東華菜館 (京都市下京区)  
Toka-Saikan(Chinese restaurant)
東華菜館 東華菜館
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東側


東側


北側、正面


北側、正面


北側、正面


北側、正面

北側、正面、貝類などの装飾

北側、正面、ライオン

北側、正面、魚


北側、塔


東側


東側、鴨川
 北京料理店の東華菜館(とうか-さいかん)は、四条大橋西詰南側に建つ。近現代のキリスト教伝道者・社会事業家・ヴォーリズの設計で知られている。
◆歴史年表 近代、1886年/1887年、現在地の北側に、京風料理店「矢尾政」が創業された。木造3階建で、広島直送の牡蠣(かき)料理で評判になる。
 1900年、ビアオールを開業し、西洋料理店になる。
 1924年、「矢尾政」2代目店主・浅井安次郎が、洋館レストランの設計をウィリアム・メレル・ヴォーリズに依頼した。
 1926年、新館が南側の現在地に建てられた。
 1927年、 西洋料理店・レストランの「矢尾政」が開店する。
 太平洋戦争中(1941-1945)、市民の避難所になり、照明器具など金属供出になる。
 現代、1945年 、 于永善により「東華菜館」が開店した。
浅井安次郎 近代の実業家・浅井安次郎(?-?)。詳細不明。京都の「矢尾政」2代目店主になる。1924年、洋館レストランの設計をウィリアム・メレル・ヴォーリズに依頼した。第二次世界大戦中、西洋料理店が経営困難になり、友人・于永善に店を譲る。
ヴォーリズ 近現代のキリスト教伝道者・社会事業家・建築家 ・ヴォーリズ・ウィリアム・メレル(Vories William Merrell,1880-1964)。本名は一柳米来留(ひとやなぎ-めれる)。アメリカ合衆国カンザス州生まれ。父はジョン・ヴォーリズ、母はジュリア・ヴォーリズの長男。 1888年、8歳で転地療養のために、アリゾナ州フラグスタッフへ移る。絵画と音楽とに親しむ。1896年、コロラド州デンバーに転居した。1900年、イースト・デンバー高校卒業、コロラド大学入学した。YMCA活動を始める。1902年 、カナダ・トロントの「海外伝道学生奉仕団(SVM)」第4回世界大会にコロラド大学代表として出席し、ハワード・テイラー女史の講演に感銘を受けた。建築家の夢をあきらめ外国伝道を決意する。1904年、コロラド大学哲学科を卒業し、コロラドスプリングスYMCAの主事補になる。1905年、来日し、滋賀県県立商業学校(現・滋賀県立八幡商業高校)英語教師として着任した。日本初の中等学校YMCAを創立する。1907年、最初の設計になった八幡キリスト教青年会館(八幡YMCA)が落成する。キリスト教伝道の理由で教師解職になる。The Omi Mustard Seedを創刊した。 1908年 、 京都三条YMCAの一室に、建築設計監督事務所(現在の一粒社ヴォーリズ建築事務所)を開業する。1910年、建築家・レスター・チェービン、吉田悦蔵と「ヴォーリズ合名会社」を設立した。1911年 、 近江ミッションを結成した。本格的な伝道活動を開始する。1912年、『湖畔の声』を創刊した。1914年、メンソレータム社の創業者 A.A.ハイドの支援で、琵琶湖の伝導船「ガリラヤ丸」が進水し、各地に教会を設立する。1918年、 「近江基督教慈善教化財団(現在の公益財団法人近江兄弟社)」を設立し、理事長に就任した。日本初の結核療養所「近江療養院(近江サナトリアム、現在のヴォーリズ記念病院)」を開院する。1919年 、子爵・旧小野播主・一柳末徳(ひとつやなぎ-すえのり)の3女・満喜子と結婚した。1920年、ヴォーリズ合名会社を解散し、「近江セールズ株式会社(現在の株式会社近江兄弟社)」を設立する。メンソレータム(現在の近江兄弟社メンターム)を販売開始した。1922年、私立清友園幼稚園(現在の学校法人ヴォーリズ学園)を設立する。1930年、母校コロラド大学よりLLD(名誉法学博士号)を受ける。同志社大学社友に推薦された。1931年、外皮用薬八幡工場(現在の近江兄弟社工場)が完成する。1933年、近江勤労女学校を設立した。1934年、 近江ミッションを近江兄弟社と改称した。1941年 、日本国籍を取得し、一柳米来留と改名する。京都帝国大学、同志社大学などで教え、1942年、東京帝国大学講師を勤める。戦時中は軽井沢で過ごした。1945年 、マッカーサー元帥と近衛文麿元首相との会談実現のために尽力する。1947年、 近江兄弟社小学校、中学校、1948年、高等学校を開設した。1951年、社会公共事業に対する功績により藍綬褒章を受ける。1957年 、軽井沢で倒れ、近江八幡の自宅に帰り、療養生活に入る。 1958年、近江八幡市名誉市民第1号に推される。1960年 、日米修好通商百周年に功労者として顕彰を受ける。1961年 、建築部門は独立し、「一粒社ヴォーリズ建築事務所」が設立される。黄綬褒章を受けた。1964年、亡くなる。正五位勲三等瑞宝章を受ける。著『吾家の設計』『失敗者の自叙伝』など。83歳 。遺骨は近江兄弟社霊園恒春園(近江八幡市)に眠る。
 伝道の一環として多岐にわたる活動を行う。建材・オルガン輸入、保育施設、幼稚園から高等学校の教育活動、図書館運営、出版、建築(住宅、学校、教会、デパート、ホテルなど)は幅広く手がけた。主な設計作品に、第1作の近江八幡YMCA会館(1906)、大丸心斎橋店本館(1922)、駒井家住宅(1927)、関西学院大学の建物群(1929)、神戸女学院の建物群(1933) (重文)、豊郷小学校(1937)など数多い。
于永善 近代の実業家・于永善(?-? )。詳細不明。中国山東省出身。大連で山東料理を修得し来日した。浅井安次郎の友人だった。1945年、安次郎に店を託され、京都に北京料理店「東華菜館」を創業する。
建築 建物は、近代、1926年に建てられた。設計はヴォーリズによる。ヴォーリズの商業建築は少なく、唯一のレストラン建築になる。スパニッシュ・バロックの洋館であり、登録有形文化財に指定されている。
 建物は、ほぼ竣工当時の姿を残している。玄関正面に食材になる魚、貝、蛸、タツノオトシゴ、山羊などの意匠が施されている。これらは、バロック風のテラコッタ装飾(装飾性に富んだ焼き物)であり、館内各所の柱、ドア上などにも見られる。直線と曲線を組み合わせた天井、梁・腰板・扉の装飾も特徴がある。
 地下に厨房、当初は1階に大衆食堂(現在は待合室)、2階に家族向けの小間食堂(個室)、3階にアミューズメントホール(中宴会場)、4階に大宴会場、5階にグリルルーム(テラス部分)があった。床材に黒檀を使用している。
 ヴォーリズは建物に合わせ、飾り棚、家具、長椅子、花台、サイドテーブルなども設計した。
 設計はヴォーリズ事務所(基本設計はヴォーリズ、詳細設計は佐藤久勝、構造計算は内藤多仲)、施工は大林組、鉄筋コンクリート5階建。
エレベーター アメリカ合衆国・オーチス(OTIS)社製のエレベーターが建物内に設置されている。1924年に製造され、1926年に設置された。現在も使用され、京都府内では現存最古になる。
 昇降は手動式による。扉は片側開きの2層構造で外扉の鉄扉、内扉の鉄格子の蛇腹方式、3人乗り、積載量2000lbs(907㎏)、階数表示板は半円状になる。屋上にエレベーターの昇降設備が設置されている。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 『京都の洋館』、ウェブサイト「一粒社ヴォーリズ建築事務所」、ウェブサイト「ヴォーリズの活動とその仲間たちが遣した事業」ウェブサイト「LIFULL HOME'S PRESS、-日本最古、1924年製のエレベーターが今も活躍する京都『東華菜館』-」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 東華菜館 〒600-8012 京都市下京区斎藤町140-2, 四条大橋西詰南側 phone075-221-1147
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