平安宮 内裏 綾綺殿跡 (京都市上京区)  
Ruins of Heiankyu-Dairi-Ryokiden(Government office)
平安宮 内裏 綾綺殿跡 平安宮 内裏 綾綺殿跡
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「平安宮内裏綾綺殿跡」の石標


説明板


平安宮復元図、黄土色の四角部分が内裏内郭回廊、現在地は中央付近の赤字部分、説明板より
 浄福寺通下立売上ル東側に「平安宮 内裏 綾綺殿跡(へいあんきゅう-だいり-りょうきでん-あと)」の石標が立つ。
 平安時代にこの地には、綾綺殿があった。天皇・院の一時的な居所になり、舞台は妓女(ぎじょ)の座になった。
◆歴史年表 平安時代、この地には綾綺殿が置かれていた。
 現代、2006年、4月、全京都建設協同組合創立50周年記念として石標が立てられる。
◆綾綺殿 綾綺殿(りょうきでん)は、平安京内裏十七殿の一つになる。中心的な建物の仁寿(じじゅう)殿の東、宜陽殿の北、庭を挟み温明(うんめい)殿の西にあった。
 しばしば天皇の遷御があり、天皇・院の一時的な居所にもなった。正月の内宴(ないえん)では、仁寿殿との間の西庭に舞台が設けられ、妓女(ぎじょ)の座になった。「年中行事絵巻」にも女楽人、6人の妓女が舞う姿が描かれている。相撲節などでも用いられた。温明殿との間の庭では、内待所御神楽(ないしどころみかぐら)が催されていた。また、恒例の御物は綾綺殿にも収蔵したという。(『西宮記』)
 西面、東西2間(庇を入れると4間)、南北9間、内南5間は納殿として宮中恒例行事に使用する御物などを納めた。檜皮葺、母屋の4面に庇付き。
◆内教坊 内裏の東北隅に内教坊(ないきょうぼう)が置かれた。朝廷は妓女(舞妓)に、雅楽寮の教習科目のうち、女楽・踏歌などを教習させた。坊家(ぼうけ)とも呼ばれる。妓女は200人ほどおり、采女(うねめ)、女嬬(にょじゅ)から選ばれ、舞妓と娼妓に分かれていた。
 唐の玄宗が蓬萊宮側に置いたのに倣った。奈良時代前期には存在したしたみられ、平安時代には各種節会、内宴(正月21日)などに奉仕した。別当には、大・中納言の中の音楽に通じた者が任じられた。預(あずかり)は女性だった。舞師には舞姫の中から命じられた者がなり、舞を教えた。
 舞台は仁寿殿と綾綺殿の間の中庭に設けられた。舞妓は6人で髪に釵子(さいし、かんざし)、唐衣、裳を付けていた。天皇は仁寿殿南庇東端、公卿・近臣は紫宸殿と仁寿殿の渡廊で舞を観覧した。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 説明板、ウェブサイト「京都のいしぶみデータベース-京都市」、『平安京散策』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 平安宮 内裏 綾綺殿跡 〒602-8176 京都市上京区下丸屋町520-5,浄福寺通下立売上ル東側     
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