平安宮 太政官跡 (京都市上京区)  
Ruins of Heiankyu-Dajokan(Government office)
平安宮 太政官跡 
平安宮 太政官跡 
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、京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館の説明板


平安宮復元図、現在地は赤い点部分、左に朝堂院、京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館の説明板より


平安宮復元図、赤い四角内が 太政官、京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館の説明板より
 主税町(しゅぜい-ちょう)の児童福祉センター南側に、「平安宮 太政官跡(へいあんきゅう-だじょうかん-あと)」の説明板が設置されている。
 平安時代、この地には太政官が置かれた。政務を統括する最高国家機関であり、現在の内閣に相当した。
◆歴史年表 平安時代、この地には太政官が置かれた。
 1005年、内裏焼亡のため朝所が一時的に天皇の避難所になった。
 1014年、内裏焼亡のため朝所が一時的に天皇の避難所になる。
 1068年、7月、第71代・後三条天皇の即位は、大極殿焼失のため太政官で行われた。(『百錬抄』)
 1069年、後三条天皇は延久の荘園整理令に際し、太政官庁内の朝所(あいたんどころ)に記録荘園券契所を設置した。
 1177年、8月、火災のあった大学寮に代わり太政官で釈尊が行われた。
 1184年、7月、第82代・後鳥羽天皇即位の儀が行われた。
 鎌倉時代、1226年、火災により累代文書が焼失した。
 1285年頃、「太政官(駄譲願) 八省経此官奏達、諸司諸国之官、決此官」と記されている。(『中家実録』)
 現代、2012年、3月、京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館により説明板が設置された。
◆太政官 太政官(だじょうかん)は律令官制の中心であり、神祇官(じんぎかん)と並ぶ二官の一つだった。政務を統括する最高国家機関であり、八省以下を統轄し現在の内閣に相当した。
 平安宮では内裏、中務省の南、朝堂院の東に隣接して置かれた。南北40丈(120m)、東西56丈(168m)あった。中央の太政官庁(太政官曹司、太政官曹司庁)には、政庁、後堂、東・西庁があり、それぞれ廊で結ばれ、南には正門が開いていた。
 組織には長官(かみ)、次官(すけ)、判官(じょう)、主典(さかん)の4階級に分かれた。長官は太政大臣か左右大臣が担い、次官大納言とし、のち内大臣が置かれた。政務を担った少納言局(しょうなごんのつぼね)は、詔勅の審査覆奏を司り、外記局を管轄した。左右弁官局(さゆうべんかんのつぼね)は詔勅の施行を司った。左弁官局は中務、式部、治部、民部の4省、右弁官局は兵部、刑部、大蔵、宮内の4省を管轄した。
 庁内北東部に、公卿の会食の場である朝所(あいたんどころ)、南西に文書を保管する文殿(ふどの)、北西に官人交替を監督する勘解由使庁(かげゆし)などがあった。
 政務は、朝堂院で議政官による聴政(ちょうせい、早朝に政治を執る)を行ったる実務は執務の部屋である曹司(ぞうし)で執り行った。朝堂院聴政は次第に儀式化し、政務の中心は太政官庁に移る。内裏での執務も常態化し、9世紀(801-900)後半には、聴政の場は内裏東の外記庁(げきちょう)外記政(げきせい)で行われた。後に、太政官庁での聴政も官政として儀式化したという。
 平安時代後期、1068年に第71代・後三条天皇は大極殿が焼失していたため、太政官庁で即位式を行っている。1069年、後三条天皇の延久の荘園整理令に際し、太政官庁内の朝所(あいたんどころ)に記録荘園券契所が置かれ、寄人が任命された。
◆朝庁 平安時代前期、第56代・清和天皇(在位 : 858-876)の頃には、太政官庁の東庁に早参する朝庁(あさまつりごと)が行われていた。参じた弁官が鬼に食べられたという説話が残る。
 三等官の史(さかん)は朝庁に遅刻した。早出した筈の上司・弁官の姿が見えなのを不審に思う。史が主殿寮の下役人らと東庁に探し行った。弁官の座席には赤い血だらけの頭髪、笏(しゃく)・沓(くつ)、扇などが散乱していたという。
 以後、東庁で朝庁は行われなくなり、西庁で行われることになったという。(『今昔物語集』巻27第9話)。
◆記録荘園券契所 平安時代後期、1045年に荘園整理令が出された。それ以後の新立荘園増加を抑制するために、1069年に新たな荘園整理令が出された。第71代・後三条天皇は記録荘園券契所(きろくしょうえんけんけいじょ)を太政官の朝所(あいたんどころ)に設けた。記録所とも呼ばれた。
 令外官 (りょうげのかん) の一つであり、荘園券契(証拠書類)の審査機関を行った。寄人は結果を太政官に報告し勘奏(かんそう)を提出した。太政官は官符を発布して停廃を命じた。旧来の荘園整理令実施は国司に委ねられ、荘園領主からの訴えがある時にのみ中央政府で裁決していた。
 記録荘園券契所は、後三条天皇の死後に消滅しいる。その後も度々設置された。
◆発掘調査 ◈1977年の発掘調査により、太政官南東部で基壇状の高まり、東肩、1978年には西面築地(基底幅4.5m)、内溝(幅0.5-2.1m)、外溝(幅1.4-2.2m)があった。内溝東岸に凝灰岩、河原石の護岸が見られた。
 ◈1988年に太政官内部の版築ある築地塀(基底幅2.5m)、建物基壇が見つかった。基壇状に礎石を置いた柱穴があった。
 築地南の基壇は地山上に版築を行い、上面に柱穴4基(柱間東西3m、南北1.5m)があった。基壇まわりに雨落溝(幅0.5m)があった。
 ほか、勘解由使庁の南築地、院内の区画を示す溝多数などを発見している。
 出土した瓦は、平安時代前期-中期のもので、旧都搬入瓦が多く、西賀茂瓦窯産軒瓦が多かった。岸部瓦窯産軒瓦は少なく、ほか、芝本瓦窯産、鬼瓦、鴟尾、緑釉平瓦なども出土した。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館により説明板、『平安宮ガイド』、『京都市文化財ブックス28集 平安京』、ウェブサイト「コトバンク」


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