の土坑が見つかる。鬼瓦、軒平瓦を含む多量の瓦が出土した。瓦葺の大形建物があったと見られている。
 ◈ 朱雀高校体育館建設に伴う発掘調査で、多量の瓦が出土した。式部省南側に接し平安宮を囲んだ南辺大垣に葺かれたものだった。
 平安時代後期の瓦が大部分を占め、京都近郊、兵庫県、香川県で生産されていた。1157年の公卿・学者・藤原通憲(?-1159、信西)による平安宮修復、整備に伴うものとみられている。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館の説明板、ウェブサイト「コトバンク」


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