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平安宮 内裏 宜陽殿跡 (京都市上京区) Heian Palace Site of Dairi-Giyoden(Government office) |
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平安宮 内裏 宜陽殿跡 | 平安宮 内裏 宜陽殿跡 |
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![]() 「平安宮 内裏 宜陽殿跡」の石標 ![]() 「源氏物語ゆかりの地」の説明板 ![]() 平安宮復元図、黄土色の四角部分が内裏内郭回廊、現在地は中央やや右の赤字部分、「源氏物語ゆかりの地」の説明板より ![]() ![]() |
浄福寺通下立売上ルに平安宮 内裏 宜陽殿跡(へいあんきゅう-だいり-ぎようでん-あと)の石標、京都市の「源氏物語ゆかりの地」の説明板がある。 平安時代、この地には宜陽殿があり、天皇所持の書物・歴代の御物が収蔵されていた。議所では公卿会議が行われた。 ◆歴史年表 平安時代、この地に宜陽殿が建てられた。 827年、その存在が確認できる。 現代、2007年、12月、全京都建設協同組合創立50周年記念として石標を立てる。 2008年、3月、京都市は「源氏物語ゆかりの地」の説明板を設置した。 ◆宜陽殿 宜陽殿(ぎようでん)は、平安京内裏十七殿の一つになる。儀陽殿とも記した。紫宸殿の東、綾綺殿の南にあった。南にある春興殿と並び、西側にある校書殿(きようしよでん)、安福殿とは相対した。内裏造営時からあった建物とみられている。 母屋を塗籠(ぬりごめ)につくり、納殿(おさめどの)と呼ばれた。天皇所持の書物、楽器、甲冑などの歴代の御物が収蔵されていた。当時の一級品が納められており、『枕草子』には、累代の楽器を誉めて、「宜陽殿の一の棚に」置かれるものという言い方があったと記されている。 紫宸殿とは軒廊(こんろう、屋根付きの渡廊)で繋がっていた。西庇の北側には公卿座、北庇は脇陣、次将座、東庇には大臣宿、上官宿などがあった。南庇の西側には議所があり、叙位・除目(じもく)の際の公卿会議が行われた。 西面、東西2間、南北9間、4面に庇、東に孫廂付、檜皮葺。 ◆源氏物語 『源氏物語』第34帖「若菜上」では、兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)が弾いた琴は宜陽殿の御物になっている。 ❊年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 京都市の説明板「源氏物語ゆかりの地」、ウェブサイト「京都のいしぶみデータベース-京都市」、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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