平安宮 内裏 淑景舎(桐壺)跡 (京都市上京区)  
Ruins of Heiankyu-Dairi-Shigeisha(Government office)
平安宮 内裏 淑景舎(桐壺)跡
平安宮 内裏 淑景舎(桐壺)跡
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「源氏物語ゆかりの地」の京都市の説明板


平安京復元図、黄土色の四角部分が内裏内郭回廊、現在地は右上の赤字部分、「源氏物語ゆかりの地」の京都市の説明板より

平安京復元図、赤茶色の建物群が内裏、現在地は赤字部分、「源氏物語ゆかりの地」の京都市の説明板より



内酒殿の井戸跡から出土した平安時代、810年の年号が書かれた木簡、京都市埋蔵文化財研究所、「源氏物語ゆかりの地」の京都市の説明板より
 出水通浄福寺東入ルに平安宮 内裏(へいあんきゅう-だいり) 淑景舎(桐壺)跡(しげいしゃ-[きりつぼ]-あと)の説明板がある。
 平安時代の淑景舎は、女御・更衣(こうい)の住居として用いられた。
◆歴史年表 平安時代、この地に淑景舎が置かれた。
 915年、5月、「雨降。今夜寅時。淑景舎顛倒」と記されている。(『日本紀略』)
 室町時代、14世紀(1301-1400)後半、「淑景舎の傍にやすらひかねて立ち明かす」と記されている。(『太平記』20)
 現代、2008年、3月、京都市により説明板が設置される。
◆藤原原子 平安時代中期の妃・藤原原子(ふじわら-の-げんし、?-1002)。内御匣(うちのみくしげ)殿、淑景舎女御(しげいしゃ-の-にょうご)と呼ばれた。公卿・藤原道隆の次女、母は高階貴子(たかしな-の-きし)。第66代・一条天皇の中宮・定子の同母妹。995年、東宮(居貞[おきさだ]親王、第67代・三条天皇)妃になった。
◆淑景舎 淑景舎(しげいしゃ/しげいさ)は、内裏の北東隅に位置した。裏の後宮七殿五舎(昭陽舎、淑景舎、飛香舎、凝華舎、襲芳舎)の一つになる。昭陽舎の北、宣耀殿の東に位置した。淑景舎の東の前庭には桐が植えられ、「桐壺」とも呼ばれた。淑景舎は、女御・更衣の住居であり、時に摂政の直盧(ちょくろ/じきろ、内裏での控室)にあてられた。
 淑景舎、淑景北舎の2棟があり、東西棟で周囲は築垣で囲まれていた。淑景舎は北舎、南の昭陽舎と並び、渡り廊で通じた。南の正舎・淑景舎は東西5間・南北2間あり、母屋の四方に庇、東に孫庇が付き、南・北・西面に簀子を廻らせていた。北舎は淑景舎と同規模とも、5間・2間で東・西面に庇を付けたともいう。
 淑景舎は住んでいる女御・更衣の通称にもなる。三条天皇女御・藤原原子(?-1002)は「淑景舎女御」と呼ばれた。
◆源氏物語 淑景舎は内裏内郭の東北隅にあり、清涼殿から最も離れていた。このため、后としての身分の低さを示している。
 『源氏物語』で光源氏の母・桐壺更衣の居所に設定されている。幼少期の光源氏も住んだ。宿直(とのい)の時に頭中将 (とうのちゅうじょう) たちと女性の品評をした、「雨夜の品定め」の舞台にもなる。(『源氏物語』中の「帚木[ははきぎ]」)。後に娘・明石姫君も住んだ。 
◆発掘調査 近年の発掘調査で、平安時代中期の土坑(土器溜め)から土器、瓦が出土している。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 京都市の説明板「源氏物語ゆかりの地」、『源氏物語ゆかりの地』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 平安宮 内裏 淑景舎(桐壺)跡 〒602-8177 京都市上京区田村備前町 1238,出水通浄福寺東入 ル
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