京都御幸町教会会堂 (京都市中京区)  
Kyoto Gokomachi Church Hall
京都御幸町教会会堂 京都御幸町教会会堂
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西側


南側


南側、石畳


南側、「日本基督教団 京都御幸町教会」の銘鈑


南側、正面入口


南側、要石


南側


南側、尖頭アーチの窓


南側、要石


南側

南側、軒下


南側


南側


南側、バットレス(控壁)


南側


南側、「A.D.1913」の銘


南側、煉瓦積み


門扉


門扉
 御幸町通二条下ル東側に、日本基督教団京都御幸町教会会堂(にほんきりすときょうだん-きょうとごこうまち-きょうかいかいどう)がある。 
 設計は、近代にヴォーリズ建築事務所による。
◆歴史年表 近代、1898年、アメリカ合衆国南メソジスト教会の京都講義所が設立される。
 1907年、現在地に移転し、当初は「日本メソジスト京都中央教会」と呼ばれていた。
 1913年、現在の教会堂が竣工した。
 1941年、プロテスタント各派の合同により、日本基督教団が発足した。
 1943年、「京都御幸町教会」と呼ばれる。 
 現代、1997年、9月、教会堂は京都市の登録文化財に指定された。
ヴォーリズ 近現代のキリスト教伝道者・社会事業家・建築家 ・ヴォーリズ・ウィリアム・メレル(Vories William Merrell,1880-1964)。本名は一柳米来留(ひとやなぎ-めれる)。アメリカ合衆国カンザス州生まれ。父はジョン・ヴォーリズ、母はジュリア・ヴォーリズの長男。 1888年、8歳で転地療養のために、アリゾナ州フラグスタッフへ移る。絵画と音楽とに親しむ。1896年、コロラド州デンバーに転居した。1900年 、イースト・デンバー高校卒業、コロラド大学入学した。YMCA活動を始める。1902年 、カナダ・トロントの「海外伝道学生奉仕団(SVM)」第4回世界大会にコロラド大学代表として出席し、ハワード・テイラー女史の講演に感銘を受けた。建築家の夢をあきらめ外国伝道を決意する。1904年、コロラド大学哲学科を卒業し、コロラドスプリングスYMCAの主事補になる。1905年、来日し、滋賀県県立商業学校(現在の滋賀県立八幡商業高校)英語教師として着任した。日本初の中等学校YMCAを創立する。1907年、最初の設計になった八幡キリスト教青年会館(八幡YMCA)が落成する。キリスト教伝道の理由で教師解職になる。The Omi Mustard Seedを創刊した。 1908年 、 京都三条YMCAの一室に、建築設計監督事務所(現在の一粒社ヴォーリズ建築事務所)を開業する。1910年、建築家・レスター・チェービン、吉田悦蔵と「ヴォーリズ合名会社」を設立した。1911年 、 近江ミッションを結成した。本格的な伝道活動を開始する。1912年、『湖畔の声』を創刊した。1914年、メンソレータム社の創業者 A.A.ハイドの支援で、琵琶湖の伝導船「ガリラヤ丸」が進水し、各地に教会を設立する。1918年、 「近江基督教慈善教化財団(現在の公益財団法人近江兄弟社)」を設立し、理事長に就任した。日本初の結核療養所「近江療養院(近江サナトリアム、現在のヴォーリズ記念病院)」を開院する。1919年 、子爵・旧小野播主・一柳末徳(ひとつやなぎ-すえのり)の3女・満喜子と結婚した。1920年、ヴォーリズ合名会社を解散し、「近江セールズ株式会社(現在の株式会社近江兄弟社)」を設立する。メンソレータム(現在の近江兄弟社メンターム)を販売開始した。1922年、私立清友園幼稚園(現在の学校法人ヴォーリズ学園)を設立する。1930年、母校コロラド大学よりLLD(名誉法学博士号)を受ける。同志社大学社友に推薦された。1931年、外皮用薬八幡工場(現在の近江兄弟社工場)が完成する。1933年、近江勤労女学校を設立した。1934年、 近江ミッションを近江兄弟社と改称した。1941年 、日本国籍を取得し、一柳米来留と改名する。京都帝国大学、同志社大学などで教え、1942年、東京帝国大学講師を勤める。戦時中は軽井沢で過ごした。1945年 、マッカーサー元帥と近衛文麿元首相との会談実現のために尽力する。1947年、 近江兄弟社小学校、中学校、1948年、高等学校を開設した。1951年、社会公共事業に対する功績により藍綬褒章を受ける。1957年 、軽井沢で倒れ、近江八幡の自宅に帰り、療養生活に入る。 1958年、近江八幡市名誉市民第1号に推される。1960年 、日米修好通商百周年に功労者として顕彰を受ける。1961年 、建築部門は独立し、「一粒社ヴォーリズ建築事務所」が設立される。黄綬褒章を受けた。1964年、亡くなる。正五位勲三等瑞宝章を受ける。著『吾家の設計』『失敗者の自叙伝』など。83歳 。遺骨は近江兄弟社霊園恒春園(近江八幡市)に眠る。
 伝道の一環として多岐にわたる活動を行う。建材・オルガン輸入、保育施設、幼稚園から高等学校の教育活動、図書館運営、出版、建築(住宅、学校、教会、デパート、ホテルなど)は幅広く手がけた。主な設計作品に、第1作の近江八幡YMCA会館(1906)、大丸心斎橋店本館(1922)、駒井家住宅(1927)、関西学院大学の建物群(1929)、神戸女学院の建物群(1933) (重文)、豊郷小学校(1937)など数多い。
◆建築 日本キリスト教団京都御幸町教会会堂は、近代、1909年に建設が具体化し、1913年に竣工した。設計はヴォーリズ建築事務所であり、ヴォーリズの初期教会堂作品の一つになる。
 西面している。妻面全体が赤煉瓦積みの外壁で、尖頭アーチ窓の頂部、窓台などに白い自然石を飾る。ゴシック様式(12世紀前半にフランスで始まり、16世紀までヨーロッパ各地に広がった建築様式で、尖頭アーチ、尖塔など垂直線が強調する)の外観意匠になる。側面にはバットレス(控壁 、外壁面と直角に外方に突出し壁体を支持する壁体で、横荷重を受け止める)を並べて設けている。正面玄関上部の窓は、大きな尖頭アーチになっている。桟は繊細な意匠を施した模様窓格子(トレーサリー)で木製建具を嵌める。窓の下半分は引き違いになっている。南側にはバットレスの間に縦長の尖頭アーチの窓が並ぶ。
 平面は、東西方向に長い矩形(くけい)になる。内部は西側に玄関があり、その上部に中2階のギャラリーがある。1階の礼拝堂は広い一室であり、尖頭アーチの窓が開く。天井は張らない。キングポストトラス(三角形を単位とした構造骨組、山形のトラス構造の形状で縦に束材が入る)を見せている。後方にコミュニオンレール(聖体拝領台、めぐみの座、跪きながら拝領するための台)を設ける。背面最奥東端に講壇がやや張り出している。
 当初は南側に木造2階建の講堂があった。このため、現在も南接する集会室との境に、間仕切りのための3連の格子戸が残されている。ガラス入りの揚げ戸であり、上部の壁内に引き込む形になる。この柱間装置は集会室と一体利用するためにあり、他にあまり例がない。北寄りに階段室がある。
 煉瓦造、平屋建、妻入、天然スレート葺。


*内部は通常非公開
原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 ウェブサイト「京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課」、京都市の銘鈑、『京都の洋館』、ウェブサイト「一粒社ヴォーリズ建築事務所」、ウェブサイト「ヴォーリズの活動とその仲間たちが遣した事業」、『京都の赤レンガ』、ウェブサイト「コトバンク」


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京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 日本キリスト教団京都御幸町教会会堂 〒604-0933 京都市中京区山本町434,御幸町通二条下ル東側
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